09年01月21日 |
池の鯉 |
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コ イ |
今さらコイと見詰め合ってどうする。さすがに水族館のシロイルカとは較べるべくもないが、愛嬌のある顔をしている。井の中の蛙ならぬ池の中のコイ、たまに散歩に行く公園の池に住む。人が岸に近付くと餌を期待して仲間とともにゆっくりよってくる。のんびり育って脂ののった1m近くはあろうかという大物である。食べごろはとっくに過ぎてしまっているが、そこは池のコイ、たまには総ざらいで寸法の揃った小ぶりのコイに入れ替えられてしまうことだってある。その後の運命は知るよしもない。 |
夏目漱石が晩年に書いた”硝子戸の中”の冒頭に近いところに次のような一節がある。 「〜その戦争がいつ済むとも見当がつかない模様である。日本でもその戦争の一小部分を引き受けた。それが済むと今度は議会が解散になった。来るべき総選挙は政治界の人々にとっての大切な問題になっている。米が安くなりすぎた結果農家に金が入らないので、何処でも不景気だと零(こぼ)している。年中行事で言えば春の相撲がちかくに始まろうとしている。」 読んでみて100年前(正確には94年前)と今があまり変わらないなあとあらためて思う。ここに書かれた戦争とは前年に始まった第一次世界大戦である。今の最大の問題、経済危機に比肩する世界恐慌を、これを書いた次の年に死んだ漱石は知らない。 漱石は猫に坊っちゃんくらいしか読んだことがない。先日いつものスーパーの雑誌売り場で妻が買い物の間、立ち読みをしていたら、別冊宝島、名作クラシックノベル”夏目漱石”を見つけた。ジジイにとって漱石なんて、いまさら人に聞けない何とかの類で、まともな本屋で買うのは小恥ずかしいようなものだから、いつも立ち読みする負い目もあって、たまには買ってやらなくてはと、レジの空いた時を狙って買って来た。仮名遣いが現代風になっていて漢字にはルビがふってあるので、今の若者ばかりでなくジジイにも読みやすかった。 |