07.02.06(TUE) | 鍋割山 | 赤城山 |
どうなっているのか気になっていた前不動コースを登ってみることにした。ノートを見ると2000年には2度このコースを下っている。その後、冬2度ほど下ろうとしたが、山頂直下の分岐から先が雪と雪に覆われた潅木の枝に遮られて歩けなかった。早いものでもう7年間この道を歩いていないことになる。 |
コース:前不動コース登山口11:15→鍋破山前不動12:35→山頂下の案内板12:50→山頂13:10-13:50→獅子が鼻14:35→獅子が鼻コース登山口15:10→前不動コース登山口15:20 (所要時間4時間05分) 登山口:前不動コース登山口は、鍋割山の裾を巻く林道の、ゴルフ場への分岐から2〜300m北。獅子が鼻登山口は青年の家への分岐にある。両方の登山口は林道を歩いて10分程度離れている。 駐車場:少し北側に林道の舗装の巾を少し広げたような3台程度停められるスペースがある。トイレはない。 |
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鍋破山前不動コース登山口付近 正面が鍋割山 |
この道、整備されていないのかなあと、ちょっと覚悟して来てみたが、登山口には真新しい道案内が立っていて最近整備されたことが分かりほっとする。道路沿いの松の林を突っ切ると広々と整備された茅場で、この茅場は獅子が鼻コースのあたりまで続いている。冬場は陽当りの良い気分のいい所だが、昔から軽自動車が一台放置されていて雰囲気を壊している。それにしても日本の車の塗装は優秀で、何時までも朽ちないなあ。 | ||
登山口から駐車スペース |
茅場の入口に石柱が立っている。壊れた鳥居で、鳥居としてちゃんと立っている姿を知っているから壊れたのはそれほど昔ではない。刻まれた文字に拠れば、明治8年に大胡町の藤沢重吉という人が寄進したものらしい。この真っ直ぐ山に向う道の少し上にも、大きな石碑のようなものが二つ三つ建っていたが、今はその姿は見えない。やはり倒れてしまったのだろう。ほかにも道はあるが、少なくとも幕末から明治の初期、この道が鍋割山信仰登山の特別な道であったことが伺える。 | ||
鳥居の名残の石柱と鍋破山 |
茅場を過ぎると植林された唐松林があるが、ほとんどの木が鹿の食害を受けている。遠からずこの林は全滅である。全滅といえば林道より下の松も枯れ木が目立ち、青年の家あたりの林は皆伐されてしまった。その下の林もやけにスケスケになったと思ったら、こちらは別荘地の売り出しのようで、すでに立派な家が建っている。バブル崩壊以降、赤城南面の変化はかえって凄まじい。その変化をいつの間にか完成している舗装道路が先導している。 | ||
鹿の食害 |
真っ直ぐな道 この笹の道は、私が歩き始めた頃の赤城山の道の面影を残している。鍋割山の尾根も駒ケ岳へ登る尾根も、ズボンの裾で笹を分ける道だった。 |
前不動のある岩場が見えてきた。 |
前不動コースの道は基本的に真っ直ぐである。かなりの勾配がずっと続くがジグザグはほとんど無い。その上道が痛んでいないから足裏を水平に置けるチャンスは少ない。常につま先上がりで登るのでちょっと辛いし、靴が合わなかったら踵が擦り剥けそうである。逆に下りは楽で早い。途中、一息つくのに丁度良い頭の平らな大岩がある。更に登ると頭上に大岩が累々と重なる岩場の下を通り、2箇所ほどトラロープに助けられて登ると、やがて大岩の下の前不動の前に出る。 |
鍋破山前不動は大岩の下に一人佇んでいる。憤怒の表情で悪をにらみつける不動明王様だが、体格は細身で光背も無く素朴なお姿である。以前片腕が下に落ちていたが、補修されている。剣も砕けたのか以前は無かった金属製のものに替えられている。横の石碑には鍋破山前不動と書かれていて、今の鍋割山とは字が違う。下の台座には文化(200年前)、再建立という字が見えるが、その割には御像のほうは風化が進んでいないように見える。赤い塗装を定期的に続けることで風化を免れてきたのだろうか。不動明王様は何故か滝に縁がおありのようで、崖の上に白いツララが見えるが、ここも枯れ沢の下の枯れ滝である。 | ||
鍋破山前不動尊 |
鍋割山前不動全景 | 石碑 |
鍋破山前不動を左に巻いて、その上の枯れ沢の縁を登る。トラロープが二箇所ある。最後の長いトラロープで沢を詰めると鍋割山山頂直下の台地に抜ける。雪はほとんど無いが落ち葉の下がツルツルに凍っているところもあり、やはり冬季は要注意である。転がれば前不動まで一瞬で下ることになる。問題の台地の潅木の枝は奇麗に払われていて、道が失われることは無かった。獅子が鼻コースとの合流点には、登山口にあるのと同じ新しいしっかりした道案内が建っていた。地元の複数の高校の山岳部の生徒達が、道を整備して立ててくれたらしい。 | ||
トラロープの登り |
2月だというのに残雪も霜柱も無く、乾燥した陽当りのいい南面の丸太の階段を登って山頂に出る。誰もいない。暖かく快晴だが春のように霞が深くて隣の榛名山も見えなかった。 先日(2月1日)の新聞で、黒檜山に一人で登った55歳の女性が遭難して亡くなったことを知った。私も毎年一人で登っているのでショックを受けた。山岳会に所属する登山歴30年のベテランだという。詳細は知る由も無いが、経験や体力の問題ではなく、人間なら誰にでもある小さなミスや不運が重なったと言うことなのかも知れない。私も一人で歩くが、やはり一人で歩くのはリスクが高い。それは承知で登ったはすだが、遭難は不本意なことであったのではなかろうか。冥福を祈るばかりである。 |
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山頂直下 雪は全然無く、霜柱が融けた跡も無く乾いている。 |
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