2005年度は列島横断Yearだったようです。何度出雲に行けば気が済むのやら。(笑)
では、断片的な記憶とメモ書き、デジカメ写真で振り返る2005年度の列島横断記録のはじまりであります。(旅行は2006年3月 執筆は2009年5月)
土日きっぷ購入して朝から乗り放題。おバカにも程があると思いつつ、目的地は安房鴨川なのにも関わらず、ガーラ湯沢行きの上越新幹線に乗車して、無駄にガーラ湯沢に向かう。スキー客が大量に乗っており、ほぼ満席。大清水トンネルを抜けて越後湯沢の白い車窓が広がると歓声が上がる。列車は越後湯沢で切り離し、在来線扱いのガーラ湯沢に到着。
ガーラ湯沢では、「ふーん、こんなもんか。」という程度にスキーの受付を見てまわって、滑るわけでもないのでそのまま同じ電車で帰ることにする。ここまで乗ってきたE4系に乗車して、そのまま東京まで帰る。が、東京で降りずに上野で下車。常磐線で北千住に行き、北千住から緩行線に乗り換えて亀有へ。
亀有では最近オープンした都内最大のショッピングモール「Ario亀有」を見物。東京に戻って今度は京葉線地下ホームへ。やっとこさ本来の目的地である房総方面へ向かう特急「わかしお」に乗車。
無駄に動き回っていたので「わかしお」車内ではほとんど寝ていた。終点の安房鴨川で下車して全員と合流。
安房鴨川の宿で大騒ぎをする。
一応、卒業生を追い出すので、追い出される先輩方にプレゼントを渡します。
卒業生の当時二次元ヲタに沈んでいた南風氏には「祝 二次元卒業」、同じくケチで一世を風靡していたわっち君には「祝 ケチ卒業」と表書きを入れた熨斗付きプレゼントを渡して爆笑を誘います。 一方、対象的に中野かずさ君は、南風氏のハマっている「D.C.S.S ver.1」のDVD、わっち君には「貯金箱」と「わたしがやればお金が貯まる」という本で、これまた爆笑を誘いました。
その後、部屋にてDC批評なんぞで突っ込みどころ満載の設定の論議。
大音量のいびきでなかなか眠れなかった。起こされてから1時間以上経過、やがて美しい朝日が差しこむ。あまりにきれいな朝日にしばし見とれる。
宿から安房鴨川ではなく、太海駅まで送ってもらう。これからの目的地は高崎になる。太海駅からは113系で安房鴨川に出る。安房鴨川から特急車両を利用した普通列車で安房勝浦まで出る。安房勝浦から特急になるので、普通列車派の人はここで戦線離脱。自分は特急に乗車したまま東京へ向う。ピヨピヨ君と東京駅地下にあるパスタ屋さんでパスタをいただく。
東京から長野新幹線で高崎に向かう。が、あまりに早すぎるので高崎を通り過ぎて長野まで行ってしまった。土日切符なんで。長野から善光寺に行ってみることにした。長野から長野電鉄に乗って善光寺下まで乗車して、そこからのこのこぶらぶら歩いて善光寺へ。善光寺に着いたはいいが、門は白い壁に覆われていて工事中の模様。あまりにも残念賞。
結局参拝もそこそこに長野電鉄に乗車して長野駅に帰る。ちなみに行きは元東急の8500系、通称「汚物」で、帰りは元営団2000系、通称「マッコウクジラ」でした。
長野から新幹線に乗ってそのまま高崎へ。で、高崎駅ホームで寒い中写真を撮影してアパホテルに宿泊の皆さんと合流し、カラオケに突撃。その後は寝台特急「北陸」の見物に走った。
明けた朝、今度は信越線に乗車して横川に向かう。横川から他大学の鉄道研究部の皆さんと合流して、お遊びというのも難ですが、交流会でした。
当然ながら横川にある碓氷峠鉄道文化むらに入るわけで、そしてその自己紹介中に、子供が使うようなアトラクションが色々な音声を出すのですが、中野かずさ君の自己紹介中に
中野かずさ:えーと、ワタシはー……
アトラクション:セーラームーンよ!
一同:ハハハハハハハハハハ!
アトラクションマシーンがおいしいところを全部持って行ってしまいました。
そしていろいろと見学してお食事。もちろん「峠の釜めし」なんですが、1個だけ足りない。仕方ないので、トップの私が辞退することにした。食事をしながら盛り上がっていました。
189系先頭車両(189-506) 183系をEF63形電気機関車と強調運転できるように改造した電車。長野新幹線が開業するまでの間、信越本線の特急「あさま」として活躍した。一部が中央本線に残り、「あずさ」や臨時列車に使用された。 |
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189系運転台 183系の運転台をそのまま引き継いだ印象の運転台。 中間車両が485系であったため、交流機器を撤去していることを示すと思われる注意書きがある。 |
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EF63形電気機関車 10号機 碓氷峠をエスコートするためだけに製造された機関車のEF63形。2両1組で峠の下側に連結される。 急勾配を運転するために、速度を検出する小さな車輪や、電磁吸着ブレーキをはじめとする複数のブレーキを装備したいかつい機関車である。 軽井沢方には、連結する車両に合わせた複数のジャンパ栓を装備している。写真は横川方。 |
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EF63形電気機関車 運転台 通常の機関車よりもメーターが多い。速度計は左上のメーター。パネルの上段は電圧計と電流計3個、下段3つはすべて圧力計。勾配運転に重要な電流の変化とブレーキ圧力を絶えず監視していた。 |
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D51形蒸気機関車 日本を代表する蒸気機関車のD51のうち、北海道で活躍した96号機が展示されている。写真では分かりにくいが、初期の半流型(ナメクジドーム)を装備している。 この日は999号のヘッドマークを掲出していた。 |
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EF80形電気機関車 常磐線・水戸線の交直流電化に対応するために製造された機関車。特急や貨物列車をけん引して活躍したが、60ヘルツ対応のEF81形に置き換えられ、国鉄時代に全車両が引退した。碓氷峠鉄道文化むらのこの車両は水戸線用に製造された63号機。 ヘッドマークは「はくつる」 |
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EF53形電気機関車(左) 東海道本線の沼津電化後に活躍した電気機関車。1932年から製造され、東海道本線の優等列車の牽引を中心に活躍した。戦後に蒸気暖房を装備したEF58が登場するまで、東海道本線のエースとして君臨した。 ヘッドマークは「出雲」を掲出。 |
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キハ20形一般気動車 |
食事が終わると、今度は碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」まで歩きます。碓氷峠の旧線(廃線跡)を利用した遊歩道ですが、当然ながら上り勾配が連続して続きます。そのため一部脱落者が出たりします。普段は饒舌な人もだんだん口数が少なくなってきたりします。
13時10分 鉄道文化むら脇のスタート地点に集合。 若干遅れてスタート。 |
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13時23分 碓氷峠鉄道文化むら方面を振り返ってみました。 |
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13時36分 丸山変電所に到着。 ここで5分ほど休憩。 ……という名の見物時間。 |
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13時53分 峠の湯付近に到着。 右側が本線で立ち入り禁止の看板が奥に見える。 左側が旧線。 |
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14時8分 第一号トンネルに到達。これよりトンネル内に入ります。 |
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ちなみにトンネル内には一応照明があります。 | |
14時15分 2号トンネルに入ります。 |
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14時18分 2号トンネルを抜けたところに碓氷湖があります。 下に降りると湖畔を歩けます。 |
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14時33分 碓氷第三橋梁(眼鏡橋)の上より かなり有名な碓氷峠の本線橋梁の写真。 ここから撮影された写真があちこちで見られます。 |
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14時40分 碓氷第三橋梁(眼鏡橋)の足元に降りてきました。 |
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ちなみに 碓氷第三橋梁より先は進めなくなっています。 |
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15時22分 ようやく峠の湯まで戻ってきました。 |
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16時49分 峠の湯でのんびりしてから戻ったのでこんな時間に。 碓氷峠鉄道文化むらの近くまで下りました。 |
帰還したはいいが、もうすぐ閉館時間となるのに一部が戻ってこない。電話をかけても県外で通じないのは暴堕本(ボーダホン)仕様。結局来るまで待つはめになった。
その後は高崎のロイヤルホストで交流会という名の食事会。黒こげのグラタンが出てきた。
お先に失礼して「たにがわ」で東京に帰り、東京から乗車するのは寝台特急「出雲」。
間もなく廃止となる寝台特急「出雲」は、ヲタク様満載での運転でございます。私としては満員は良いのですがいつもと違って落ち着かないので、早いとこ寝てしまいました。そしていつも通り6時40分ごろに目が覚めて、7時10分に餘部橋梁を通過。浜坂で「元祖カニ寿司」「さよなら出雲幕の内弁当」を購入。そのままかに寿司を食べつくして鳥取へ。鳥取を発車したら寝る。
終点の出雲市で下車。カメラの砲列が沿線にあった。駅は東京ほどではないがパニック状態であった。
出雲市駅からバスに乗って日御碕へ行ってみることにした。日御碕は出雲半島の北端。日本一のっぽな灯台がある場所。
出雲大社の脇を通過して、海岸線に出る。進路を北向きに変えてバスは行く。車窓左手は日本海。しかも断崖絶壁。話恥過運転だったら昇天間違いなし。右に左にハンドルグルグル。 ループ線が特徴的な「宇竜分かれ」という停留所を過ぎると、日御碕に到着。しかし、岬という感じではない。日御碕神社が目の前にある。とりあえずお参りをしておく。なにやら改築中らしい。
山の上のほうには稲荷があるようだ。怖い顔をした狐が何匹も・・・・・・。像だけならまだしも、その頭の上にスズメバチが止まっているので、下手に動けません。狭いのでかまわず進めば30センチくらいまで接近するので、最悪、攻撃されます。序盤から危ない橋は渡りたくないので避けました。
神社を出て少し歩くと海に出ます。ウミネコが多数飛んでおり、沖合いにある島はウミネコだらけ。繁殖地みたいね・・・・・・。暫く海を見ながら丘を上がっていきます。日本一のノッポ灯台、日御碕灯台が見えてきます。うまいこと、日御碕灯台に行く前に商店街があります。まぁ、今から買い込むと邪魔になりそうなので後で・・・・・・。
さて、日御碕灯台の下に着く頃にはすでに昼を回っておりました。持っていた弁当を広げて、海を見ながら食べます。いやはや、国立公園だけあって眺めがよい。食べ終わったら灯台に行ってみます。鉄研で行った犬吠崎灯台よりも当然ながら高いです。 えっとー、犬吠崎は99段でしたがー、日御碕はなんとぉ〜、163段もあるんですよぉ〜。ピヨピヨの旦那様が「ママー!」になることが間違いないわけぇ〜。
で、天辺に着きました。「たかーい! 眺めいいー! 風強ーい! こわーい!」
さて、灯台から降りたら海辺の道をどんどん歩いて行きます。出雲松島と呼ばれるようなすばらしい眺めも見れた。すばらしい場所です。気づけば宇竜漁港に居ます。お魚さんの香りがします。しかし帰り道がわかりません。適当に歩いていくとお寺があり、稲荷があり・・・・・・。 気づけば例のループ線に出ました。バス停の時刻表を見れば、もうすぐバスが到着するらしい。待っていると後ろの茂みがガサガサと音を立てるので、サルかイノシシか、はたまた食料を探す菅井家の誰かが出たかと思って振り返ると、そこには普通のおばあさんが・・・・・・。ここって人のとおる道じゃないと思うのだが・・・・・・。
日御碕神社 |
ウミネコの巣になっている岩場 |
防波堤もウミネコがいっぱい |
日御碕灯台入口 |
真っ白でノッポな日御碕灯台 |
少し離れた場所から |
灯台からの眺め |
出雲松島 |
おわし浜 |
ビックリしつつバスを待つ。しかし、乗るバスはどう考えても反対側に停車しそうな感じがするのね。来たときの記憶からすると・・・・・・。すると、案の定反対側から来た。急いで逆車線に走って行き、飛び乗る。さよなら日御碕・・・・・・。その後、出雲大社へ行き、一畑電鉄の駅に着くと列車が行ったばかりなので、旧大社駅で遊んでから帰る。
寝台特急「出雲」を見送った後、後発の特急「やくも」に乗車して倉敷へ。倉敷にて宿泊。
翌朝、倉敷から山陽本線の快速サンライナーで新倉敷へ。117系である。そして新幹線に乗って福山へ行く。わざわざ0系を選んで乗車。福山駅に到着すると、福山駅在来線の接近メロディが「百万本のバラ」なのにびっくり。少々エキゾチックを感じながら再度山陽本線で尾道に行く。
まず、造船所がたくさんある。我が母の実家、浦賀に行くと、今は無いが昔は造船所があった。大きな、海上保安庁かなにかの船を作っていたようだが、ここでも大型の船が造られていた。この雰囲気は好きだ。
さて、映画「男たちの大和」のロケセットを見るか、山に登って町を眺めるかで迷ったが、向島に渡る船からロケセットを見ると、人が大量に。ならば山に登るかと思い、山のほうへ。すると神社仏閣が多数あるらしく、細い路地に案内が立っている。すると神社仏閣めぐりになってしまい、あちこち回る。賽銭が無いので、ひたすら手を合わせてまわる。途中で写真を撮りまくり。
持光寺 |
宝土寺 |
おのみち文学館(滋賀直哉邸) |
千光寺から見る瀬戸内海 |
山陽本線を眺める |
しまなみ海道と造船所 |
山の上に上って千光寺へ。まぁお守りを買って、中に観音が入ってるとか何とかと説明を受けたのはいいですが、着けたところ、夜になるころには、ふたが脱落して観音もろとも行方不明になっていました。
最後はロープウェイで一気に下ってきまして、あとは線路沿いにホテルまで歩いて行きました。撮影ポイントを見つけて列車の撮影なんぞもして、充実した一日でした。
4日目。この日の観光地は「大学」なので、尾道から213系の普通列車で岡山に行き、岡山からひかり372号で一気に小田原へ。小田原から大学まで行き、呼び出された就職課でウダウダとやってから戻ります。
用がすんで夜の熱海駅に戻ると間もなく運転終了の113系東海道線が停車中。そして寝台特急「出雲」も見物。そして後発のサンライズ出雲のノビノビ座席で再度出雲市へ。
米子に戻って旅行再開。米子から境線に乗車して境港へ行く。鬼太郎列車がチャンチャンコ柄になってて天井がブルーになり、車内は落ち着いた印象。気づけば米子駅がねずみ男駅になっており、終点境港に到着すれば、もう妖怪だらけ。水木しげる本人の像まであった。
水木しげるロードを通過して、水木しげる記念館へ行き、いろいろと見物した。
一通り見たら駅に戻り、境線で米子へ。米子から倉吉へ向い、倉吉で出雲を見物。そして鳥取まで行き、宿泊。
最終日、鳥取で出雲を見送り、出雲パネル展を見物。特急で米子に行き、米子駅構内での写真展を見る。さらに今度は米子れいるろおど館に行って、また出雲展を見る。まさに出雲ずくし。
NHKの取材班がれいるろおど館に来て、たまたまいた元おねい様方に特急「出雲」について取材をしていましたが「鳥取から出たことがない。」と、実に返しようもない回答をしていたのは笑った。
夜は出雲市から寝台特急「出雲」のラスト乗車にて帰ります。出雲市駅はもういつになく大盛況になっておりました。
車内も相当な乗車率で、カメラを持ったのが右往左往して落ち着かなかったですけど、それでも満喫できました。
途中駅でちょいとトラブルがあったようですが、自分はあまり気になりませんでした。ただし泥棒はよくないですよ。
そんなわけで、ラスト乗車は終了しました。
ありがとう、さようなら、特急「出雲」