九州合宿記録

 2004年8月30日朝、折しも台風16号、アジア名「チャバ」が接近する中、九州合宿へ向けて家を出る。天気は台風の接近を思わせない快晴。ところが出発時にトラブってしまい、当初は沼津行きに乗って行く予定であったが、戸塚に着いたころには沼津行きははるか西のかなたへ走り去っており、仕方が無いので予定に間に合わせるため、特急東海1号の自由席券を購入して、たまたま停車中の横須賀線に飛び乗って大船へ向かった。

 時間が中途半端だったので、大船で少し待ち時間がある。なんだか知らないが183系が停まっていた。上りのラッシュで遅れが出ている東海道線東京行きのひっきりなしの発着を見つつ、待つ。

 

 特急東海1号は半ば空気輸送の状態で大船に到着した。早速乗車して、昨日ヨーカドーで買い込んだパンなどを食べつつ、一路静岡を目指す。発車は7時54分。それにしても東海道線の大船以西に乗るのは久々だ。次の藤沢ではアイボリーにブルーのラインという、どう見ても新幹線の模倣塗装としか考えられない鈍足鉄道を横目に通過。つぎは考えるまでもなく平塚に停車だ。それはともかく、サザンの街であって間違っても加山雄三などと言いたくない茅ヶ崎駅付近では、加山雄三の呪いとでも言うべきか大雨に見舞われる。しかも茅ヶ崎駅の前後だけという限定豪雨。

 貨物列車と競争しながら相模川を渡り、平塚で大船を先に出た東海道線に追いつき、先に発車。次は小田原だ。国府津付近でまたもや雨に見舞われるが、どうやら雨は局所的に降っているだけのようで、こちらもすぐに止んだ。小田原で客が入れ替わり、次の熱海を目指す。車窓左手に海が広がる東海道線のハイライトとも言うべ根府川では、時折ものすごい横揺れが起こって頭をぶつけた。

 熱海駅で一瞬300系を目撃。ここからJR東海の管轄に入るわけだ。丹那トンネルを抜けてさらに西進し、函南を通過して三島に停まる。新幹線の電留線は良く見えず。やはり降りないとだめだろう。この次に停まるのはお隣の沼津ということで、やはり居ましたタダ乗り野郎。車掌さん、こういうときこそ検札をするものですぞ。ちなみに本来の予定なら、沼津からこの列車に乗る予定であったので、遅れを取り戻せたことになる。

 富士、清水と停車し、「AMBITI OUS JAPAN! のぞみはいつも、通過線」の静岡に到着。この私が勝手につけたキャッチコピーのせいで怒り狂う変人が治める県の中心都市でございます。9時35分の定時だ。ここで新幹線を撮影するつもり。入場券を買って荷物を持ったままホームへ。天候が不安定で太陽が出たり曇ったり雨になったりと忙しく、露出がアンダーになったりして大変だった。三脚は持っていたが使用せず、手持ちでいろいろ撮影した。500系が通過した後はものすごい大雨になり、しぶきを巻き上げながら走り去る700系は圧巻であった。その他、E231系の試運転が居たり・・・。

 予定では11時55分の列車に乗って浜松へ向かうつもりであったが、撮影条件が厳しいの繰り上げて11時35分の列車に乗って行くことにした。車内はそこそこに混んでおり、明らかに鉄ヲタと分かる人物も同乗していた。最初は座っていたが、途中で席を譲ってからはずっと立って乗車していた。ヒマだったので前面を見ながらMDを聴いて時間を潰していた。浜松に着けば反対側に到着する新快速の大垣行きに乗車する。前方にアクトタワーが見え、間もなく浜松だ。降りて反対側のホームへ行けば、見覚えのある五人組。1年生の集団と会ったわけです。

( ・∀)人(・∀・)人(・∀・)人(・∀・)人(・∀・)人(・∀・) ナカーマ!

 彼らと一緒に列車に乗り、名古屋まで向かいます。地味な地名の蒲郡はいつの間にか高架駅へ生まれ変わっていました。地味なのは変わらないけど。話をしながら間もなく名古屋に着く様子。ここから関西本線に乗りかえて大阪を目指す。・・・・・・つもりであった。そのまま乗車していく一年生と別れ、昼食がまだだったので、乗換えに余裕がある今のうちにと名代きしめんを食べて関西本線のホームへ。と、程なく放送が入り、「関西本線は大雨のため、次の列車から運転を見合わせいたします。近鉄への振替輸送を実施しております。」と。えー、周遊券だから切符の変更を出来ないし。クレジットで購入したからなおさら出来ないし。でも振り替えをやっているからと思い、近鉄のホームへ行こうとすれば、「近鉄も運転を見合わせました。」と。八方塞な状況に陥った。まぁ、こういう不測の事態も旅の楽しみと思えば・・・・・・、ね。

 仕方が無いので経路指定を無視して東海道線経由で行くことにした。いつだか長崎本線が架線支障で止まった時は、大村線経由で振替をやっていたし、だったら関西本線がダメなら東海道本線でいいじゃないかという魂胆。最初は新幹線に乗ろうかと思ったが、たまには在来線でいいかと・・・。
 ちょうど到着した都合のいい列車、つまり米原行きに乗車。混雑は岐阜を過ぎ、大雨の大垣を過ぎ、米原まである程度続いた。変なバンドと思われるやつらの巨大な手回り品が邪魔。人より物が混雑していた。ただでさえ混雑する区間、荷物様が場所を占拠しているので、それはもう・・・・・・。

 米原から新快速に乗車。もう疲れ果てて寝てしまった。この時点で山陽新幹線は全線運転見合わせ。在来線は相生までしか動いていなかった。新大阪に着き、一日乗車券を買って御堂筋線に乗って今日のホテルのある江坂へ行く。チェックインして台風情報他をチェック。今日朝の時点で九州行きの客車列車は全て運休が決定していたようだ。18時ごろにウォーリー君からのメールによれば、西進中とのことで、彼らはもしや相生以西運休を知らないのかと思い、大阪でホテルの手配をしようかとおせっかいなことを考えて、三度ほど電話をしてみたが何故か通じない。まぁ、三人寄れば文殊の知恵というから、自分達で何とかするだろうと思い、自分は夕食に出かけた。三人寄れば文殊の知恵だが、五人寄れば支離滅裂という、嫌な予感もしたが、危機的状況なので支離滅裂は無いと思うが。

 御堂筋線に乗ってミナミの繁華街へ。寿司やらたこ焼きやらを雨の中食べて、戎橋で中国人観光客と英語やら中国語やらで四苦八苦しながらカメラがあーだこーだ(要は写真を取ってもらいたかったらしい)と話をしたり、ウザイ勧誘を「いらない。」で切ったりといろいろやった。で、おヴァカな私は地下鉄を乗り継いで、東西線に乗ってあろうことか台風で大荒れのはずの大阪港に行ったのでありました。ところがどっこい超穏やかなわけです。なんでしょう。期待はずれな・・・。もう遅いからホテルに帰るとちょうど風が吹き荒れ始める。タイミングだけは良かったようだ。

 この日の宿:スーパーホテル新大阪・江坂

 31日、何事もなかったような朝。外を見れば落ち葉やらが散乱している。ホテルの庭の植木も倒れている。しかしながらチャバはどっかへ行ってしまったようだ。朝食を食べ、インターネットで情報収集。と、岡山〜福山間が人身事故で運転見合わせと。一年生にとっては災難続きだ。つーか、連絡無いけど生きているのか?
 チェックアウトして大混雑の御堂筋線に巨大な荷物を持って乗り込む。超迷惑人な私。新大阪で降りて、荷物をコインロッカーに放り込んで、三脚とカメラとレンズを持って新大阪駅ホームへ。0系フレッシュグリーンを始め、大阪第二車両所新大阪支所に入庫する300系や、東京方面から入線する列車を、コンバージョンレンズを使って超望遠で撮影するなどいろいろ試してみた。20番線ではフレンドリーな清掃員さんと喋りながら楽しいときを過ごした。しかしながら、昨日とは打って変わって快晴。ズームレンズを使っても露出は余裕だ。走行速度も遅いし。唯一誤算だったのは、台風の影響で発着番線の変更が多かったことか。
 撮影を終えて、駅のラーメン屋で昼食。ジャージャー麺があった。ジャージャー麺は好物なのでちょっと高いが頼んでみた。が、これが大外れ。マズイマズイ。肉味噌がちっとも辛くない。むしろ苦い。ネギが多すぎでよけいに苦い。これだったらam・pmの採れたて弁当の方がよっぽど旨い。ここでは二度と食わない。
 そろそろ博多行きの「ひかり365号レールスター」の乗車時間が近づいてきた(といっても1時間以上先である)ので、ホームで同乗する47君、エロ川君、ピヨピヨ君を待つ。ピヨピヨ君の乗っている新幹線は順調に動いているようだし、エロ川君の乗ったバス「おけさ号」も動いたようだし、シナ君は前日にはこっちに来ているはずなので、たぶん全員揃うだろう。
 ピヨピヨ君の乗っている「のぞみ13号」が到着。買ってあげた切符は何号車だったっけ? 7号車だったかな。自分はレールスターの8号車個室側の入り口付近に居るから前のほうから来るな。と、見ていれば、遠くにエロ川君とピヨピヨ君の姿が。とりあえず合流です。

( ・∀)人(・∀・)人(∀・ ) ナカーマ!

ピヨピヨ君とエロ川君が駅弁を買っている間にシナ君も登場。東海道本線の遅れで危うい状況だったとか。

( ・∀)人(・∀・)人(・∀・) 人(∀・ ) ナカーマ!

 程なくして「ひかり365号レールスター」が大阪第二車両所からやってきた。発車は予定通りの21番線。編成はE15で、レールスターの最終編成だ。4人用個室は8号車の東京寄りにあり、指定を受けた1番は4つある個室のうち、博多寄りの海側だった。
 荷物が多いのでちょっと狭い気がする。で、ピヨピヨ君の伝説を録音するためにマイクをセットした。

 車内でやることは、とりあえずピヨピヨ君を笑わせてる。笑の沸点が低いので、3人がかりで総攻撃だった。以下、会話の一部を抜粋。

 集合時間が30分繰り下げなので若干の時間がある。写真撮影、エロ川君曰く、ブキーミヲターク行為を開始した。エロ川君のカメラは後で酷い仕打ちを彼に与えることになるわけですが・・・。
 集合時刻が近づく中、撮影を終えて集合場所へ。
かずさ君登場。早速やかましい話をするので当然無視・・・。

プイッ (∀・ )  ヽ(゜∀゜;) ナ・・・・・・

 チャバとマグロで散々な目にあっていた一年生の皆さんがようやく登場。さて皆でホテルに行きますか。ホテルに向かって歩いていくが、シナ君が地図を忘れたらしくアバウトな動きを・・・・・・。私も地図を見ずに歩いていき、道に迷う。後ろには流れについていくだけの集団がゾロゾロ。で、なにか違う方向へ来ていると思い、地図を出せば、曲がる交差点をものすごい勢いでオーバーランしていることが発覚。引き返す。
 スーパーホテル博多駅前は、スーパーホテルっぽくないライトグリーンの看板を掲げていた。近くに来るまで分からなかった。すぐそこには鹿児島本線がある。

 夕食をどこで食べるかでもめた。というか、決まらなかった。何しろこれだけの大人数。簡単に全員は入れるところなど無いだろう。方針は博多に来たんだから博多ラーメンという方向で一致をしていたが、なんせいろいろあるし。個人的には中州・天神のほうに行くのは気が引けた。近場ですませたいところ。情報誌を見たところで行って見ないと分からないので、とりあえず出かけた。
 あちこち歩き回ったが、結局ヨドバシカメラに入っているラーメン屋となった。結構空いている。ラーメンと替え玉注文。
 食事が終わると余興をするつもりであったが、賛同者が居ないうえに旅行中ということで、個人的に気乗りもしなかったのでなしになり、自由行動。ヨドバシカメラの模型コーナーでめぼしい物を探す。建学祭に出そうと考えている300系シングルアーム改造車に供する300系の増結がどこへ行っても無い。最近出たキハ187系はまだ残っているようだ。

 ヨドバシカメラを出て、博多駅で明日の新八代からの切符を購入してホテルへ帰る。3階の部屋なのに間違って2階に降りてしまう。部屋でパソコンをつけていろいろやってから再度お出かけ。目指すは博多駅。

 博多駅でのお目当ては、「こだまレールスター」。あと、バルブ撮影をやってみることが目的だった。なんせ今までのカメラはバルブ撮影が出来なかったもので。しかしながらISO400のフィルムはこの光量でも案外感度が良い。思ったような長時間露光が出来なかった、200とか100でやってみるべきだったかもしれない。貴重な白と青の0系も見ることが出来た。すでに4編成しか残っていないとのこと。到着ホームは既に明かりが消されている。もう到着する営業列車が無いからだ。こちらもほとんど人が居ない。一応気をつけながら三脚を使って長時間露光の練習をした。

 部屋に帰って就寝。ところがほとんど寝付けなかった。3時間も寝てない。

 なんせ朝4頃にはすでに覚醒していた身、日も出たか出てないかという時刻に買い物に行く。脱脂綿が欲しかったが近くのコンビニでは扱っていない。しょうがないので帰ってきた。やがて朝食の時刻になり、7時を少し過ぎたあたりからパンの奪い合いに参戦。シナ君が居て、エロ川君が後からやって来た。一年生の皆は寝起きがいいらしく、早くに全員が揃っていた。ピヨピヨ君は「1人じゃ行けない。」のではないかと心配したが、ひとりで来た。成長したもんだね。

 リレーつばめ9号に乗るのだが、駅には各自集合ということで、1人でホテルを出て駅前を歩き回り、コリーナさんと睨めっこしてホームに上がる。乗車口がどこだか分からないので、とりあえず自由席付近で待っていた。その間に破れた三脚の袋を縫い合わせて、三脚の脚が飛び出さないようにした。一年生も周りに居た。自分の居た場所は4号車指定席と5号車自由席の間あたりだったと思うが、今日に限って妙チクリンな団体が5号車を指定席化して強制的に占拠するという愚行をするお陰で禁煙の自由席で新八代まで行くのは6号車のみ。下手をすると座れないという状況になる。
 南風氏の乗った「さくら・はやぶさ」が博多駅に到着する。写真を撮ってから急いで乗車位置に移動。一挙に大行列と化した。個人的には熊本総合車両所の建設地を見たいので右側の席を何とか確保したい。列車が入って扉が開くと、一斉に中に雪崩込み、空いている右側の席を確保。隣には見知らぬオッチャンが座った。

  

 リレーつばめ9号は定刻に発車し、順調に南下。線形の良い鹿児島本線をとばしにとばしている。5号車を占拠する国賊のせいで息苦しい感じは否めない。隣は見知らぬオッチャンだし。南風氏の乗った「はやぶさ」を久留米で追い抜く。というか、隣のホームに停車していたのだが。久留米を出て一部の「リレーつばめ」や「有明」が停車する羽犬塚を通過。普通しか停車しない船小屋は当然通過で、その次の瀬高はやはり一部の特急が停車するがこの列車は通過だ。しかしながら将来九州新幹線の駅が出来るのは、羽犬塚でも瀬高でもなく船小屋である。

 大牟田を出てからは、半年前はほとんど寝ていたために未乗区間に等しい。見たことの無いはずである景色が広がる。熊本では後ろを切り離し、乗客が入れ替わる。次が新八代だ。建設中の熊本車両基地の脇をすり抜けて、建設中の九州新幹線高架の脇を快走する。
 相変わらず到着10分前くらいから流れる気の早いアナウンス。下車準備を始める人まで出てくる。まだまだ時間がありますよ。千丁まだ過ぎてないし。やがて速度が落ち、渡り線を渡れば間もなく新八代。フリーゲージトレインの実験線を横目に坂を駆け上り、やがて電流線と平行に走って駅に進入。右手に見える白い車両が九州新幹線「つばめ」だ。

 この「つばめ9号」に乗るのではない。次の「つばめ43号」に乗車する。とりあえず対面乗りかえの写真を撮る。鉄研が誇るセクシーボーイわかしお君が見事にど真ん中でカメラ目線を決めてくれた。グッジョブ! それから改札を周遊切符で通ろうとすると案の定閉まってしまう。新幹線改札なのでしょうがない。窓口で切符を見せて通り、駅の外観を撮影。しかしながらちょっと近すぎた感がある。在来線ホームの端辺りから撮影したほうが綺麗に写りそうだ。そしてホームに帰り、人が少ないのをいいことに走り回る。大望遠で進入する乗車列車を撮影したかったが、曲線でしかも障害物が多すぎて屋根しか写らないという有様。木久蔵師匠いわく「やーねー」。南風氏が登場。ここから一緒に南下する。撮影した列車は折り返し「つばめ43号」となる。折り返し時間はわずか十数分。東北新幹線並みの早業で車内整備を行う。巻戻ししているエロ川君のカメラが異常な音をたてて回っている。カメラがフィルムを巻いていない。ふたを開けたとき、彼は憮然としてしまった。私も一度経験したが、撮影した写真がふいになるのは結構ショックが大きい。ちなみに私の場合は中学卒業の時の記念撮影がパーになったことがある。

 乗車可能になったので乗車して荷物を網棚の上に・・・。程なくして列車が発車する。かずさ君曰く、「加速が異常に良くありませんか?」 それもそのはず。加速度は山陽新幹線の早いもので2.0km/h/sの加速力があるが、800系「つばめ」はそれを上回る2.5km/h/sを持っている。最高速度は260km/hだが、速度種別の頭文字は「S」ではなくて「U」、つまり300km/hでの走行も余裕である。
 新八代からは7割がトンネル。山岳地帯を短絡する構造だ。車窓のハイライトは新水俣〜出水間で西側に見える不知火海くらいだろう。

 それはいいとして、車内を見てまわる。これは半年前もやったが、またやってしまう。というか、新幹線に乗ると必ずといっていいほど車内を見てまわってしまう。何度もやっているのに・・・。

  

 各駅停車なので次は新水俣である。新八代を出て、日本三大急流のひとつである球磨川を307mの橋梁で越えて、トンネルをいくつか貫いて十数分で到着する。上り側副本線にはなぜか車両が停車していた。次は出水である。不知火海を見るならば絶好の天候であったような気がしたが、会話に没頭していたような気がした。「桜島行く人。」「はーい。」ってな具合に。出水はナベヅルの飛来地として有名だ。そういうわけで、駅舎はナベヅルをモチーフとした屋根を持っている。まぁ車内からはほとんど見えないわけだが、出水に停車。次は川内である。せんだいはせんだいだが、仙台ではない。間違えるなよ。ちなみに九州新幹線の保守機器の一部は仙台総合車両所(現仙台総合車両センター)から川内車両基地に持ってきた。川内から仙台に移動したわけだ。これも同音異字の縁ですかね。

 川内川を渡る。上から読んでも川内川。下から読んでも川内川。でもこれは横書きだから関係なし。川内川橋梁を渡る直前にピヨピヨ君が例のサクラ材簾のロールブラインドを閉める。で、見所の一つである川内川橋梁の斜版橋を通り過ぎた頃に開ける。偶然とは言え、こんなことをやるとはどうやらピヨピヨ君は斜版橋が嫌いなようだ。というのは勝手な想像。
 川内を発車すれば次は鹿児島中央。わずか40分の乗車である。ここからはまたトンネルの連続だ。なんせ「薩摩トンネル」だけで第一から第十まである。その次が薩摩田上トンネルで、そのトンネルを出てすぐが鹿児島中央となる。

 走行しているうちに、この区間に2箇所あるらしい35‰の急勾配を通り過ぎ、鹿児島中央に到着する。記念撮影をするとかなんとか言ったが折り返しで時間が無い。シナ君のデジカメで撮影したが、どうも露出アンダーな気がする。補整かければなんとかなるらしいけど。
 で、みんなで桜島に行こうということになっていたのだが、一年生と一緒にコインロッカーに荷物を押し込んでいる間に南風氏ほか、エロ川君、ピヨピヨ君、わっち君ら「一緒に行く」はずの面々が居ない。置いて行かれたと思い、慌てて走って鹿児島市電の電停へ。なにしろPHSが使えないからはぐれたら最後、公衆電話でこちらから連絡を取らない限りはつかまらない。ちょうど鹿児島駅行きが止まっていたのでそれに乗って桜島桟橋へ。しかしながら車内にそれらしい人影は居ない。桜島桟橋で降りてフェリー乗り場へ行くが、居ない。もう乗ったのかと思い、乗ろうとしたが留まって公衆電話を探す。桟橋入り口付近のはICカード専用で使用不能。奥のほうにコインやカードで使える電話機があった。カードを押し込んで、電話帳の一番上にあるエロ川君の電話番号へ掛けてみる。すると「今鹿児島駅。」と。鹿児島駅に居るならすぐ来るはず。なんせ鹿児島駅はここから徒歩10分かかるか否かの距離にある。しかしながら待てど暮らせど昼食を食べど来ない。よく考えてみれば、「鹿児島駅」は「鹿児島中央駅」のことではなかったのだろうか。途中で1年がやってくる。遠くから歩いてくる様をずっと桟橋のガラス窓から覗いていたわけだが。そんなことは向こうにはたぶんわからないはずだ。彼らは桟橋に上がってくるなり一言「先輩、何やってるんですか?」「待ち人来たらず。まちぼうけ。」

 一年生がフェリーに乗っていった後、遠くから5人の集団が歩いてきた。やれやれ、やっと来た。かれこれ20分以上待っていた。15分間隔のフェリーは2便行ったし。フェリーに乗って桜島へ。
 甲板にてなにやら船を見るエロ川君。どうやら佐渡汽船に居た船が停泊しているらしい。桜島は目の前に大きく見える。天候の良い冬よりは若干霞んでいるようだった。桜島の桟橋に着くのはそう時間はかからない。あっという間についてしまう。フェリーを降りた。桟橋は半年前より綺麗になっていた。
 これからどうするかで意見が分かれる。そこにタクシーの運ちゃん登場。案内を6000円にまけてくれるという。温泉に行きたいというシナ君。お金が無いから単独でというわっち君。結局二人が折れて、6人でタクシー二台を使って桜島見物をさせてもらうことにした。一人当たり2000円。安いといえば安い。自分の乗ったタクシーの運転手は最初に私達に話しかけてきた桜島観光タクシーの運転手。ありがとうございました。同乗者は南風氏とエロ川君。半年前に通った道を走って行った。「桜島は狭いと勘違いしている人が多い。」「たしかに。自分も半年前に来たんですが・・・。」このような会話で話が弾む。有村氏には、私がカメラ好きに見えたらしい。何か珍しいものがあると私に向かって、「写真撮る?」と行って車を止め、「撮りたかったら撮りなさい。」と、わざわざドアまで開けてくれた。ズームレンズだからそこまでしなくても大丈夫なんですけどね。車内から写真を撮って。「OKで〜す。」と言うと扉が閉まって出発。後ろのタクシーに乗っている3人はどうだったのだろう。

 家には樋が無いとか、この溶岩は昭和のだとか、いろいろ教えてくれた。半年前に来たときに何がなんだか理解出来なかった烏島のことも教えてくれたし、活動中の火口のほうにも行ってくれた。「石を持って帰りたいなら持って帰れ。」と言われたが、ここは国立公園で、確かテイクアウトは出来なかったと思ったが・・・。「カメラ好き」ということになっている私のために、わざわざ道なき道を下って入り江まで降りて、溶岩の上に見る桜島を見せてくれた。そして、帰りはメーターが5900円を越えた瞬間に本当にメーターを切ってくれて、桟橋前で2000円ずつ払って別れた。タクシー運ちゃんありがとう。

 桜島桟橋から再度フェリーに乗り、鹿児島側の桟橋へ。一年生は連絡してあったので桟橋で待機していた。鹿児島に来て桜島に行かなかったブキーミヲタークのかずさ君は放置プレイでほったらかし。どうせ路面電車を乗り潰していると思われた。
 桜島桟橋電停に向うのだが、来たことのある私を誰も信用しない。つまり着いて来ない。まぁ、経路が全然違うわけじゃないからいいけど。一足先に電停へ。程なくして全員到着。で、いつの間にか会長と総務が揃って消える。たぶん鹿児島駅に行ったと思うのだが、そうならそうと一言言ってください。こっちは連絡が取れないからヒヤヒヤものです。おまけに、どの路面電車に乗ればいいか私以外は誰も知らないみたいだった。厄介なことに、鹿児島中央に行かない電車があるのだ。一本目はそれが来た。乗るな、乗るなと促す。こうしないと喋りながら勝手に乗っていく人がいそうだし。次の路面電車に乗り、鹿児島中央駅前へ向かった。で、鹿児島中央駅で決めた集合場所に向かおうとすると、何故か一年がついて来ない。おまけに一緒に居たはずのエロ川君他2名も途中で消える。私だけ除者ですか? 集合場所には当然誰も居ない。 なんか嫌がらせのような気がしてならないわけだが、コインロッカーの荷物を引っ張り出さないとどうしようもないのでとりあえずコインロッカーへ。
 荷物を引っ張り出して担ぎ、相変わらず誰も居ない集合場所で待っていたが誰も来ないので歩き回って下に行くと集合しているし。ヒヤヒヤしすぎて頭が痛いぞ。

 ホテルにどうやって行くかという問題。市電と徒歩の選択肢がありますが、高見馬場なら徒歩でいけるということで徒歩を選択。チェックインはやってみたかったカード支払。つーか、支払を分散させないと破産してしまうのでそのための手段なわけで、一種の金融ですな。経済学的に言うと、「未来の購買力を現在の購買力に交換する。」ということ。

 本日の宿:東横イン鹿児島天文館T

 夕食を食べに一年生を除く全員で繰り出す。天文館は鹿児島の繁華街。元祖白熊、つまりカキ氷の店に入ることになった。自分は頭痛が酷くなってきて、食べるどころではなかったような気がしたが、とりあえず鹿児島ラーメンとギョーザ。白熊を注文するひとももちろん居た。ところがその白熊が超厄介者で、どう見ても二人前以上は盛ってあるような氷の山だ。結局その消費も手伝うこととなり、気が進まないまま氷の山崩しに参戦した。頭ガーンガーンガーンって感じに。

 で、合宿の最後は全員で余興のカラオケ大会! ・・・・・・のはずだったが、不参加が二名。二名抜きでカラオケです。まぁ人数が多いから順番が回ってこない。替え歌でピヨピヨ君大爆笑。笑い過ぎて死にそうになり一時退場。エロ川君曰く「病気だな。そろそろ医者に見てもらったほうがいいかも。」と。確かに精神鑑定が必要な気がする……。

 翌日、起床したのは9時過ぎ。頭痛は治まったが当然朝食は終わっている。みんな出た後だろうな。
荷物を持ってロビーへ行き、自販機でジュースを買って朝食代わりに一気飲みしてチェックアウト。荷物を持ってエッホ、エッホ、ホイサカサッサホイサッサとコミカルチックに駅へ向う。とりあえず指宿枕崎線に乗って開聞岳を見て枕崎に行ってトンボ帰りというのが当初のプランをちょっと変更した結論。鹿児島中央駅のスタンプをもらい、売店で朝食を買って構内をうろつくとかずさ君発見。同じく枕崎まで行くらしいので一緒に行くことに。コインロッカーに旅行鞄を放り込んで必要なものだけビジネスバックに入れておく。この鞄は30時間ほど入れっぱなしにする予定だ。

 特別快速なのはなDXをホームで待っていると、地元の人なのかおばあちゃん登場。瀬々串に行きたいらしいのだが列車が分からないらしい。うかつなことに時刻表を鞄に入れたままだった。かずさ君の4次元リュックに入ってるということなので出してもらい、列車の時刻を見てもらう。自分は発着番線の確認に走る。「10時57分のこのホームから出る列車に乗ってください。」

 特別快速なのはなDXは10時40分発車。ちなみにJR九州発行のスタンプラリーブックには、なぜか「特急」と印刷されている。あいにくの雨の中、鹿児島電車区を過ぎて南下。坂之上までは各駅に止まる。郡元では市電の電停が近いのかと思いきや、はるか彼方にあるらしい。各駅に止まって坂之上に到着。
 坂を上り、しばらくすると左手に海が見えてきた。天気が悪いのでなんともいえない景色だ。やがておばあちゃんの降りる瀬々串を通過。しばらくして喜入に止まり、そこを発車してまたしばらく海沿いを走ると、何の前触れもなく終点の指宿に停車。せめて停車する前に案内をしてくれと小一時間。
 指宿では6分乗換えで枕崎行きに接続。改札を出てスタンプをもらってすぐ入り、枕崎行きに乗車。列車は指宿いわさきホテルを横目に軽快に走っていく。山川などという誰でも思いつきそうな駅名の駅に停車。ここから本格的なド田舎路線に入る。かずさ君曰く「高規格」で建設されているらしい山川〜枕崎間はものすごーく揺れる。上下左右にガックンガックン。次の大山駅ベンチの落書きがウケた。
「いこうぜ! ピリオドの向こうへ!」って氣志團ですか? つーか、都会のツッパリがあんなんだと思われたら非常に困るんですけど。絶滅種ですよあれは。今はもっと性質の悪いのがゴロゴロしてます。

 やがて本土最南端の駅、西大山に停車。しばらくすると薩摩富士と呼ばれる開聞岳が見えてくる。「次は、開聞、開聞です。」「♪我は海の子白波の〜」と銀河鉄道58の焼酎薩摩白波のCMを思い出させる。開聞岳は薩摩半島の海岸にぽつんと聳える山。周りに山が無い分、一層迫力があります。窓を開けて潮風を受けながら眺める。やはり迫力はすごいものがある。開聞を過ぎてしまうと、はっきり言って何も無い。単に田舎を走っているだけだ。潮風に当たって髪がパサパサになった。

 しばらく走り、枕崎に到着。かずさ君曰く、「駅舎とホームは鹿児島交通の所有」だそうだ。確かに南側に伸びた線路跡がある。台風で橋が流されてから復旧しなかったと。枕崎駅はチャバの影響か、屋根が一部壊れていた。かずさ君はここからバスに乗って伊集院に行くという。というわけでバイバイ。先ほど乗った列車に乗ってとんぼ帰り。
 13時7分発の指宿行きは先ほどと同じく軽快に走ってゆく。相変わらずガックン振動があるが、それでもなんとなく風情がある。ところが、窓を開けようと座ったまま椅子の前側に体重を掛けて手を伸ばしたところにガックンと来て椅子の座部が落ちました。当然しりもちで痛いです。つーか、座部の下には落書きがたくさん。同じ目にあった人が結構居たと見た。西頴娃で臨時列車と交換。そして開聞岳を再び右手に見て北上する。山川では、快速「なのはな」用のキハ200が停まっていたが、何故か赤色。篠栗線からリストラされてあっちこっちに散ったらしい。
 指宿では同じく各駅停車となる鹿児島中央行きに乗換え、鹿児島中央へ向う。途中、黄色いキハ200と交換したが、これは各駅停車らしい。そして、学生客を満載して鹿児島中央に到着。
 鹿児島中央からは西へ。16時8分発、特急「きりしま」20号に乗車。宮崎行きだ。485系のレッドだが、嫌ってる人が多いがこれはこれで風情があっていいと思うのは私だけだろうか。鹿児島中央を出て、次の鹿児島を出るとまたまた圧巻の光景が広がる。線路の脇が海で、その向こうには噴煙を上げる桜島が聳える。対向列車待ちで停まっていた特急「はやとの風」と交換し、西へ。私の列の反対側には、学生の旅行客と思われる集団が座っていた。なにやら特急券を持っていないらしいのだが、会話の次元が外れている。
「JRの特急って特急券買わなきゃいけないんだよね。」
「そうなの。」
「いくらくらい?」
「わかんねーけど2万円くらいじゃねー?」
検札に来た車掌が、「600円」と言った(と思ったが)際はあっけにとられていたようだ。
列車は隼人に到着。ここから3連続で停車する。国分に停車して次が霧島神宮。すぐかと思ったら山の中を走り続け、信号所を通過し、10分以上たってからようやく着いた。
 霧島神宮で例の旅行客集団と一緒に降り、改札へ向う。スタンプを探すが無い。駅員に問い合わせると、「人が少ないから店じまいだわ。」と言って、奥から持ってきてくれた。「いくつ押した?」「まだ5箇所ですね・・・。」「頑張ってよ!」
 次の宮崎行きまで時間があるので渋い駅前をブラブラ。スーパーがあったので遅い昼食を食べようと適当なものを買って食べる。霧島神宮に降り立ってからちょうど30分後、各駅停車の電車が来た。475系で乗ったのはグリーン車からの改造車。仙台でも似たようなのに乗ったが、どうも縁があるらしい。ロングシート部に座って延々と走り続ける。しかしながら、一部クロスシートとは言え1時間以上座っていると流石に飽きてくる。風景はほとんど変化が無いし、乗客もそこそこに多い。都城で5分ほど停車する。気分転換に外に出て発車時刻までブラブラと。また乗って熟睡・・・。気づけば真っ暗な場所で停車中。もう日が暮れている。日向沓掛のようで列車待ちだったようだが、10分以上は停まっていたと思う。反対側からヘッドライトが見え、キハ47かなんかがやって来た。真っ暗な中20分くらい待たされただろうか。結局宮崎から宮崎空港行きには乗れず、宮崎空港のスタンプはもらえないことが確定した。宮崎で下車して、歩き回り、食事をして、列車に乗って高鍋で折り返してこようと思ったが、佐土原で対向車がまた遅れているというので堪らず佐土原で下りて対向車に乗換え。来た対向車は特急「にちりん」。自由席を占拠して南宮崎へ。

 すっかり夜の南宮崎。特急「ドリームにちりん」まではまだまだ時間があるので駅前をブラブラ。駅前からずいぶん離れたところまで行った。椰子の木みたいなのが植えてあっていかにも南国らしいものだ。歩き回った一つの理由はコンビニなどで食品を買いたかったわけだが、40分ほど歩いただろうか。コンビニが見つからない。駅前に帰ってきたら歩いていった方向とは90度ほど違う向きにローソンがあるではないか。さすが、コンビニ業界で最初に47都道府県を制覇しているだけある。買います。買います。買い物して駅へ戻ると、かずさ君とシナ君が居た。どうやら考えることは皆同じのようだ。改札前で雑談をして、二人とも買い物に行った。自販機でホットコーヒーを買ったらブラックが出てきて、一気に飲むと腹を壊すのでチビチビと飲んで待つ。しばらくするとシナ君が負傷して帰ってきた。どうやら木の根っこに足をとられてド派手に転倒したらしい。あちこちから出血してますが大丈夫ですか? 「駄目かもしれない・・・・・・。」

 特急「ドリームにちりん」は23時40分発。乗車してしばらくすると発車だ。乗客はほとんど居ない。真夜中なので撮影もあまりうまくいかない。三脚は鹿児島中央のコインロッカーに置き去りだし。
 車内では4人分の椅子を1人で占拠して就寝。夜中に何度か起きたが、最終的には小倉まで寝ていた。
 小倉からは進行方向が変るし、日も出てきたので起きていた。椅子の場所を変え、進行方向右手の席に座る。と、誰かのデジカメが置いてある。検札に来た車掌に忘れ物ですと言って渡す。車掌は、「ありがとう。」とフレンドリーな口調で言って、デジカメを持っていった。
 ボケーっとしているうちに博多まで着いてしまった。シナ君、かずさ君両名と別れ、リレーつばめで再度南下する。ホームで写真を撮っていると、なにやら声を掛けられる。何かと思えば先ほどの車掌さん。「カメラありがとう!」 「どういたしまして・・・・・・。」

 特急「リレーつばめ」33号に乗って熊本を目指す。停車駅が多いタイプなので、前述の羽犬塚と瀬高に止まり、船小屋は通過だ。太宰府天満宮最寄りの二日市にも停まる。ほとんど寝てすごしたので分からなかったけど。
 熊本に着いて、これからそういう風に動くかを考える。鹿児島中央に鞄が置き去りなので、鹿児島中央までは行く。肥薩線回りなのも確定している。問題は、新八代での撮影をどうするか。窓口にある時刻表を見ながらいろいろ悩んでいるうちにお腹が痛くなり、快足とばしてトイレへ駆け込む。場所は半年前に来ているので覚えているのだが、行ってみれば全てトントン・・・、「はいってま〜す。」という状態。決して、トントン・・・、「どうぞ〜。」という怖いことにはならない。個室が使えない。「それは無いだろう〜。」ヤヴァイ状態なので、確か反対側にもトイレがあったと思いダッシュ。が、「このトイレには大便器がありません。他のトイレを御利用ください。」と貼り紙が。「それは無いだろう〜。」仕方が無いので駅ビルの2階へ駆け上がって探すとやった発見! しかもキレイだ。良かった良かった。

 とりあえずプランを決定してコンビニでパンを買って食べながら改札に入る。と、南風氏を発見。どうやら同じく肥薩線に乗るらしい。しかしながらプラン実行のために人吉でもう一度会うことにして別れた。やがてやって来た特急「リレーつばめ」1号に乗って新八代へ。新八代で一時間ほど撮影した後、在来線ホームに行き、八代行きに乗車。八代から肥薩線の人吉行きに乗車し、昼寝している間に人吉に到着。

 人吉では観光列車「いさぶろう」の発車時刻を待った。1時間ほど待てば発車だ。駅前ではからくり時計がお出迎え。先にある球磨川に行き、河川敷で石を投げたり岩を放ったりして遊んでいた。そろそろ駅へと思い、駅へ戻る。途中、簡単な駅弁を買って入場。
 「いさぶろう」は超人気の観光列車。平均乗車率は実に147%で、最大207%を記録した。あまりにも混雑が酷いので、増備車が完成するまでキハ31を連結した2両編成で運転している。南風氏は指定席、私は自由席で、会ったはいいが別の車両となった。キハ31で運行していたときには無かった観光案内までが放送される文字どおり観光列車だ。

 発車するとまず大畑(おこば)に向う。大畑はスイッチバックとループ線を組み合わせた面白い駅だ。手前のトンネルでループ線の下を通る。「いさぶろう」は各駅で見学する時間として停車時間が長くなっている。大畑に着くと降りてあちこち見てまわれるのだ。こういう旅もおもしろい。大畑で面白かったのは待合室に名刺がたくさん画鋲で留めてあるところ。特に意味は無いのだろうが・・・・・・。大畑を出るとまずスイッチバックの転向線に入る。運転士は普通、運転台を変えずに推進運転を行うと聞いていたのだが、車種が違うからかわざわざ反対側までブレーキハンドルを持って行っては運転して戻ってきて発車というめんどくさそうな仕事をしていた。

 転向線から再度方向を変えてループ線に入る。このループ線で距離を稼いで勾配を緩くして、山を登ることが目的である。次の矢岳まで300m以上も登るらしい。次の矢岳駅は標高500mを越えている。ループ線の途中で列車が止まり、先ほどスイッチバックをした転向線が下に見えた。次の矢岳駅では蒸気機関車D51の170号機が展示されていた。子供がはしゃぎまくっていた。矢岳を出ると標高が高い分、景色が壮大だ。日本一の車窓といわれるのも不思議ではない。左手には球磨平野が広がっている。日によっては多くの山々が見えるようだ。ここでも列車が停車する。

 次の真幸(まさき)駅はスイッチバックで入っていく。真の幸せと書いて真幸だ。真幸駅の入場券は縁起物だが、私は買うのをすっかり忘れていた。入場券は人吉で売っているので手遅れである。買うのは次の三月かな・・・・・・。構内に幸せの鐘というものがある。幸せならば鳴らせという代物。不幸ではないから幸せだろうとたくさん鳴らしてきた。そして、終点の吉松へ。40kmに満たないこの区間を1時間22分かけて走った。平均速度は30km/h程度か。

 南風氏と別れて特急「はやとの風」に乗る。それまで昼食の駅弁というゴミを持ち歩いていたのだが、駅員さんが「それはチリ? 捨てとくよ。」といって引き取ってくれた。
 特急「はやとの風」に乗って車内のスタンプを押す。ちなみに人吉と吉松、熊本でも忘れないで押した。売店のカウンターに隠されていた。車内販売で薩摩芋キャラメルを買った。本当は飴が欲しかったのだが・・・。
 車内ではほとんど寝ていて、気づけば隼人に着いているという有様。その次は例の交換で、昨日乗った気がする特急「きりしま」に道を譲る。鹿児島中央についてからは川内に向かった。家路に着く学生でそこそこ混雑していた。車両は475系だったか。国鉄色と2編成連結していたが、国鉄色のほうは宮崎行きだそうだ。残念。

 どうも居心地の悪い車内だったが、川内で新幹線の撮影とスタンプ捺印を済ませてとんぼ帰り。光量が不足しているのでブレ気味の写真になっていることだろう。帰りは817系なのだが、桜島の降灰のせいでかなり汚れている。銀色というより茶色。車内は走るほどに何故か女子校生が満載されていく。男子の姿はほとんど見当たらない。どういうことなんだ。しかしながらこの乗車率でワンマンとは、福島〜郡山と同じように無理が大有り。

 鹿児島中央で指宿いわさきホテル製の黒豚カツカレーを食べて、久々にマイバッグと再会し、ホテルへ。ホテルは泊まったばっかりの気がする東横イン。一昨日は何故かネットが繋がらなかったが、今日は繋がった。いろいろやって就寝。

 今日こそは朝食を。そんな意気込みでおにぎり4個他を食して満腹に。早々に荷物をまとめてチェックアウト。まず出水までの特急券を買って各駅停車の「つばめ」に乗車。出水で降りてスタンプをもらい、駅舎を撮影してからは新水俣までの特急券を買って入場し。撮影。不慣れなカメラで失敗した。よく考えたら時速250km/hを超える速度で運転する「6両編成」を見るのは初めてだ。九州新幹線の最高速度は260km/h、全長を150mとすると、計算すれば目の前を通過する時間はわずか2.1秒だ。あっという間に行ってしまう。山陽新幹線で駅以外の場所で列車を見て慣れておくべきだったと思った。ちなみに0系の6両編成は2.5秒だ。

 出水は上り線から下り本線の駅の端、もちろん新水俣側を狙うとアウトカーブとカントで迫のある写真が取れそうだ。反対に川内側は一直線で編成が短いので構図が偏ってしまう。そしてやって来た各駅停車の「つばめ」で新水俣へ。6号車、つまり先頭車に乗っていた私、新水俣で降りようと席を立てば、同じく降りようとしていたオッサンと目が合ったわけです。何がきにくわなっかのか、オッサン、出口近くまで来ておきながら、反対側に逆戻りを始めました。800系の先頭車は500系と同じ構造なんですよ。つまり、前寄りには出入り口がございません。オッサンが乗務員扉まで行ってから出られないことに気づいて引き返してきました。

 新水俣でも同様なことをしました。スタンプと撮影。そして新八代までの特急券を買ってまた乗車。そして新八代からリレーつばめに乗って鳥栖へ行きました。鳥栖駅の駅舎には古いレールがふんだんに使われており、メーカーが書かれた札が付けられている。中には死の商人、ドイツのクルップ社なんかの名前も確認できた。
 鳥栖から特急「みどり」に乗って佐世保へ。結構な混雑で佐賀まで落ち着いて座れない。はなわの影響で有名になったSAGAからは空きが目立ってくるようになり、快適になった。武雄温泉は三年前居に来たときよりずいぶんとキレイになっていた。佐世保駅も「こんな感じだったかな〜」と思った。改札を出て近くには桃鉄のビンボー神と猿の像、どうやら貧乏神を触ってから猿を触ると「ビンボーがサル」らしい。とりあえず試してみる。

 佐世保からシーサイドライナーに乗る。以前はいろいろな車種があったのだが、篠栗線からやって来たキハ67が運用に当てられていた。大村線では大村湾がきれいに見えるのであるが、半分は寝ていた。諫早で降りて駅前をブラブラと歩いたが、雨が降り出したので駅へとんぼ帰り。ハイテク自販機が置いてあったが使わずにそのままホームに入って長与を経由する長崎行きを待つ。やがてやってきたのはまたしてもキハ67。考えてみればシーサイドライナーから見た対向車もほとんどがキハ67だった。どうやら篠栗線の電化でキハ67が長崎に大量に押し寄せたようだ。長与経由の路線も結構海が良く見える。日は落ちて長崎に到着。古いキハ47や58は長崎でも見なかった。長崎ではホームで猫が戯れている。長崎市電に乗って正覚寺下行きに乗ってホテルへ行くのだが、これが乗車率300%に届く勢い。巨大な荷物を持っている自分は当然乗れない。続いてやってきたやつは正反対にガラガラで楽だった。運賃は100円という安さ。ホテルに行った後、長崎ちゃんぽんを食べに出かける。ちゃんぽん専門のリンガーハットに入ってちゃんぽんとギョーザを食べ、市内を歩いて見物した。

 商店街にはいわゆるストリートミュージシャンがたくさん居た。アカペラグループはなかなかうまかったが、歌っている曲がオリジナルではなくて、ゴスペラーズ。やっぱり本家に比べるとちょっと劣るかなと。ここでも長時間露光をやってみた。市電が走っているので流れるような光が撮影できるはず。しかしながら銀塩ではなく、デジカメをつかってやってみた。銀塩のフィルムが少なくなっていたから。中央の歩道橋から出島方面に向う市電を眺める。長崎は小雨が降っていて、またしても台風が接近しているという情報もあった。今度はもっと長くいてみたいと思う。そんなわけで、三年ぶりに来た長崎は今日も雨だったわけです。

 翌日、ホテルを出て、長崎といえば出島を見物した。出島は既に周りが埋め立てられていて、完全に「中島」になっているわけだが、現在復元が進んでいる。以前、全景は模型でしか見られなかったが、復元とは言え、全景が復活する日も近いだろう。

 長崎10時30分発、特急「かもめ」14号に乗って博多へ。結構好きな列車なので車内を見てまわる。売店もある。しかし売子さんは車内販売に出ていて居ない。しばらく乗っていると入り江の海岸沿いを走って、入り江の一番奥で「かもめ」と交換、そして発車して入り江の両端を白い「かもめ」が同じ方角に向かって走るという面白い場所があった。そして、肥前続きの区間を抜け、佐賀を過ぎ、鳥栖を過ぎ、博多が近づくと車内には心地よい音楽が流れてきた。こんなサービスもあるのかと感心して博多駅に降り立ち、程なく発車する「ソニック」に乗車。エアコンの効きが悪くて気持ち悪かったが、何とか小倉へ。小倉で新幹線の撮影を・・・・・・。その前に昼食でラーメンを食べて・・・。

 小倉駅で撮影していると、警備員のオッチャンが登場。いつものように尋問されるのかと思ったら意外にフレンドリーだった。何でも300系がなかなかこないから寂しいらしい。確かに300系は16両しかないし、一部は山陽に入れないし、そうでなくても「こだま」運用が主だし、「ひかり」は岡山までだし、16両は山陽で輸送力過剰だし、とにかくなかなか博多に来ない。

 オッチャンと別れ、再度ソニックに乗って博多へ帰る。博多でホテルにチェックインし、これまたお決まりのパターンで博多南までの切符を買う。ホームに上ればT4が登場。もちろん写真を撮って博多南へ。トンボ帰りしてまたしてもam・pmで弁当を買って、「さくら」「はやぶさ」を眺めながら食べた。博多での行動は完全にパターン化している。

 次の日、九州を脱出。9時半ごろには駅に到着し、お土産を家に向かって送る。そして新幹線のホームに上がって、昨日下ってきたT4を出迎えて、見送り、そして自分の乗る「こだま」652号新大阪行きに乗車する。
 やって来た0系の6両編成はR67編成。両端の先頭車は7950番台という中間車から改造された珍しい形式。特に22-7951は26形2200番台からの改造で、22形に通常ついている車掌室が無いのが特徴。なぜ1両ずつしか存在しない形式をフレッシュグリーン化に抜擢したのかは疑問が残る。3号車は37形ではなく、これまた37形を改造したと思われる改造車の25-7902だった。自分の乗るのは4号車の26-7012である。

 11時13分に博多を発車。指定席の乗客は十数名。次の小倉は11時34分の発車で、指定席も若干人数が増える。新関門トンネルを抜けて新下関は11時43分の到着。ここで14Aの通過待ちをする。700系が通り過ぎた後の11時47分に発車、続く厚狭には11時57分に到着し、360Aの通過待ち。反対側にも0系、しかも白塗装のがやって来た。12時5分に発車、続く新山口は12時17分に到着で、ここで指定席の乗客がほとんど降りてしまった。新山口では1分停車で発車。客が増える。次の徳山では16Aの通過待ち。ここの通過速度は170km/hなので撮影は楽だ。12時34分に到着し、39分に発車。ここからはしばらく通過待ちがなさそうだ。新岩国は12時54分に到着しすぐ発車、そして広島手前で黄色い新幹線、つまりT3とすれ違う。広島は13時10分に到着。1分停車で11分発、次の東広島でも客の動きなし。つーか、岡山か姫路あたりじゃないと乗ってきそうもない。13時24分に発車。次の三原は13時37分の到着で客が全員降りる。つまり指定席は私の貸しきり状態だ。39分に発車した。車内販売が面白い。誰も居ないから超高速で通り過ぎる。「超特急の車内販売」ではなくて「車内販売が超特急」なのだ。

 新尾道は13時46分到着で、18Aの通過待ち。先ほどの徳山の倍の速度で通過する。ものすごく早かった。500系の鼻はファインダーから飛び出していることだろう。49分に発車。次の福山は通過待ちなしで58分着発だ。客は乗ってこない。その次の新倉敷は10分停車する。14時11分到着、56Aが14分に通過するが、発車は21分だ。カメラの設定に手間取り、撮影失敗。次の岡山にも10分以上停車する。14時33分に到着すると、362Aが36分着、37分発。45分にようやく「こだま」が発車する。次の相生は15時7分着発、その次の姫路は17分到着で20Aの通過待ち。ここから指定席も人が乗ってきて賑やかになってきた。25分に発車し次の西明石は38分着発、新神戸は48分到着、49分発車、そして終点新大阪は16時4分の到着だった。なお、折り返しは博多行きの「こだま」673号となる。

 台風18号、アジア名「ゾングター」が接近しているので、九州方面の寝台特急は運休。私はこれから日本海に乗って青森へ向う。「鹿とですか!?」とペリー氏の声が頭をよぎる。イエイエ、トンでもない。「私はただ単に日本海のA寝台に乗りたいというブキーミヲタークです。」 数時間の空き時間があるがやること無いので夕食と買い物とSuicaでIcocaを試してみたりして暇つぶし。しかし新大阪駅のコンビニすぐそことか言う看板、200メートルも先なのにすぐそこなんですかね?

 寝台特急「日本海」3号は5分ほど遅れて新大阪に到着。EF81 46が牽引する寝台客車9両編成。12号車三番下段のA寝台です。窓が広い。ベッドも広い。個室ではないA寝台は恐らくこの列車以外に使われていないと思ったがどうだろう。京都を出たあたりで就寝。敦賀では機関車を付け替える。46号機から102号機にバトンタッチだ。で、長いこと熟睡して起きたのは羽後本荘を発車したあたりだろうか。途中何回か起きたような気がするが覚えていない。8時41分に秋田到着。走って駅弁を買いに行く。弁当を食べたらまた眠り、東能代付近で目が覚める。蒲団を敷いたままだと寝てしまうので、何とか寝台を座席に出来ないかとやってみたら、案外簡単に出来た。弘前付近ではりんご園を横目に、台風でみんな落ちるんだろうな〜と考えつつ、気づけば青森です。

 青森では青函連絡船の八甲田丸を見に行った。というか、それしか見るものが無かったような気がしないでもない。ベイブリッジとかもあったけどね。青函連絡船は鉄道車両を積んで行くために車両甲板がある。これがあったお陰で洞爺丸台風の時にはタイタニック沈没の次に大きな海難事故を起こしてしまったわけだが、それ以降改良されてからは事故を一度も起こしていない。車両甲板には郵便車や控車、キハ82なんかが展示されていた。ちなみに控車とは、連絡線に貨車を入れる際に、橋に機関車の重量が直接かからないよう、貨車と機関車の間につないで置く車両のことを言う。なお、この八甲田丸の入場料は500円である。エンジンルームなども見学できる。また、とてつもない方法で動かしている鉄道模型も見ることが出来る。

 ホテルではゾングターの情報集め。どうやら寝ている間に来そうな感じであった。駅周辺を意味も無く歩き回ったりして時間を浪費して、就寝。
 翌日起きると既に台風は行った後であった。しかしながらまだ風は強い。津軽線と大湊線は運休。特急「スーパー白鳥」は八戸発青森行きもしくはその逆。特急「つがる」とほとんど変わらない列車に成り果てていた。駅へ行ったはいいが三沢〜野辺地間で停電しているために列車が来ない。乗車する列車は50分遅れで青森を出発した。このまま行くと八戸で数時間待つことになるので、野辺地で降りてみたが何も無い。歩き回ったがやっぱり何も無い。自販機で200円を入れて130円のジュースを買えばおつりは20円しか出てこない。さっぱりプーなので列車に乗って八戸へ行ってしまう。前の列車は50分も遅れていたのに次の列車は定刻で運行。流石は田舎路線である。

 八戸ではお食事して新幹線の撮影をして、駅弁とお土産を買ってから東京へ帰ろうと。しかしながら風がやたらと強くてうまく出来ないな。いろいろやっているうちに乗車時刻が近づいてくる。というか、乗車する列車は2時間も前から停まっている。E2系のJ65編成、全車大窓の東北専用編成である。ちなみにホームは12両編成に対応している。二面あるホームのうち、一時間に1本、どちらかから発車する。売店は発車するホームの方が開いていて、反対側のホームは閉まっている。発車番線に合わせて言ったりきたりしているようだ。私の乗る「はやて」22号は西側の14番線から発車だ。

 乗車時刻になり、車内へ入ると結構な乗車率。少なく見ても6割以上は乗っているだろう。荷物スペースはテロ警戒により使用中止になっている。ゴミ箱も同様。ゴミ袋は持参したほうが良い。荷物は網棚に上げて発車を待つ。16時4分に八戸を発車。加速もよく、セミアクティブサスペンションのお陰で揺れも少ない。おまけに線形も新幹線の中では最も良いため加減速は無く、乗り心地の面、高速走行の面で非常に有利である。全線を通して時速300km/hでの運転も可能と思われる。まあ設備を豪華にした国鉄さんは、年収の十倍の借金を背負って破局したわけだが。

 JR東日本はこの東北新幹線で最高速度360km/hでの営業運転を目指して技術開発を進めている。国内最速の列車はご存知のとおり山陽新幹線の500系「のぞみ」だが、それよりも条件が良い東北新幹線が最高速度275km/hで留めておく必要性はどこにも無い。時速360km/hならば、東京から札幌を3時間で結ぶことが出来、一秒間に100m進むことになる。外国ではこれを上回る速度を目標に掲げている国は無く、実現すれば文字通り世界最高速の座を始めて東北新幹線が奪取することになる。

 そんな夢を見ながらいわて沼宮内と二戸を通過して盛岡に着きました。ここで早くも満席ですか。さすがに速達タイプは違いますね。輸送力増強を狙った東海道新幹線は、速達と各停で速達は満席なのもうなずける。東北新幹線は輸送力の増強ではなく、東北線のスピードアップが狙いだったので、基本的に「速達」は必要ない。なんせ東海道と同じように「大都会」だけ止める速達タイプなんぞを設定したら、速達がすべて「仙台発でノンストップの東京行き」なってしまうから。そんなわけで中規模な都市にも速達を止めて利便性をあげて、「やまびこ」には多彩な停車駅パターンを設定して、東京から離れている各駅の利用者に出来るだけ配慮した形をとっている。

 そんな寝言を言っているうちにもう仙台ですよ。あの壮大な発車ベルの仙台ですよ。JR東日本の新幹線網の中で東京を除くと唯一の大都会である仙台ですよ。人がどんどん乗ってくる。わー、満席で疲れる。おまけに盛岡から乗っているお隣さんが酒臭い。
 東北本線と戯れながら南下。大宮まで全ての駅は通過駅である。夜の駅に溶け込む新幹線。こうやって見ると東北新幹線もなかなかいいものだな。
長い旅路だった。大混雑の東海道線に揺られて帰る。品川駅の発車ベルに混ざる警笛が郷愁を誘う。間もなくこの東海道線の通勤列車からも国鉄の影がなくなるとなると少し寂しい気がする。川崎、横浜と停まり下車駅、戸塚へ。10日間に渡った旅路は終わりを告げたのであった。

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