今年は親が「実家に帰省する。」と言うので学割をもらった。しかし帰省は中止。我が校は学割の発行数に制限があるので無駄にはしたくなかった。しかしお金が無い。そんな時に親が珍しくお金を少しくれたので旅行をすることにした。目指すは何故か日本海。
切符を買うのは容易だった。何の不自由も無く乗りたい列車の席を確保。あとは出発日までひたすら待つ。
待ちに待った出発日、たった三日間の旅行なので荷物はかなり少なく出来、普通のリュックサックに荷物を詰め込んでいざ出発。最初の乗車は横浜駅0:10分発「快速ムーンライトながら」だ。横浜についてもあと1時間以上残っていた。東海道線のホームの端で持ってきた本を読みながら時間をつぶす。あっという間に時間が過ぎ、列車がやってきた。
快速ムーンライトながらはJR東海の373系特急電車が運用を担当している。私は6号車の左側の座席だった。左に窓があるのは私にとって寝るのは難しい環境である。どうしても小刻みな睡眠になってしまう。
この列車の3号車から9号車は小田原から自由席になる。小田原に到着すると深夜列車ながら立ち席の乗客も出てくる。私の隣は何故か空席だったので小田原で初老の女性が座ってきた。私はかなり眠気があり、それ以上のことはその時点では分からなかった。
列車は熱海・三島・富士・静岡と停車していく。浜松に着いたときは結構眠れたのでスッキリしてきた。隣を見ると小田原で乗ってきたおばあさんとおじいさんが話をしている。おじいさんのほうはずっと立ちっぱなしだったようなので席を譲って車外へ。夜の空気はひんやりして気持ちがいい。少々停車時間があるのでホームを歩く。歩きながら新幹線のホームを見ていると、本線に300系が留置してある。「なるほど!車両はこんな風に車両は留置しているんだ。」などと一人で納得している間に発射時間になり、列車に乗り込む。先ほどの座席に戻ると老夫婦はもう寝ていた。
浜松を発車。まだ午前4時前、真っ暗で浜名湖は見えず。リュックから本を取り出し通路に座り込んで読みふける。そうしている間に豊橋に到着。この駅も停車時間が長いのでまた外に出て構内をウロウロ。自販機でジュースを買って飲む。そうこうするうちにホーム反対側の線路に品川発の臨時大垣夜行が到着。先頭で写真を撮って車両を眺める。この列車は豊橋でながらより先に発車し、大垣に1時間ほど早く着く。ながらはここからほとんど各駅停車で大垣に向かう。運転手同士が会話していたのを聞いた。ながらの運転士は「各駅停車でだるい。」といっていたがもっともだ。
豊橋を出発。時刻は朝の4時56分。この時刻は当時自分の起床時刻とほぼ同じだったので起きていることにした。老夫婦はもう起きていて今度はおばあさんが立って私が座るという状況になった。どうやら名古屋で降りるらしい。とっても地味?な駅名「蒲郡」を過ぎた頃からまた眠気が押し寄せてきた。とりあえず寝よう。そう考えてもほとんど寝付けず、岡崎に到着する頃に眠るのを諦めた。
三河安城に到着。この駅は新幹線が停車するのに快速が通過する妙な駅である。ここでアクシデント。「ドア故障」らしい。しかし3分ほど遅れて発車しただけでたいしたことは無かった。
名古屋な到着。お隣の老夫婦をはじめたくさんの人が降りた。後ろも切り離されて私の乗る車両が最後尾に。やや長めに停車したあと6時21分に発車。この時間は名古屋始発の新大阪行き新幹線「こだま491号」の発車時刻である。したがって車窓左手には新幹線が見えるはずだったが新幹線は高架。下から見るのは難しい。ちなみに名古屋には新幹線の車両基地があるがなかなかマニアックな場所にあるので見えない。
気が付いたら岐阜だった。どうやら熟睡してしまったようである。あっという間に終点大垣に着いた。たくさんの人が隣のホームに停車している113系の普通列車に乗るために跨線橋を渡っていくが、私は一人大垣駅をブラブラしていた。
樽見鉄道のハイモが停まっているのを見物し、次の米原行き普通列車に乗車した。この列車は2扉で転換シートを装備した117系の4両編成。通勤時間帯なのでかなり混んでいる。また、車内に特有の臭いがあり気持ちが悪くなった。
ようやく米原に着いた。1時間にも満たない乗車にもかかわらずかなり長い時間の乗車だったような気がした。すぐに新快速に乗る気にはなれず、駅のベンチで休んでいた。しばらく休んだあと新快速に乗車。この列車は223系1000番台で最高時速130kmで運転する。そのために電動機の出力は新幹線100系に近い高出力になっている。で話に聞いたように驀進する。車内設備は2扉転換シートでこの設備とスピード両面で対抗しうる関東の車両はおそらく京浜急行2100形だけだろう。首都圏のJR車両はジョボい。
さあとばしにとばしてあっという間に京都に到着。さあ京都を観光しよう!! と思いきや、この日の京都の気温はなんと摂氏35度!! 30分も歩けば熱中症の症状が出てきたのでやむなく駅に戻って駅ビルに入って休憩所でダウン。しばらくボケーっとした後、大阪に行こうと列車に乗った。
新大阪で下車、駅の立ち食いそばで関西風のそばを食べた。やはり東京のそばとは少し違う感じで美味い。食べ終わると荷物を二つに分け一つをコインロッカーに放り込んで新幹線ホームに入った。新大阪駅は東海道新幹線と山陽新幹線のジャンクションであります。☆ もちろん目的は写真を撮影することであります。☆ 0系の6両編成を見るのはなのでかなりはしゃいでいたような感じです。山陽こだまは20番線から発車するので20番線に駆け上がり、写真をパシャパシャと撮影。列車が発車してホームが寂しくなったのでホームをウロウロ。そしてホームの東京よりに到着してあたりを見回すとなんと正反対の26番線に「ドクターイエロー」が停車しているじゃあ〜りませんか!! 全力ダッシュで26番線に行き写真を撮影すると同時に「ドクターイエロー」は発車した。かなり疲れたけど実物を見れて非常にラッキーでした。☆☆ 気が付くともう2時間近く経過。まあこうやってカメラを持って新幹線を撮影すると軽く2時間くらいは経過してしまうので大した事ではない。そろそろ大阪に行きましょう。☆
大阪に到着しました。「さて、どこに行こうかな」と考えるも歴史好きな私は大阪=大阪城という方程式が成り立っているので大阪城に向かうことにした。大阪城へは大阪環状線に乗って大阪城公園で下車し、そこからテクテク歩いていった。歩くことは嫌いじゃないのでどんどん歩いてついに頂上へ。しかし中に入る事はせず、公園内を歩き回った。ただ歩き回るだけで4時間も浪費?していた。森之宮まで歩いてそこから大阪環状線に乗り、天王寺へ。天王寺で特急が見れるかなと思ったがいなかった。しょうがないから列車に乗って大阪駅にもっどった。もう夜になっている。大阪駅には家路につく人々で混雑していた。私が乗る「急行だいせん」は23時を過ぎた時刻に発車する。まだ20時にもなっていなかったが見慣れない車両が行き交う大阪駅は私を飽きさせなかった。
急行だいせんはその名の通り鳥取方面に向かう急行で2両編成のディーゼルカーである。そのうち米子よりの指定席は展望車になっていて前が良く見えるはずであった。ようやく急行だいせんが入線してきた。しかし展望車はついていない。「あれ?」と思ったがまあこういうこともあるかと開き直った。しかし展望車を期待していた乗客のマニア君は我慢ができなかったようで、駅員や車掌に文句をたれていた。私はさっさと車内に入り席を探す。と、座席と窓がずれていて座席の横に必ずしも窓があるとは限らないことを発見。この場合、運の悪い私の席は当然横に窓が無かった。しかも窓枠を固定するネジが飛び出していて、ぶつかると危険?な状況だった。「展望も窓も無い状況の夜行列車ではもう寝るしかない。」と思い早く検札が来ないかなと待っていたが、「来ない……。」 宝塚を発車しても「来ない……」 もう寝てまえ!! と寝てしまった。
目がさめた深夜1時、ここは福知山である。この列車はこの駅で30分ほど停車する。水を飲んで寝ようと思ったら目の前に車掌さんがいた。「こんな夜中にご苦労様です。」と検札終了。列車は発車した。
次に目がさめるとそこはもう鳥取県。山陰本線の泊駅を通過した頃だった。この列車は倉吉からは単なる前車自由席の快速列車の扱いである。倉吉につくと私はすぐ前の席に移動した。その席は窓があるからだ。倉吉を過ぎて車窓右手には日本海が見えてくる。とてもきれいな海が遠くに見える。しかし倉吉あたりではまだ暗く、ハッキリと海を確認することは出来なかった。
米子についた。この駅は米子運転所が駅前に広がるほか、境港方面には後藤総合車両所があり国鉄の塗装のディーゼルカーがわんさかと留置されている。これまたスゴーク感激〜☆☆☆!! 朱色とクリームの気動車キハ58系列の大所帯☆!! しかも次に乗る列車は国鉄最強の特急気動車キハ181系だ〜。☆☆☆☆ しかも快速扱いだから特急料金は必要なし。早速乗り込み車内をキョロキョロと見回して観察。列車は500馬力のエンジンを豪快に響かせて発車した。
気が付いたら眠っていた。目がさめたら直江駅でございます。つまり次は終点の出雲市でございます。あっという間の乗車でありました。
出雲市で下車。さすがに「神の国」であります出雲。駅舎はとっても厳かであります。さて出雲大社にはどうやっていこうかなと考える。一畑電鉄か一畑電鉄バスか……。 電鉄は乗換えが面倒だったのでバスにしました。しかしバス乗り場はどこだ〜〜〜〜!! 駅前は工事中で地図の場所にバス乗り場が無く、探し回ってしまった。しかもすぐ近くにあったし。バスに乗って出雲大社へ約20分。出雲大社に到着すると早速敷地に入りましょう。中には何故かSLが置いてあり、なんだか得したような気分だった。さて、本殿へ向かうとなにやら発掘作業中。どうやら昔の本殿の跡らしい。大きな柱が展示してあった。しかしここも暑かった。気温は摂氏30度。京都よりはマシだったけど。
1時間ほどで出雲市に戻ってきた。宿泊費が無いので今日中に帰らなければならないのである。しかしここから寝台特急には乗らず、小郡行きの特急「おき」に乗車した。
「特急おき」は先ほども登場したキハ181系による特急列車である。この気動車は山岳路線に投入すべくハイパワーエンジンをを搭載して中央本線に登場し、後に東北本線、紀勢本線、伯備線に投入されたがいずれも電化に追われて山陰と四国に追い込まれた哀れな気動車である。すでに四国に行った車両は全滅し、残すは山陰のみとなった。平坦区では時速120kmで走り、30パーミルの勾配を自走できる性能はこの山陰本線では発揮できず、ぎこちない走りであるが現在も力走を続けている。
列車は山陰本線を西へと下って行く。海の真横を走るので非常に綺麗な海が目の前に広がる。お勧めの路線です。
「特急おき」は益田から山口線に入る。山口線といえば「SLやまぐち号」があまりにも有名です。レトロな客車が走るため駅もレトロに駅名版が右から読むものがあります。「ちぐまや」みたいな感じで。列車は益田に定刻に到着。しかし対向列車が少し遅れていたので2分ほど遅れて発車。列車は森の中を駆け抜けて行きます。木々が列車にぶつかりそうなところまで迫ってなかなか面白い路線です。しかし対向列車がことごとく遅れていて、こちらのダイヤはどんどん遅れていきます。終点の小郡駅に近づくと車内アナウンスで「ひかり号ご利用のお客様は走ってください。」という前代未聞の放送が流れた。
小郡が近づく。車内の人々は乗り換えの準備に大忙し。その隙に禁煙の指定席のこの車両に酒を飲んで酔っ払ったクソジジイが乱入してタバコを吹いだした。こういう風にルールを守れない輩はとっても醜い生き物にしか見えない。すぐに駅についたので無視して降りた。ホームに降り立った瞬間から「ひかり号」に乗る人たちは走り始める。私は「こだま号」だったので走る必要が無かったが、狭いホームだったので新幹線ホームまで走った。普通なら10分くらいの乗り換え時間があるのだが、今日はたったの4分。お土産?をたくさん持ったおばさんが必死に走っていたのが印象的だった。乗換え改札は開放されていて、駅員さんが「急いでくださーい。」とうながす。私がホームに到着すると丁度ひかり号が到着した。「おき」から「ひかり」に乗り込む乗客は息も絶え絶えに乗り込んでいった。
私の乗るこだま号は手前の厚狭駅でひかり号に抜かれる。そのため当然ながらひかり号より遅く小郡に到着するのであります。小郡駅は博多方の見通しが非常によく、すぐに列車が接近しているのがわかった。このこだま号は6両編成の0系。古い車両が来ないかなと密かに願っていると結果は正反対でなんと今春まで「ウエストひかり」として走っていたSk編成をバラしたものでした。ラッキー!☆と思って早速乗り込み車内を物色。元「ウエストひかり」の専用車両だったので全車横2列シートの超豪華仕様となっておりまする。☆ んーっ最高〜!!☆ このWRK-201というシートはリクライニング角度が30度を以上ありまーす。☆ と快適な0系に乗れて感激でありました。☆ 新岩国で「のぞみ」に抜かれます。別にそのようなアナウンスがあった訳ではないが、私の計算上、ここで抜かされないと新岩国の手前で追突されてしまいます。外に出てカメラを構えていると予想通り700系「のぞみ」が通過。あまりの速さに妙な写真が出来上がってしまった。まだまだ若いのぉ〜。
私は広島で下車します。広島はかつて中学校の修学旅行で来たことがあります。路面電車に乗って何処かに行こうかなと思ったのですが今日の広島の気温はは昨日の京都並みの摂氏34度。またまた死にそうになりそうなので駅の周りをテクテク歩いているとふと修学旅行で鉄道グッズを売っているお店があったのを思い出し、広島駅で生徒が集合した場所へ行ってみた。すると、結構有名な広島駅新幹線口の鉄道グッズ店「タブレット」がありました。ああこれか。などと感心して中に入ると、東京の店でさっぱり見かけなかった「新幹線0系の携帯ストラップ」が置いてあったので迷わず買いました。その後、マニアな私は0系の4両編成を見ようと新幹線ホームに入りお目当ての4両編成にご対面〜。☆ しかし、すぐに列車は芸備線に沿ったところにある広島運転所に引き上げていきました。
私が最後に乗るのは東京行きの最終「のぞみ30号」であります。☆ 時速300kmですっ飛ばす世界最速タイの営業列車です。丸い車体断面のため窓際は結構狭く、頭をぶつけそうです。列車は広島を発車するとぐんぐん加速し、あるところに来ると車内放送が流れ「ただ今時速300kmで運転しております。」とのこと。なるほど外を眺めると真っ暗で街灯のようなものが目の前を次々と通過してゆくムナシイ状況でなんとなく実感の無い時速300kmでありました。車内電話で家に電話をかけるとなんだか雑音が入り声が良く聴こえない。おまけに「フアァァァァ〜ン」と警笛の音まで聞こえてくる始末。カードの残数が見る見る減っていきます。
23時を過ぎた頃、のぞみ30号は新横浜に到着。これをもって私の一人旅は終わりを告げるのでした。あとは馴染みの地下鉄に乗って家路に。
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