先日、昭和の懐かしいテレビドラマ「寺内貫太郎一家」が放送された。このドラマをプロデュースした久世光彦の追悼
番組だった。昭和49年に「貫太郎」が放映されていた当時は、このドラマが久世さんの演出だということはまったく気にも留めていなかったが、とにかく熱心に観ていたことを思い出す。
あらためて原作を読み返してみると、文庫本の中に収められている「石頭」の章がテレビで放映された第1回としてそのまま忠実にドラマ化されていることを再発見した。家長である寺内貫太郎を中心にした「ドタバタコメディー」だが、おかしさや滑稽さに笑う場面と同じくらいしんみりとさせられ、思わず涙することの多い心温まる人情小説でもある。
それにしても、この「寺内貫太郎一家」という作品、、、原作とテレビドラマが見事に渾然一体となっていることに感心する。過去、様々な文学作品が映画化・テレビドラマ化されてきたが、多くの場合、原作と映像作品との間のギャップに少なからずがっかりさせられたものだった。原作以上の感動を得られなかったのだ。それは、演出が未熟であったり、俳優の演技力が不足していたり、映画セットがお粗末だったり、エキストラが貧弱だったり、、、などが原因だったのだが、とにかく、読者が想像力を逞しく働かせて没頭する原作を凌駕する映像作品を制作するのは至難の業だと思った。
ところが、「寺内貫太郎」の場合、文庫を読んでいてもテレビドラマの登場人物たちを自然と思い浮かべているのである。原作とドラマの間に距離感や違和感がまったくない。もちろん、映像化し易い素材であったことは否定できないと思うが、原作の面白さと感動を見事に再現していると思う。テレビドラマ化の際の配役が絶妙で、出演者たちが持つ強力なインパクトに負う部分も大きいと思う。DVDが順次発売されるようなので、是非、観なおしてみたいと思う。
2006年4月1日 |