小泉政権が“野口英世賞”の創設を検討しているという。先日、福島県の猪苗代湖畔にある野口英世記念館を訪れた小泉首相は、新設する野口英世賞をノーベル賞に匹敵する権威あるものにしたいとの意気込みを語ったそうだ。日本のみならず、世界の医学会に大きな足跡を残した英世の功績を称え、後進の育成に寄与するための賞が創設されることは、野口英世という人物の一人のファンとして喜ばしいことだと思う。その野口英世の生涯を綿密な取材と莫大な資料をもとに書き記された力作が本書である。
私が小学生のときに読んだ野口英世の伝記には、清作少年は貧しい家に生まれ、幼少の頃には囲炉裏に落ちて左手に大きなハンデを負ったが、それにめげることなく医学の道を志し日本有数の細菌学者となったばかりでなく、世界中で発生する難病を次から次へと撲滅し、世界の多くの人々の命を救った偉人、として紹介されていた。今にして思えば、人間としての野口英世がやや美化されすぎていた嫌いがあったが、小学生を対象にした偉人伝としてはある程度仕方のないところだろう。
本書では、野口英世のひとりの人間としてのずるさ、生きていくためのしたたかさなどが織り込まれ、より人間的な野口英世が描かれていることが興味深い。子供のときからお金に困ってきたにもかかわらずお金には執着せず、手元にあるお金は後先を考えずに使ってしまうところや、青年がもつ有り余るほどの「エネルギー」の発散のしかたなどから受ける人間としての野口にはややイメージギャップを感じる。それは、映画「アマデウス」で描かれていたモーツァルトと、一般的に思い描かれてきた音楽の神童としてのモーツァルトとの間に生まれるギャップに似ているかもしれない。
このような人間臭い英世が医学の道を突き進んでいくストーリーにどんどん引き込まれていく。医学博士でもある著者の医学的な知識や考察もこの作品に厚みを与えていると思う。海外での生活が長くなった英世が母に再会するため横浜に凱旋帰国したときの臨場感、猪苗代の生家近くの道での英世と母シカとの感動的な再会シーン、そして、海外での学会の席において、英世の学説に異論をぶつけてくる学者を確固たる自信のもとに一喝する場面の感動は筆舌に尽くしがたい。惜しむらくは、英世がアフリカのアクラに渡ってから終焉を迎えるまでのストーリーにややボリューム不足の感があることだが、入手できる情報や資料に限りがあったのだろうと推察する。
渡辺淳一氏といえば、最近では「失楽園」や「愛の流刑地」など、性的描写の濃い
ドロドロした男女関係ものが目立っているが、本書はそれらと趣を異にする同氏を代表する秀逸作の一冊であろう。
2006年6月11日
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