今からもう10年以上前のことであるが、私は一時期ドイツのミュンヘンに住んでいたことがあった。あるドイツ企業の日本人駐在員として赴任していたときのことである。
その時に、本書の著者であるシュミット村木眞寿美さんに仕事を通してお世話になった。一人暮らしをしていた私をホームパーティに招待しごちそうしてくださったこともあった。
当時、私の周りには日本人が誰もいなかったこともあり、ややホームシック気味であった私はたいへんうれしかったことを今でもはっきり覚えている。
シュミット村木さんはミュンヘン在住で、リポーター、通訳、翻訳のかたわら執筆活動もしている。
「「花・ベルツ」への旅」、
「ミツコと七人の子供たち」、
「レイモンさんのハムはボヘミアの味」、
「クーデンホーフ光子の手記」
などの他、
最近では「もう、神風は吹かない」
の著書がある。
そのシュミット村木さんが、かつて親交のあった寺山修司(1935−1983)との想い出や記憶を綴ったのが本書「五月の寺山修司」である。著者は早稲田大学の大学院を修了後すぐにスウェーデンへ渡った(寺山修司流の言い方では「外国へ家出」
となる)のだが、出発前に寺山修司原案・構成によるTBSのテレビ番組のインタビュアーとしてアルバイトをしていたときのこと、寺山の英語の教師をしていたときの様子、寺山が率いる劇団「天井桟敷」がドイツ公演にやって来たときのこと、1972年のミュンヘンオリンピック開催中に起こったテロ事件などを通じて、寺山の人となり、表情、話し方、考え方、気難しさ(?)が所々に垣間見える。
私にしてみれば寺山修司が「天才的」劇作家であり、少し「変人」であったという程度の知識は持っていたものの、それ以上の興味は特になかったので、今の今まで彼に関連する著作物を読んだことがなかったのだが、この本を読んで寺山修司という人がなぜか身近に感じられた。本書がそこまで読者を寺山に近づけるのは、ただ単にこの本の著者が寺山修司と面識があったということ
だけにとどまらず、
“形而上的愛”によってお互いを認め合っていたという人間関係の上に本書が執筆されているからではないかと思う。それゆえに、著者と寺山の会話には字面以上に
立ち入ることのできない部分を感じ、本書を通じて寺山を知ることの限界と「挫折感」も味わう。それはある種の嫉妬なのかも知れない。その嫉妬とは、“形而上的な愛”によって結ばれた二人の世界への
「嫉妬」であるとともに、私にしてみれば、ある種の尊敬と憧れの念を抱いてきた世代
が持つ、私が未だに到達できずにいる精神世界に対するコンプレックスなのだろう。
2006年6月17日 |