医療技術の進歩により人類が受けた恩恵は計り知れないものがある。かつては不治の病といわれていた難病も今日では治癒可能になったものが多くある。医療技術の飛躍的発展が人類の平均寿命を延ばすことに貢献していることも疑いの無い事実であろう。
ところが、今日ではその医療技術の進歩が、臓器移植、人工授精、体外受精、人工妊娠中絶、クローン技術、安楽死、遺伝子操作などにも及び、元来“天からの授かりもの”である「生命」を人類がコントロールするようになりつつある。かつては立ち入ることをタブー視されていた領域に人類が深く立ち入ろうとしているのである。
そのような状況において、生命倫理を考えることの重要性や先端医療を取り巻く今日の危機的状況を問いかけているのが本書である。先端医療の個々の例を挙げて、生きるとは何か、人間の尊厳とは?、を倫理的道徳的観点から文学的要素も取り入れながらわかりやすく紹介している。
ただ、著者があとがきに記しているように、それぞれの問題について、いくつもの相矛盾する観点を提示するにとどまり、あえて著者の意見らしきものを積極的に主張することはされていない。読み進めている中でその点にやや物足りなさを覚えたが、著者は、「人々がしばしば犯す過ちは、自分の意見ばかりを主張して、それにより不利益を被る人々のことを顧みようとしない点である」という。確かに人それぞれの倫理観や道徳観は個々の価値観や人生体験、さらには宗教観などによって大きく異なるはずだ。「生命倫理の問題そのものの持つ生々しい鼓動に触れつつ、問題解決の様々な可能性を垣間見てもらいたかった」というのがそもそもの狙いであり、著者が大学の講義で使用することを前提に執筆されたものならば著者の意図は充分理解できる。
私の父は肺炎で逝った。
高齢者の肺炎は命取りになるケースが多いといわれるが、父の場合も呼吸困難に陥った結果、気管挿入による人工呼吸器の装着を余儀なくされ、様々なチューブやコードに繋がれたまま最期を迎えた。自己呼吸ができるようになるまで回復しない限り人工呼吸器は死ぬまではずされることはないということは後で理解した。人工的な延命処置が施され、植物状態のまま2週間足らず“生きていた”父の痛々しい姿を思い出すたびに今でも心が痛む。これも医療技術の進歩なのであろうか。父の命日を前に、命とは?医療とは?人間の尊厳とは?を改めて考えさせられた一冊である。
2006年2月20日 |