小泉政権の誕生以降、政治がたいへん“おもしろく”なった。小泉劇場などと茶化されることもあるが、たとえ野次馬的趣味であったとしても、国民の関心をかつてない
まで(?)政治に対して向けさせたのは小泉政権の「功績」であることは間違いないだろう。そして、政治に対する関心の高まりをそのまま小泉人気に密接にリンクさせてきたのはたいしたものだと思う。
最近の小泉内閣の支持率は発足当時のものと比較すると下がってはいるものの、それでも相対的に高いレベルを維持している。それは、小泉純一郎という個人の役者ぶりに
負うところが大きいと思われるが、この1年ぐらいは、自民党内に組織されたコミュニケーション戦略チーム(コミ戦)が広報戦略面で小泉内閣を強力に支えてきたことも奏功しているらしい。
その自民党の「戦略的広報」の実際を、「コミ戦」の陣頭指揮を執った世耕弘成議員が著したのが本書である。この本、活字が大きくて読みやすいのだが、戦略的広報論として
の深みは感じない。とはいえ、著者が元NTTの広報マンとして実際に経験したことや自民党内の裏話的な内容が紹介されている点はおもしろいし、この本では掘り下げられることはなかったが、著者が米国のボストン大学コミュニケーション学部大学院で学んだことに基づく広報観やコミュニケーション観も感じること
ができる。
また、2005年夏の衆議院郵政解散に伴う総選挙の際、世論のモニタリングを常に行なうことによって、自民党が訴えたいポイントとそれに対する社会の受けとめ方とのギャップを埋めるための広報戦略はなかなか臨場感がある。
「どんなに立派な政策でも、それを国民に理解してもらい支持される作業が重要。そして最終的に選挙を通して与党としての信任を得て政策を実現するためには、国民や社会とのコミュニケーションが重要」というのが著者の
持論である。実際、その考え方に基づいた広報戦略が先の衆院選での自民党勝利に少なからず貢献したようだ。
しかし、メッセージの受け手である我々が気をつけなければならないことは、広報という機能には情報操作や世論操作のような一面も持つということだ。戦時中の日本では大本営の情報操作により正しい戦況が伝えられなかったし、1992年から1995年まで続いた旧ユーゴスラビア民族戦争、いわゆるボスニア紛争、ではアメリカの某PR会社が国際世論をたくみに誘導したといわれる(ドキュメント 戦争広告代
理店-情報操作とボスニア紛争 参照)。先の選挙で自民党がマスコミを使ってアピールしたことにしてもすべてが是とされるものではないはずだ。
広報は現代のビジネス社会では企業価値向上のための効果的な「道具」であり「武器」である。それを誤った目的のために使用されることがあってはならないが、メッセージを受ける側としては、安易に世論に流されることなく、真実を見極める努力が必要である。
2006年4月12日 |