イタリアで出版されるや直ちに90万部を売り上げ、全世界に衝撃を与えたという17歳女子高生の自伝的小説を読んでみた。ひと言で読後感を表現するとすれば、疲れたア。感性の違いというか、ストーリーの組み立てというか、、、やはり17歳の女の子心理を読むのは洋の東西を問わずむずかしいようだ。
この「17歳のラディカルな性体験」は、高校生のときに図書館でこそこそ読んだ川上宗薫 の官能小説ほど「興奮」しなかったし、村上龍の「限りなく透明に近いブルー 」でぞくぞくさせられたほど退廃的でもなかった。この「自伝的小説」には「アイズワイドシャット 」のようなフィクション色を感じた。飯島愛の「プラトニック・セックス 」とある意味では似ていると思うが、こちらの方がより文学的で秀逸だと思う。
イタリア語で書かれたオリジナルがどのような文章だったのかはわからないが、翻訳者はかなり苦労されたのではないだろうか。ストーリーが文章で展開していくのではなく感覚的に進行していくため、少なくとも私は読み進むのに苦労した。訳者のあとがきにあるように、これが今どきの女子高生が抱く現代のおとぎ話しだとしたらジェネレーションギャップを認めざるを得ない。
私が中学生の頃読んだ庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて 」は当時の芥川賞選考委員の間ではかなりセンセーショナルだったらしい。私は「薫クンシリーズ 」には少なからず影響を受けたものだ。最近の芥川賞や直木賞の受賞者は低年齢化が進んでいるという。それら受賞作が100年後にも漱石や龍之介のように読み継がれているかどうかはわからないが、新しい感性の持ち主が出現して文学も時代とともに変わっていくものである。この「おやすみ前にブラッシング100回」も時代の産物なのであろう。
2005年12月22日 |