第二次世界大戦末期の昭和19年10月、フィリピンのレイテ湾沖に航空母艦を含むアメリカの大機動部隊が来襲した。アメリカの圧倒的な物量作戦の前に苦戦を強いられ続けてきた日本の連合艦隊は、国家存亡を賭けて250kgの爆弾を装着した零戦を敵艦に体当たりさせる特攻隊を編成した。これが終戦まで繰り返された神風特別攻撃隊の第一陣だったという。
この本は、父、母、家族、恋人たちのために自らの命を捧げたその特攻少年飛行兵たちの最期の姿を、彼らが残した純粋無垢な手紙、日記、遺書、関係者の回想をもとに綴ったものである。二度と生きて戻れないことを覚悟し、「行ってきます」ではなく、「行きます」と言い残し飛び立っていった少年飛行兵たちの心情がひしひしと伝わってくる。特に印象的なのは、そのような精神的極限状態にあっても、あとに残される者の今後を彼らがやさしく思いやっていることである。本書の巻頭に収録されている写真の表情も凛々しく毅然として明るい。特攻出撃の直前に整備兵たちと別れの杯を交わす彼らには笑みさえ見える。お国のため、あるいはそれ以上に、父、母、兄弟、恋人のためという純粋な気持ちだけが恐怖に押しつぶされそうになる彼らを支えていたのだろうか。
私が小学生の頃、今は亡き父に「あゝ予科練」
という映画に連れて行ってもらったことがあった。
当時はその内容をよく理解することはできなかったが、第二次世界大戦末期に丸刈り頭の西郷輝彦さんたちが演じる少年飛行兵が「特攻隊」として出陣していくシーンに涙が流れたことは今でも覚えている。父は志願して予科練の厳しい試験を受けて入隊したが、大怪我のために特攻出撃をすることなく終戦を迎えた。だが、父が所属していた部隊は誰一人生きて戻ることはなかったという。父はどういう気持ちでこの映画をみていたのだろうか。今になってようやく、決して自ら語ることのなかった父の思いが理解できた気がする。
鹿児島県の薩摩半島に開聞岳という山がある。そのふもとに、最後の特攻隊が飛び立って行った知覧基地があった。小泉純一郎首相はこの知覧にある特攻資料館を訪れた際、お国のために死んでいった若い飛行兵たちの心情を思いやり、感極まって涙したと聞く。小泉首相が流した涙と、この本を読んで流す涙はまったく同じものであろう。戦争の悲惨さを生々しく伝える名著の一冊だと思う。
2005年12月5日 |