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今回のお散歩コースは、地下鉄の操車場((3))、公園((5)から(6))、そして川沿いに下りていく((11)から(13))など、人気(ひとけ)があまりない場所がありますので、グループで行かれる等のご注意をお忘れなく!今回は、ワシントン・ハイツ Washington Heightsの北側を歩きます。地図をご覧戴くとお分かりの通り、今回は公園、そして川沿いなど、マンハッタンの中の自然に触れる散歩です。 地図中の緑の星印まで、地下鉄1,9でやってきて207Streetで下車。地下鉄はこの辺りでは高架になっており、駅のすぐ下に(1) Graffitiがありました。お散歩を開始します。まずは、東(地図では下)に207Streetを歩きます。短い(2)University Heights Bridgeを渡るとそこはブロンクス。橋の上から、(3)地下鉄の操車場を望みます。 University Heights Bridgeを逆にマンハッタン側に戻ります。どうも、BroadwayとDyckman StreetとHarlem Riverで囲まれたこの辺りは低地になっているようです。207Sreetを歩いて、地下鉄の高架を潜っていくと、Broadwayまでは坂を登ることになりました。この207Streetの左右の看板、そして人々が会話する言語は、予想通りスペイン語でした。207StreetをBroadwayに出たら左折。右手に、(4)18世紀の農家があります。
実は、ここからは道が相当枝分かれしていまして、良く判らないのですが(苦笑)、とにかく、上り坂の道を西の方へと歩いたら、(6)クロイスターズ美術館裏手へと辿り着きました。(この不明瞭な案内、ご無礼のほどご容赦!(恥)) クロイスターズ美術館の見学を終えたら、美術館正門から伸びているThe Promenadeという道を辿って行き、(7)古い石橋で道路を渡り、(8)庭園を抜け、フォート・トライオン・パークの南口にでます。 ここからは、Fort Washington Avenue沿いに南(地図では左)に向かいます。左右に住宅が並びますが、その(9)住宅地の中の公園で一休み。181Streetに出たら、右折(地図では上)。ハドソン川に向けて、急坂を降りていきます。River Side Driveから(10) ジョージ・ワシントン・ブリッジが一望できます。River Side Driveを少しだけ北(地図では右)に歩くと、(11)歩道橋でHudson Park Highwayの南行き車線を越え、ヘアピンカーブを回ったら今度は(12)トンネルでHighwayの北行き車線を潜ります。 チョットの間ですが、森林の中を歩くと川沿いに出て、(13)小さな灯台のあるジョージ・ワシントン・ブリッジのたもとに出ます。この辺りは、バーベキューをする家族や犬と戯れる人などが集まってくるようです。 川のほとりに下りてきた道を戻り、181Streetの地下鉄Aラインで帰ります。 「ワシントン・ハイツ Washington Heights」は、南は155Street、西はハドソン・リバー、東はハーレム・リバー、そして北はDyckman Streetです。Dyckman Streetから北は、インウッド Inwoodとして区別されるのが一般的なようです。今回のお散歩エリアは、ワシントンハイツの南北の真ん中辺りに相当する181Streetより北側になります。南側については、お散歩コース「ワシントン・ハイツ(南)」をご参照ください。 さて、ワシントン・ハイツ全体の歴史を以下。 独立戦争当時は農園でした。1800年代に入ると、森林があり、ハドソン川を見下ろす絶景から、北西を中心として富豪層の大邸宅が建てられますが、まあ、「田舎」でした。 1900年代に入り地下鉄の開通とともに住宅地として開発されます。、1904年に現在の地下鉄1ラインが157Streetまで開通し、1906年には、さらにマンハッタンの北まで伸びてきます。そして、一気に住宅化が訪れると同時にコロンビア大学などの施設も建てられていきます。その住宅化にも特徴があり、ブロードウェイを境にして西側が東側より高所得層、そして南から北に行けば行くほど高所得層、という「棲み分け」が出来ましたが、これは地勢の高低とほぼ一致しています。また、現在の地下鉄A、Cラインも1932年に開通しました。 1900年代の前半に居住してきたのは、ギリシャ人とアイルランド人が主流だったようです。その後、1930年代、40年代と、ナチスドイツの弾圧から逃れてきたユダヤ人が入居してきました。ちなみに、アメリカに移住してきたユダヤ人には4つの世代グループがあるようです。
以降のドミニカ系移民とワシントンハイツの歴史については、お散歩コース「ワシントン・ハイツ(南)」の添え書きをご参照下さい。 --- 今回のお散歩エリアは、地図でもご覧いただけるように、公園が非常に多く緑が豊富な一角でマンハッタン内の自然散策とも言えそうです。 お散歩エリアのタイトルを、fujiyanは「ワシントンハイツ北」としましたが、上述しましたように、Dyckman Streetより北側は、Inwood(=「深い森」?)と呼ばれます。さらに、181StreetとDyckman Streetの間を、Broadwayの東西で2つに別ける呼び方もありまして、西を「Fort Washington」、東を「Fort George」とするものです。バスの行き先表示は、この2つの呼び方を使っていますね。 今回のお散歩コースの辺りは、アメリカ独立戦争当時(1776)に複数の砦が築かれました。Fortとは「砦」を意味します。 Fort Tryon Parkの辺りは「トライオン砦」、Fort Washington Avenueの辺りは「ワシントン砦」、そしてBroadwayより西の192Street周辺は、Fort George、つまり「ジョージ砦」です。 この辺りと、南にあるモーニングサイド・ハイツ、ハミルトン・ハイツなどを含めた総称として、「ハーレム・ハイツ」と呼ばれる場合もあります。戦時中は高台に陣取るのが定石となりますので、この「ハーレム・ハイツ」は独立戦争当時、英米軍が争奪戦を繰り広げた訳ですね。「守る米軍、攻める英軍」でしたが、結局米軍は今回のお散歩エリア辺りに追い詰められ、ハドソン川を渡ってお隣ニュージャージーへと退却することになりました。 ちょっと横道にそれますが、マンハッタン内部の地勢は場所によって違っています。アメリカ自然史博物館のページからマンハッタンの地勢図をリンクしました。これをご覧になっていただくと判るのですが、上述のハーレム・ハイツの場所は、ピンクで表示されており、その部分が高台になっているようです。今回の散歩のスタート点あたり(1)(2)(3)は、黄色で表示されていますが、この部分は低地になっているわけですね。ちなみに、同様に黄色なのが、イースト・ハーレムとハーレムあたりで、ここは地勢的に「下町」ということが出来そうです。さらに横道にそれると、地勢図中のハーレム・ハイツのピンクの中に、白い点線がありますが、これは断層で125Streetあたりが大きな谷になっています。 今回のお散歩エリアの、特に北側のインウッドあたりで思ったのは、ラテン系住民が大多数の中に、白人のお年寄りがけっこう見受けられること。杖をついておられたり、歩行補助機をつかって歩いておられました。 ある住居エリアに他の民族が入ってくると、そこに居た先住民族は転居して去っていく、というのが、良い悪いはおいておいて、マンハッタンの特徴なんです。しかし、大変失礼ですがお年を召した白人は「逃げ出す」気力、財力が、残念ながら無いんでしょうねぇ。また、このエリアだけではなくマンハッタンでは、老夫婦を狙った押入り強盗、あるいは強盗殺人も、たいへん残念なことですが、時々発生しているようなんです。 チョット複雑な気持ちになった光景でした。 |
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