地図中の数字付きボタンにて、JavaScriptを使用して写真をご案内しております。 全て新規画面設定ですので、まめに閉じてくださいネ。 |
|||||||
このエリアが、マンハッタンで、どのあたりかお知りになりたい方は、こちらをクリック! | |||||||
今回は、「ガーメント・ディストリクト Garment District」という「Garment=裁縫」つまり「アパレル産業地帯」と、ショッピング街の「ヘラルド・スクエア Herald Square」界隈を散歩します。 今回のお散歩エリアは、1870年頃から1900年頃までブロードウェイを中心軸とした大歓楽街「テンダーロイン Tenderloin」というエリアに相当しますが、実はその名残はほとんど現存していません。 グランド・セントラル駅から42St沿いに緑の星印にやってきてお散歩スタート。まずは西(地図では上)に歩き始めます。左手が(1)ブライアント公園。そして42St沿いのタイムズ・スクエア周辺にはファッション関連の(2)大手雑誌社があります。
7Aveで左折。ここから36Stまでの5-8Ave間は(3)-(7)「ガーメント・ディストリクト」と呼ばれる「アパレル産業」地帯です。 36Stからは、 大歓楽街「テンダーロイン」の数少ない記憶である(9)レストランを挟みながら、(10)「ヘラルド・スクエア」を中心とした(8)ビジネス兼(11)-(13)ショッピング・エリアの散策です。この界隈は20世紀前半に(15)交通アクセスが発達し、(16)(18)ホテルなどが並びました。 30Stから南は、「チェルシー」との境目です。この辺りには、(19)花木販売エリアや(20)毛皮服のエリアがあります。(21)ファッションの名門校を拝見した後、(22)「蚤の市」界隈に辿り着いてお散歩終了です。 今回も添書きが長いです。もう皆様にお断りするのも、恥ずかしくなってきました(苦笑)。 1870年-1890年頃:大歓楽街「テンダーロイン Tenderloin」 東を5th Ave、西を8Ave、南は23St、北を42Stに囲まれた今回のお散歩エリアは、1870年頃から1890年頃まで 「テンダーロイン」と呼ばれた一大歓楽街でした。「ブロードウェイ」沿いに並ぶたくさんの「シアター」を取り囲むかのように、カジノ、ダンスホール、飲食店が立ち並び、そして売春宿まであったエリアだそうです。西は「ヘルズ・キッチン」という工業地帯で労働者の住居地帯、東は中高所得層の住居地帯と言うわけで、身分の上下に関係なくその所得に応じて遊んでいた、というところでしょうか? 「テンダーロイン」と呼ばれた理由ですが、合法、非合法どちらの商売でも「テンダーロイン・ステーキ」を警官へご馳走する「お心付」をしていたからだそうです。金銭ではなくて飲食による「お心付」というのはたぶん賄賂ではないということなんでしょうねぇ。そういえば数年前の日本での官僚スキャンダル時に、「接待」とか「ワイシャツ券」などは「金銭」でないので「賄賂」に相当しないと、お役人の世界では「認定」していたそうですね(笑)。 この時代はNY市を仕切った政治マシーン「タマニー協会」(添書き「アイルランド系移民とタマニー協会」参照)の絶頂期に当たります。「タマニー協会」はNY各エリアの、良く言えば親分・子分の「任侠」集団、悪く言えば「ギャング団」をその傘下の「社会クラブ」に再編成し、「政治集票マシーン」としてNYに君臨していましたが、歓楽街「テンダーロイン」と政治(民主党)や警察を癒着させ、協会の大きな資金源となっていたようです。 いわゆる「良識派」はここを「Satan's Circus 悪魔のサーカス」と呼び、反対運動を行っていました。その効果からか1890年頃からそのエリアが徐々に北西に押し上げられ、1920年頃にはタイムズ・スクエアを中心とする、現在の「シアター・ディストリクト」に移っていきます。時代を経てカジノなどは無くなり、ここ10年でポルノ・ショップや売春が排除され(たハズ?)、現在に至ります。「良識派」の方々は、5Aveより東に住んでいましたので、西に歓楽街が離れていけば、まあ、あまり気にしなくなったのかも?(笑) 北に押し上げられた歓楽街「テンダーロイン」の跡ですが、 -南側の34St「ヘラルド・スクエア」周辺は1900年頃からショッピング店とビジネスビルのエリア、 -そして北側の40St前後は1920年頃から「ガーメント・ディストリクト」という「アパレル産業」の街 と、なっていきいます。 1900年頃-20年頃:「テンダーロイン」南側は 34St「ヘラルド・スクエア Herald Square」中心としたショッピング+ビジネス・エリアに ブロードウェイを6Aveが交差する34St周辺は、一時期その辺りに在った新聞社の名前から「ヘラルド・スクエア」と呼ばれています。ここは歓楽街「テンダーロイン」の中心でしたが、歓楽街は北西へと移動し、その跡は小売店舗が占めました。大ショッピング・エリアだった「レディス・マイル」からこの「ヘラルド・スクエア」界隈に1902年には百貨店「メイシーズ」が転入します。同年には百貨店「サックス」、1912年には百貨店「ギムベル」が開業します。1904年地下鉄も開通、「ペン・ステーション」は1911年開業と、交通アクセスによる売上向上も期待していたたようです。「ヘラルド・スクエア」34St周辺の開発はその後も続き、ビジネス・エリアとしても、それなりに発展しました。 23Stから「ヘラルド・スクエア」界隈の30St辺りまでの間は、ちょっとポッカリ空いた場所になりましたが、毛皮売買エリア、フラワー・ディストリクトなどが成立しました。近年ではフリー・マーケットなども開催され、最近ではエリア西側のチェルシーの一部とも見なされています。 1920年-:「テンダーロイン」北側は「ガーメント・ディストリクト Garment District」 「ガーメント Garment」とは「衣料」のことで、「テンダーロイン」の北部であるこのエリアは1920年頃からアパレル関連の街となりました。 時代を遡ると、19世紀後半に衣料製造業が勃興します。裁縫作業の労働力は「ローワー・イースト・サイド」のユダヤ系移民が裁縫作業労働者で、その後イタリア移民も参入してきました。衣料製造会社は、1910年頃に一大ショッピング・エリア「レディス・マイル」の北端である、5Aveとブロードウェイが交差する 「マディソン・スクエア」周辺に集中しました。「レディス・マイル」が百貨店などの「お得意さん」がひしめき合っていたわけで、そこに隣接したという訳ですね。 ![]() そこで1920年に「ヘラルド・スクエア」の北側36-38St/7Aveに、今で言えば「アパレル工業団地」が作られました。結果、歓楽街「テンダーロイン」は北のタイムズ・スクエア42St周辺にさらに押し上げられました。その後多くのアパレル産業関連の会社が周辺に転入し、ストリートで30番台後半から42Stの5-8Ave間は「ガーメント・ディストリクト Garment District」として確立します。そしてデザイナー達も周辺に集まり、NYファッション界をリードするようになります。 ![]() 現在では「ガーメント・ディストリクト」は「ファッション・センター Fashion Center」と自らを呼び、ブライアント公園でイベントなどが行われる春、秋の「ファッション・ウィーク」が開催されるなど、「NYファッション」の中心です。 さて「ガーメント・ディストリクト」界隈は、「Wholesale ホールセール」つまり大口業者向けで一般小口客を相手にしない会社・店舗が大半ですので、ウィークエンドは活気がありません。従いまして散策するには平日をオススメします。今回の写真は土曜日に撮影しましたが、下見散歩をした平日には道の左右に華やかな服の色が咲いていました。またビルの一階にショーケースを開いている店ばかりではなく、上階にある会社も多いとか。 実際にお買物をしようと思われた一般の方には、「リテール Retail」つまり小売り=一般客向け販売、を行っている店もあるようです。その見分け方ですが、店のショーウィンドウに「Wholesale & Retail」とあればOKのハズですね。 ![]() Frommer's社のガイド本「Born to Shop New York」( 「ニューヨークを買物するために生まれて」、って、ウーン、すごいタイトルですね(笑)。)によると、この「サンプル・セール」は「ガーメント・ディストリクト」のみならず、デザイナー・ブランドでもたまに行われており、「あまりにも安いので買いすぎに注意」とまで述べています(笑)。また同本によりますと、この「サンプル・セール」はNYのみで行われることが「慣習」?だそうで、「サンプル・セール」開催情報を載せたニュース・レターも発行されているようです。 「ガーメント・ディストリクト」での「サンプル・セール」は、店の外に張り紙で知らせるようです。散歩中のfujiyanも実際に張り紙を目にし、また「サンプル・セール」をハシゴしているとおぼしき女性二人組を目撃しましたデス。NYにお越しの折には、皆さんも試してみてはいかがでしょうか? さらにご興味のある方は、以下をクリック!
|
「マンハッタンを歩く」 のメニューへ |
トップページへ |