彫刻家・和南城孝志(わなじょう たかし)
                                        Wanajo takashi  


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                 パキスタン・ネパール・アンナプルナ・トレッキング・1990年
          
  (写真・文・和南城孝志)    最下段に和南城孝志筆のネパール紀行掲載


                             3/21 Makuri Hill(pakistan)    4/14 Tatopani(1,160m)Kaligandaki riverの露店風呂

                                      下図 拡大します

 
 4/18 Larjungの小学生           Larjungの農婦とマニ車            4/19  Tukche(2,586m)のチベット婦人

3/31 Kathmandu Pashupatinathのヒンズー寺院   Pashupatinathでの火葬     4/20 Marpha(2,667m) チベット・ラマ経の葬式      


 
       4/17  Kalopani(2,500m)              右側 4/10 Salangkot(1,667m)Pokhara,Mt.Machhapuchhre(6,993m)

4/13 Poonhil(3,232m) Ghorepani峠(2,853m)             4/13 Poonhil, Dhauragili 1 峰 (8,167m)
Annapurna South(7,219m) and Annapurna 1 峰(8,091m)

 4/18  Larjung, Dhauragiri 1 icefoll               4/26  Jomson(2,700m), Nilgili North(7,061m)の北壁
 


           ネパール紀行(和南城孝志筆)
(STONES 美術誌・石の文化と創造 1991年掲載より転写)


 ネパールの首都カトマンドゥに隣接する古都パタンのバザールから、
ローカルバスにゆられて40分程、のどかな田園風景の中を行くと、終点の
ゴダヴァリという静かな村に着く。
 かっては王家の別荘であった場所が今植物園になっており、周囲も緑豊か
な農村である。この村はずれの山の頂近くに大理石の採石場があり、その麓
にそれを加工する石材工場を偶然訪れる機会があった。
(下写真)
 採石場は、はるか頂上にあるので見られなかったが、工場の入口近くの
敷地に山から降ろした原石が並べてある。グレーと白の縞模様の大理石で
割ったままの大小不揃いの原石が無造作にころがしてある。
 

     それでも工場の中に入ると、まだ真新しいイタリア製のタイル用研磨機などの設備と、
     一台のみながらこれもイタリア製のガングソーすらあり、小規模ながら一応石材工場の観を
     なしている。
      ここの工場では30cm真四角や、その半分のサイズの大理石のタイルを製造しているが、
     イタリアのバルディリオに似たグレーの大理石と薄茶色のこれもまたボッティチーノの柄を
     はでにしたような大理石が多かった。原石がまだ岩盤に達していないためか、サイズが
     不揃いに割れた石でクラックが多い。また製品のタイルを見るといずれの大理石の種類も
     柄がきつく不揃いだが、こちらでは色合わせなどということはあまり気にしないのだろ
     うかと思う。
      工場内を一通り一順していると、敷地の一隅になにやら華やかな色彩の一群が目に入った。
     よく見るとサリーを身に纏った20人位のネパール婦人達が縦2列に座り、工場で製造した
     タイルの面取りの作業を砥石を持って、手作業でやっているのであった。近寄って写真を
     撮ろうとすると、はでな嬌声をあげるやら、恥ずかしがって顔をおおうやらで、ひとしきり
     にぎやかな光景になった。
(下写真)
      工場長は中年の体格のよいインド系のネパール人で、英語を話す。原石がまだ小規模にしか
     採れないので製品にむらがあって困るとか、過去にはインドにも輸出していたが、今は
     ネパール国内のみ供給しているとか説明する。ここのグレーの大理石の中にはよく貝や魚の
     化石がまざっており、太古のヒマラヤ大山脈が海底であったことが証明される。

カトマンドゥ近郊のゴダヴァリの石材工場   タイルの面取りをするネパール婦人      カリ・カンダギ川の石工とニルギリ峰(7,061m)

      その後、私はカトマンドゥから200km西にあるネパール第2の町ポカラに行った。ポカラは
     湖とアンナプルナ連峰の展望で知られる町である。またアンナプルナ、ダウラギリ、マナスル
     などヒマラヤの8,000m級の巨峰への登山やトレッキング(山歩き)の基地でもある。
      私はこのポカラからアンナプルナ山群を西に迂回する、昔ティベットとの主要交易路、
     ジョムソン街道とヒンドゥー教の聖地として巡礼者を集めている標高3,800mの村ムクチナートへ
     の4週間のトレッキングに単身出発した。
      途中の山麓風景は、日本を想わせる田園風景である。農家の造りは、この周辺に見かける
     片麻岩をレンガ大に割って積み上げ、土と牛糞を混ぜたものをモルタルとして使う。
     さらに薄くスレート状に割ったものをきれいに四角くして屋根に葺く。家を建築中の所を
     何度か目にしたが、石工はその加工を片方の先が平らにとがったハンマー1つで、器用にこなす。
     木の板を挽くのも、二人で向かい合って木挽きノコで挽くというふうに、総て人力である。
      トレッキングの中間点の手前、5日目に標高2,750mのゴレパニ峠を越えると、1日中峠からの
     長い下り道になる。いいかげんヒザがガクガクしてくる頃、チベットから流れてくる
     カリ・ガンダギ川の川原に出た。(*カリ・カンダギ川=聖なる黒い川の意)
         (河原でアンモナイトの石を見つける。
➡下段に写真あり)
     もう日も傾きかけて薄暗い川原で、4~5人の石工が川原の大きな片麻岩を、民家の建築用に
     割っている光景に出会った。大振りの鉄のみを竹棒ではさみ持ってあてがい、もう一人が
     大ハンマーで力いっぱいたたく。数多くのヤ穴を一度に彫って、トビヤで割るという方法は
     知らないらしい。
(上写真)
     1本のノミと大ハンマーで一ヶ所ずつたたいていくので、労多くしてなかなか割れない。
     カメラを向けると、ニッと笑って、ジャパニー(日本人か?)とか言って、さらに張り切って
     ハンマーを打ち降ろすが、相変わらず石はさっぱり割れそうもない。もっと別な方法でやれば、
     そんなに苦労しなくても簡単に割れるんだよ、と言ってやりたいが、残念ながらネパール語は
     こちらは皆目しゃべれない。あーあとため息をもらして、夕闇せまる川原からかなたの方向に
     目を転じると、雲間がきれて、突然まっ白に輝いた巨大な雪峰が目に飛び込んできた。
     アンナプルナ山群の名峰ニルギリ峰である。
     標高1,000mの川原から見上げる、標高7,000mのヒマラヤの頂きは圧倒的な迫力である。

             ああ!これはカナワナイワイと思った。

     この素朴な石工達と、それを見守る白き神々の座ヒマラヤの風景は、今回の旅の中でも際立って
     美しい光景であった。(完)



                   
カリ・カンダギ河原で見つけた化石    

1990年4月26日カリ・カンダギ河原でこぶし大の石を
何10個と砕いて(石を投げぶつけて割ったという)
見つけたという。
他の外国人登山者が皆、数個であきらめて遠ざかる
中を、最後までやり通したという。
おそらく思うに、石の彫刻家で大理石はもちろんの
こと、石の中で一番固いといわれる御影石を彫った
経験から 例え小さな石でも、どこをぶつけると割れ
るかを会得していたので(左上の)こぶし大の石を
割ることが出来たのだろう。
たぶん普通の大人では、石を石にぶつけ投げても
はじかれてしまうことだろうと想像する。

帰国後、満面の笑みを浮かべ嬉しそうに 宝物のお
土産だと、渡されたことを想いだす。(洋)