象山記念館

和魂洋才を唱えた先覚者

(知への小さな旅;トップ→目次→人物目次→文人・学者・思想→)

文人・学者・思想へ  目次へ

 長野市の市街地から千曲川を渡った対岸にある松代は、三方を山で囲まれている。大戦末期、日本軍は大本営をここの地下壕に移し、本土決戦をしようとした。江戸時代には真田家の松代藩がこの地を支配していた。

 幕末にはこの地から兵学者で開国論者として知られる佐久間象山(18111864)が出ている。象山は彼の号で一般的にはしょうざんと読むが、地元ではぞうざんと呼んでいる。地元にはぞうざんという小山があり、それを自分の号としたと述べているから、多分後者が正しいのだろう。

 象山は最初朱子学を学び、次いでオランダ語を学んで洋書から色々な知識を吸収し、その実践を心掛けた。そのため兵学家・砲術家として国内に名が広まり、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬なども学んでいる

 幕府の外様圧迫の政策で長く苦しんだ松代藩も、幕末になると松平定信の子息で真田家8代藩主となった幸貫を迎えて、ようやく政治的安泰期を迎えた。幸貫は老中海防掛に就任したが、象山を登用して「海防八策」を提出させている。

 その後、象山は吉田松陰の海外渡航失敗に連座して9年間、松代でちっ居の身となる。彼はその期間に洋学をさらに研修している。そして精神面は儒教の倫理思想により、また外界の事象は西洋の物理によって解釈し、世の中の物事をこれで統合させるという考え方から、和魂洋才による開国論を唱えた。

 やがて彼は請われて京都で開国論と公武合体論を説いて回っていた。自信家だった彼はやや無防備な面があり、狂信的な尊皇攘夷論者によって暗殺された。鋭い眼光をもった精悍な容貌を見るにつけ、使命感に燃え身の危険を顧みなかった様子が理解できる。

 松代には「象山記念館」が造られ、彼の遺品や遺墨、試作した電気治療器などを展示している。また町内には彼が無線電信を国内最初に実験して成功した鐘樓や、ちっ居した高義亭などが残っている。

文人・学者・思想へ    文書の先頭

(作成日: 00/06/01、更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

象山記念館_長野市松代町松代 1446-6_TEL 026-278-2915(記念館)026-278-2801(松代文化施設等管理事務所)_

JR長野駅善光寺口4番バス乗り場から松代行きバスで約30分「八十二銀行前」で下車し徒歩6(バス停からS55degs.W)_

駐車場 普通車7台、他に象山東駐車場にも7台_小_大人_

9:00-17:00(16:30)_

火曜日(祝日に当たれば開館) 12/291/3、館内消毒期間(6月下旬ごろの月曜日から金曜日までの5日間)_{17/02/28}