与謝野晶子記念館

女性の本音で詠んだ情熱歌

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 明治・大正・昭和の三代に活躍した代表的女流歌人、与謝野晶子(本名 鳳 志よう(ほう しよう) 1878-1942)は堺市に生まれた。実家は裕福な和菓子屋であったが、akiko.jpgその家庭環境はやや複雑だった。その実家跡地は今では目抜き通り紀州街道(大道筋)の拡幅により無くなり、側の歩道上に石碑が建立されている(写真参照)。 

彼女の実家の近くには千利休屋敷跡もあり、それに隣接して両者を記念する施設「さかい利晶の杜(りしょうのもり)」が2015年春に開園した。園内には「千利休茶の湯館」と「与謝野晶子記念館」が設置され、両者の生涯や業績を紹介している。

与謝野晶子は女学校を出ると短歌の道を志し、その過程で与謝野鉄幹と出会い、激烈な婚活を経て結婚した。鉄幹は結婚当初からすでに文学上ではやや精彩を欠きつつあったが、彼女は夫の活動を支えながら11人の子供を産み育てた。

彼女はその生涯に多くの歌集を世に出し、また評論活動や作詩、小説の執筆や童話の創作、源氏物語などの古典研究と現代語訳、女性解放や地位の向上運動、女性教育などと幅広い分野に活躍した。

発表した歌集の中でも、その第一歌集の「みだれ髪」は特に名高い。この歌集は彼女が鉄幹と暮らし始めて二ヶ月後の23歳の時に発表された。そこには優美さや甘美さをたたえた歌、色彩感に溢れた絵画的な歌、あるいは官能的情熱を秘めた歌など三百首が収められている。

 これらは当時の歌壇の伝統派・古典派からは酷評されたが、逆に近代性を求める人々からは新鮮味をもって迎えられ、近代短歌の潮流に大きな影響を及ぼした。もちろん彼女の短歌も年齢と共に優美さを残しながらも次第に内面性を深め、思索性やロマン主義的傾向を帯びていった。

 彼女の和歌はその内容がやや詰めすぎと感じられるものもあり、それらはやや流麗さを欠く場合もあるが、生涯で約五万首を詠んでいる。以下によく知られた歌を内容別に幾首か挙げてみよう。

まず優美な歌では「いと細く香煙のごとあてやかに しだれざくらの枝の重る」、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪の おごりの春の美しきかな」。甘美なものとして「なにとなく君に待たるるここちして 出でし花野の夕月夜かな」。

 絵画的なものとして「金色(こんじき)のちひさき鳥のかたちして 銀杏(いちょう)ちるなり夕日の岡に」。一般的に知られている歌は「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす夏木立かな」。

 官能的な歌では「乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬ ここなる花の紅ぞ濃き」、「みだれごこちまどひごこちぞ頻なる 百合ふむ神に乳おほひあへず」、「やは肌のあつき血汐にふれも見で さびしからずや道を説く君」、明治の人々はさぞ驚いただろう。

 外国での歌は「物売にわれもならまし初夏の シャンゼリゼェの青き木のもと」。思想・思索的なものは「母として女人の身をば裂ける血に 清まらぬ世はあらじとぞ思ふ」、「地はひとつ大白蓮の花と見ぬ 雪のなかより日ののぼるとき」。

 また晶子は旅順攻略戦に従軍中の末弟の身を案じで作られた長詩でも有名だ。「ああをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ 末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしへしや 人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや」。

 「…旅順の城はほろぶとも ほろびずとも何事ぞ…」、「すめらみことは 戦ひに おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し 獣の道に死ねよとは 死ぬるを人のほまれとは 大みこころの深ければ もとよりいかで思(おぼ)されむ」。

 この詩は国の興亡が懸かった日露戦争の真っ最中に発表されたから、当然ながら鋭い反論が出た。それでも明治の時代はまだ社会におおらかさがあったのか、大騒動にはならなかった。恐らく男尊女卑の強い時代、それは国家的見地に疎い若い女の、弟を気遣っての「たわ言」と軽く扱われたからだろう。

 もしこれが皇国史観や軍国主義一辺倒の第二次大戦下だったら、柔弱でえん戦気分をあおる敗北思想として、さらに皇室に対する不敬な言動として、法律上でも社会的にも大変な事態になったのは間違いない。平成の現在でも右翼が怒鳴り込んできそうな内容だ。

 さらに女性解放・地位向上運動でも彼女はすごいエネルギーと情熱を示した。平塚らいてふの主宰した女流文芸誌・青踏(せいとう)の創刊号(1911年発刊)巻頭を飾った詩「山の動く日」はそれを示す。彼女が子沢山で経済的に困窮していた時期に作られたこの詩は、外国の婦人運動にも引用されているそうだ。

すなわち「山の動く日来る かく云えども 人これを信ぜじ 山はしばらく眠りしのみ その昔に於て 山は皆火に燃えて動きしものを されど そは信ぜずともよし 人よ ああ 唯だそれを信ぜよ すべて眠りし女 今ぞ目覚めて動くなる」。

愛や情熱を表現した晶子、その晩年とはいっても60代前半には流石に落ち着いた和歌を残した。「云ふべくもあらぬ寂しき身のはてに われ仰ぐなり霧かかる山」、「雨去りてまた水の音あらはるる しづかなる世の山の秋かな」、「ありし日に覚えたる無と今日の無と さらに似ぬこそ哀れなりけれ」、「梟よ尾花の谷の月明に 鳴きし昔を皆とりかへせ」。

なお晶子の歌碑は全国各地に多数あるが、もちろん堺市内にも生家跡や当館その他に14ヶ所ほどの歌碑があるそうだ。

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(作成日: 02/08/12、 更新日: 15/04/03)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_駐車場_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

与謝野晶子記念館_大阪府堺市堺区宿院町西2-1-1 さかい利晶の杜(りしょうのもり)内_TEL 072-260-4386(堺市立歴史文化にぎわいプラザ運営グループ)_

1)阪堺線宿院駅近く。下車後交差点からフェニックス通りを西に進む。徒歩1〜2分

2)南海電鉄本線堺駅から0.9km(S15degs.E  0.65km)徒歩12分、駅東口1番4番バス乗り場、南口1番2番バス乗り場から南海バスを利用し「宿院」バス停下車近く

3)JR阪和線三国ケ丘駅からバスを利用し約10分「宿院」バス停下車_

駐車場 有料 103台、バスは要予約_中_大人_

9:00-18:00_

第三火曜日(祝日に当れば開館し、翌日休館)、年末年始_{17/02/28}_

なお開館時間や休館日は千利休茶の湯館も同じ、観光案内展示館は年末年始だけ休館_