大阪府立弥生文化博物館

弥生時代の生活文化はどんなもの

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参照(弥生時代B)  参照(弥生時代C)

 大阪府南西部、和泉(いずみ)市には「大阪府立弥生文化博物館」がある。この一帯には約2000年前の弥生時代に大きな集落があった。そこは池上曽根遺跡と名付けられ、約11万平方メートルが国の史跡に指定されている。今では史跡公園として整備され、当館はその一角にある。

 この遺跡には今から2300年ほど前に人々が住み着き、2200年から2100年前ごろに最盛期を迎えたという。当館の北約400メートルの所に二重の浅い濠で囲まれた環濠集落があった。濠の上幅は34メートル、深さ12メートル、全周約1kmの規模だった。

 濠の内側は数万平方メートルの広さで、真ん中に首長の住まいがあった(写真参照)。それは掘立柱の建物で、26本のヒノキの柱によって支えられた東西19.2メートル、南北6.9メートル、高さ11メートルの大きさを持つ高床屋根倉形式の建物だったらしい。

 この建物には神を祭り、また集会にも使われていたようだが、その柱の埋設部分は腐朽を免れたため年代測定ができた。その結果、柱は紀元前52年に伐採されたものと判明し、弥生時代中期の年代を確定する貴重な根拠となった。

 この建物のそばから祭祀用と推定される大きな井戸も見付かった。そこから出土した井戸枠は直径2.3メートルのクスノキの巨木をくりぬいて作られた。その内径は1.9メートルもあり、この種の物では日本最古・最大という。当館にはその実物が展示されている。

 環濠内には各種工房や半地下式竪穴住居が多数あった。遺跡内の一部の建物は現地に想定復元されている。また濠の外側からは方形周溝墓群も発見された。この遺跡から発掘された多数の出土品は当館に収蔵されている。

 当館ではそれらの磨製石器・木製品・弥生土器・金属器などの生活具や、農具・加工具・武具・祭祀用具などを利用して、弥生時代の生活文化を紹介している。すなわち米づりの始まり、新しい技術の誕生、弥生人、ムラ・戦い・クニ、死とまつりなどのコーナーを設けて解説している。

 それによると、弥生時代は稲作などの農耕が生活の基盤となった最初の時代であり、鉄器や青銅器も出現し生産力は向上した。その反面、階層分化が進み、集落相互の戦いも始まった。その過程で集落の併合も進み、クニの誕生につながった。

 生活面でも織機で織った布地を着用するようになった。また信仰の面でも土偶や石棒程度の縄文時代とは大きく変化し、東アジアや世界各地の農耕民族の信仰である男女神像や鳥形などが出現し、青銅器製の銅鐸や剣などの祭祀具も現れた。

 一般に現代人は先土器時代や縄文時代にはある種のロマンを感じて興味を示すが、弥生時代ともなれば、それほどでもない。恐らくその存続年数が見解は分かれているものの600〜700年ぐらいと比較的短く、稲作を基盤とする農耕生活自体が日本人にはそれほど珍しくないからだろう。

 また日用品化した弥生土器は簡素なデザインのものが多く人目を引かないし、後続する古墳時代のように目立つ遺跡も残らなかったせいもあろう。しかし弥生時代は日本の先史時代から歴史時代への移行期にも当たり、日本人の生活様式の実質的起源として大きな意味を持っている。

 なお信太山(しのだやま)駅から遺跡入り口までの道には白漆喰の壁・黒塗りの羽目板・立派な屋根瓦の民家が並ぶ一角があり、その歴史的景観の保存が図られている。一見の価値がある

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(作成日: 02/08/02、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{情報再確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

大阪府立弥生文化博物館_大阪府和泉市池上町4-8-27_TEL 0725-46-2162_

JR阪和線・関西空港線信太山(しのだやま)駅から0.7km(80deg.W 0.5km)徒歩9分_

無料駐車場 普通車72台_中_大人子供_

9:30-17:00(16:30)_

月曜日(休日に当たれば開館し、翌火曜日に休館)12/281/4、館内整理の臨休あり_

春・秋限定の日・祝祭日に和泉市内施設循環バスが運行される。_{17/08/02}