東京都復興記念館

忘れてはならぬ悲劇の場所

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参照(東京大空襲A)  参照(震災B)

 大正12年(1923年)9月1日に起こった関東大震災では旧東京市内だけで58,650人もの人が亡くなった。その内、墨田区の死者は50,541人に及び、その中で男女の区別の付かない遺体は48,867体を数えたと記録されている。

 それは地震直後に発生した火災を避けるため、多数の人が荷物を持って陸軍被服厰跡地の公園造成地に避難した。ところが大火災による極度の乾燥状態と旋風を伴った猛火は、人々の荷物と衣服を一瞬の内に発火させた。この広さ7万平米の被服厰跡だけで死者は4万人以上に上った。

関東大震災犠牲者の冥福を祈るために、この被服厰跡地の横網町公園に震災記念堂とその付帯施設として「東京都復興記念館」が建てられた。なお関東大震災で死者と行方不明者の総計は14万人以上とされている。そこではデマに扇動された人々による朝鮮人虐殺などの忌まわしい事件も発生した。

 当館には地震発生時刻を指して止まった時計、火災で溶けたビンや茶碗などの家庭用品、焼けただれた機械類などが並んでいる。また当時の新聞、報告書や資料、各国から寄せられた義援品の記録、さらに有島生馬画伯の大きな大震災写実画なども展示されている。館外には当時の機械などの残骸が置かれている(写真参照)

 戦後、震災記念堂には戦災による死者も合祀して、東京都慰霊堂と改名された。従って当館には東京の空襲に関する展示もある。のべ百回を越えた東京への空襲で特に被害の多かったのは、1945年3月10日未明の下町への空襲、すなわち「東京大空襲」だった。

この大空襲だけで76,000人が焼死したとされる。ただし被害者数は極度の混乱の中、当時そこにいた人は正確に確認できないし、住民台帳も焼失したから、その人数は推計法により異なるのはやむを得ない。いずれにしても東京の空襲犠牲者総計は10万人に及んだとされている。

 震災に空襲と、東京が受けた二度の災難で亡くなった20万人以上の人々の無念さを考える時、旧態然とした震災の展示説明や、米国に遠慮しているとも思える粗雑な空襲被害の説明などはしっくりしない。1931年に建てられた当館と公園内にある慰霊堂(1930年竣工)でさえ、今では都選定の歴史的建造物になっているほどで、もはや忘却の彼方へ追いやられつつある。

 現代では殺人犯の人権やペットの保護はもちろん、野生動物の生命でさえ問題にされる時代だ。けれども人権屋は死んだ人には冷淡なように思える。それは話題にもならず名利にも関係しないからかと勘ぐりたくもなる。色々意見はあろうが、現状では死者の霊に対して非礼ではなかろうか。

 なお本館の向かいには潮入り回遊式庭園の安田庭園がある。庭の池に墨田川下流の水が引いてあり、潮の干満で水面が上下するこの庭園は本庄家下屋敷の庭園として、本庄因幡守家資が築庭したと伝えられる。片や優雅な園遊会が催された庭園の隣は阿鼻叫喚の地とは、色々考えさせられる対象だ。

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(作成日: 00/02/16、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

東京都復興記念館_東京都墨田区横網2-3-25 横網町公園内_TEL 03-3622-1208(東京都慰霊協会横網町公園管理所)

JR総武線両国駅西口から0.8km(NE 0.6km)徒歩11分_大_大人_

9:00-17:00(16:30)_

月曜日(月曜日が祝日または振替休日に当る場合は開館し、火曜日に休館)12/291/3

(ただし月曜日でも年間13日ほど開館する日がある)_{17/03/10}