釜石市立鉄の歴史館

近代製鉄発祥の地に建つ博物館

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参照(艦砲射撃A)  参照(製鉄A)

 釜石湾口を一望できる高台に「釜石市立鉄の歴史館」がある。その建物の外観は、旧釜石製鉄所の高炉を象ったとされる円筒形の部分が目立つ。ここ釜石市はわが国の近代製鉄発祥の地とされる。

 すなわち鉄鉱石を原料として高炉で銑鉄を作る近代製鉄は当市内で始まった。南部藩士・大島高任(たかとう 18261901)は、1858年(安政4年)に市内・大橋に高炉を築造し、わが国最初の出銑操業に成功した。

 当時は幕末の風雲急を告げる時世で、良質な鉄の需要が高まっていた。高任はその後、市内の橋野・佐比内・その他に10座の高炉を築き、釜石は日本の鉄の生産基地として盛況を呈した。原料の磁鉄鉱は大橋にあった釜石鉱山で産出したものだった。

 1886年(明治19年)には、釜石製鉄所の高炉が難航の末、出銑に成功した。だが、その経営はうよ曲折し、経営主体は官営から民営へ、社名も田中製鐵・三井製鐵・日本製鐵・富士製鐵・新日本製鐵と次々と変わった。それでも製鉄事業そのものは次第に拡大して行った。

 しかし、1945年7月、製鉄所は米国戦艦三隻による2,565発射という猛烈な艦砲射撃を浴びて壊滅した。その時、釜石湾口に設置されていた日本軍の砲台は旧式砲であったため、射程距離が短く一発の反撃もできずに涙をのんでいる。艦砲射撃による死者は750人以上だった。同じころ、室蘭の製鉄所も艦砲射撃を受けて壊滅している。

 戦後、製鉄所はいち早く復旧され、日本産業の成長を支えた。けれども釜石は敷地拡張の余地もなく需要地からも遠い。また海外の鉄鉱石が安価に入手できる時代となり、鉱山のそばに立地する必要性もなくなった。さらに後進国の追い上げによって国際競争も激化したため、高炉製鉄部門は他工場へ集約され閉鎖された。

 当館では、その約130年間の製鉄の歴史を説明し、そこで活躍した大島高任や田中長兵衛、野呂景義、その他の先覚者の業績を紹介し遺品の展示している。また橋野三番高炉の原寸大模型による当時の製鉄法の解説や、稲作と同時代とされる鉄文化渡来の歴史を説明し、鉄鉱石や鉄製品の展示も行っている。

 なお当館には三陸で開催された海の博覧会で、フランスからの出展物されたアンモナイト化石群地層の大きなレプリカもある。これによってアンモナイトが生存していた時代から約2億年の時間経過と、その間の生命進化の神秘を参観者に示そうとしている。

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(作成日: 00/03/05、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

釜石市立鉄の歴史館_岩手県釜石市大平町 3-12-7_TEL 0193-24-2211_

JR釜石線釜石駅から3.5km(SE 2.7km)、駅からバス上平田方面行きを利用して約10分「観音入り口」下車後徒歩3分。駅からタクシーあり。_

駐車場 普通車50台_中_大人子供_

9:00-17:00(16:00)_

火曜日(8月の火曜日は無休)12/291/03_{17/05/23}