パルテノン多摩 歴史ミュージアム

ニュータウンはどう変わる?

 

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 東京都の中南部、神奈川県と接する辺りには、多摩丘陵が東西に約20kmにわたって細長く続く。そこは西高東低の起伏に富んだ地形で、その中央部の標高40170mの所に東京都は日本最大級の多摩ニュータウン(以下は多摩NTと略記)を造成した。

 

 多摩NTはその造成の結果誕生した多摩市を中核として、周辺の三市に広がっている。多摩市には多摩NTの複合文化施設・パルテノン多摩が建てられ、そこに「パルテノン多摩 歴史ミュージアム」が設置された。

 

 その常設展では多摩丘陵の開発の始まり、近代化と多摩丘陵、多摩ニュータウンの誕生、変わりゆく多摩ニュータウンのテーマを設定して、この地域の発展と推移を紹介している。ここではその解説に沿って多摩地域と多摩NTを概観してみよう。

 

多摩丘陵は多摩川の二本の支流が丘陵を浸食して起伏に富む土地が出来上がった。そこには樹木や雑草が繁茂し、生活用水も川などから比較的容易に得られたから、先史時代や縄文時代から人々が居住し、その遺跡は約千ヶ所も発掘され、多くの遺物が出土している。

 

 古代から中世にかけては馬を飼育する牧が設置されたり、古墳が造営されたり、国分寺の瓦が焼かれたりしている。また鎌倉街道などの主要街道が通過し、開墾も少しずつ進められた。

 

その後、幕末から明治にかけては養蚕が盛んに行われ、江戸や東京・横浜・八王子などの需要地へ生糸などを供給していた。

 

 このように多摩丘陵の開発は徐々に進んだが、それでも多摩NT造成前の土地利用状態は、山林が2/3、農地が1/3程度と、関東の平野部から見れば、はるかに開発の遅れた地域だった。

 

 一方、東京都は市街地の戦災復興事業とその後の経済発展に依って人口が急増し、多くの住宅需要があった。しかし既成の市街地にはその需要に応ずる住宅地は少なく、また市街地の密集化や周辺地への無限則な拡大防止にも配慮を要した。

 

 そのため開発の遅れていた広大な多摩丘陵に目が向けられたのは当然な成り行きだった。同じ理由で大都市周辺にニュータウンを造成しようという構想は全国各地で一斉に始まった。

 

その例は多摩の他、千里(大阪府)・泉北(大阪府)・高蔵寺(愛知県)・港北(神奈川県)・千葉(千葉県)などと幾つもある。

 

 元来、大都市の周辺にニュータウンを造るという考え方は、英国のコベネッサン・ハワードが1898年に提唱した田園都市を始めとする。その第一号は1903(明治36)ロンドン郊外に実現した。

 

 田園都市では、田園に囲まれた豊かな自然と、都市の社会・文化的機能を併せ持ち、住民に健康で文化的な生活環境を提供することを目指した。日本の構想にも田園都市の考え方が少なからず導入されているのは事実だが、より切実な住宅難の解消が第一目標だったというべきだろう。

 

 多摩NTの基本計画では、東西14km、南北24kmの土地に、一生活圏(住区)100haとして、23住区を造成し、合計33万人を住まわせることになっていた。多摩NTの造成とその年代別推移は下表の通りである。

 

1960年頃

多摩NT造成の構想が始まる。

1963

新住宅市街地開発法の制定。

1965(昭和40)

多摩NT計画が正式決定。

1966(昭和41)

多摩NTの住宅地造成の本格化。

1971(昭和46)

第一次入居開始。多摩市の誕生。

1974(昭和49)

鉄道の伸遠開通。大型商業施設の開店。

2005年末(平成17年末)

公的開発の終了。

 

 第一次入居当初は造成工事による猛烈な土埃や交通手段の未整備などで、苦情が連発され住民運動も始まった。また所有農地を提供した土地提供者の生活手段の再構築も課題になり、彼らは各団地内の日用品販売店や飲食店を営むことになった。

 

やがて待望の鉄道が開通して交通不便は解消され、大型商業施設なども開店した。それは入居者の生活を便利にしたが、その半面、土地提供者の営む小規模店舗などには経営難を招来した。

 

このように次々と発生する地域内の難しい社会・経済的事象を少しずつ乗り越えながら多摩NTは発展していった。そして2005年末に公的開発は終了し、以後の住宅開発は民間の手に委ねられた。

 

 館内には多摩NTで最初に建築された諏訪二丁目住宅に使われた玄関ドアが展示されている。その寸法は182cm x 82cmで、現在のそれは2000 x 900cmというから、この半世紀の基本条件の変化を改めて思い知らされる。

 

その間の多摩NTの変貌もまた大きかった。近年では若者の都心回帰が進み、居住者の高齢化が顕著になっている。多摩NTの当初の計画人口は33万人だったが、現在でも人口は22万人程度を推移している。。

 

もちろん多摩NTの各市も業務施設の誘導を図り多機能複合都市を目指しているのだが、現実には大学でさえ都心へ回帰している。勤務先や通学先が当地に移って来ないばかりか、都心回帰をすると、住民にとって通勤距離の負担は重い。集合住宅の改築も徐々に進んでいるが、再生対策としては物足りない。

 

大体、当館が入居しているパルテノン多摩でさえ、老朽化によって本格的な改修や建て替えの時期に到達しているのだが、多額の費用支出を巡って長く論戦が続いた。外部からの援助が無ければ、中核施設の維持や更新でさえ出来かねる情けない有様だ。

 

起伏に富んだ土地に大型商業施設や高層建築物あるいは大規模集合住宅が並んだ町並みは壮観ではあるが、東京市街地の大小建物が混在する比較的平坦な所からの来訪者には身の丈を越えた景観に威圧感を感じる。折角の自然もそのためか、それほどゆったり感をもたらさない。

 

 もちろん各住区には平たんな所も多いのだが、中心駅を降りた時の第一印象はよくない。所詮、全体が若者向きの造りになっていたのではないか。今後、多摩NTはどう変わって行くのか。またどう変わるべきなのかは、中々難しい問題だと思う。

 

近年若者向けの雑誌に東京近辺で住みたい場所として、吉祥寺とか下北沢などの地名が掲載されている。年輩者の感じではなんでこんな所が思うのだが、多摩NTには何が欠けているのかを真剣に分析する必要があるのだろう。各地に造られたNTも、誕生したのは同年代だから、それぞれ地域性はあるにしても同様な問題点を抱えているようだ。

 

なお当館には各種自動演奏楽器やオルゴールなどを展示するマジックサウンドルームも併設されているから、難しい話の後には音楽でも聞くのもよいだろう。

 

(作成日; 17 /11 /15    更新日  )

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(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要到達時間・バスの便_駐車場_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開館時間や休館日は度々変更されるし、臨時の休館もある。事前確認が賢明。

 

パルテノン多摩 歴史ミュージアム_東京都多摩市落合2-35_TEL  042-375-1414_

京王線・小田急線・多摩モノレールの多摩センター駅から階段状の遊歩道(パルテノン大道り)を上って徒歩約5分_

駐車場 パルテノン多摩東西駐車場 各100台の他、近くに多摩センター地区共同利用駐車場(有料)2950台あり。_小_大人_

19:00-18:00_

施設点検のため毎月23日、年末年始_{17/11/15}