武田神社宝物殿、甲府市藤村(ふじむら)記念館

信玄の本拠地・躑躅ヶ崎

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参照(学校E)  参照(学校F)

 甲府市は相川の造った扇状地の上に立地している。その扇頂近くに武田氏三代の本拠地・国指定の史跡武田氏館跡、すなわち躑躅ヶ崎(つつじがさき)館跡がある。その主郭部分は東・中・西の各曲輪(くるわ)で構成され、面積は約5万平方メートルある。

 主郭部分は徳川初期に手を加えられたため、武田時代そのままではないとしても大筋では近い姿を保っているそうだ。武田の時代には主郭の北側に北曲輪や味噌曲輪もあり、館の周囲を家臣団の屋敷が取り囲んでいた。

 主郭には濠や石垣もあり土塁もかなり残っているが、背後にあったとされる土塁が撤去されたためか、江戸時代の城に比べればそれ程強固な構えには見えない。だが、この館の防備は背後の要害山・積翠寺城と一体で考えるべきで、この点では朝倉氏の一乗谷の館と似ており、戦国大名の館の一類型を示している。

 中曲輪と東曲輪の跡地に信玄を祭る武田神社が鎮座している。「武田神社宝物殿」には信玄の姿を表す木像や肖像画、信玄の書状や書画・軍扇や所用品、武田氏関連の古文書や絵図、館の模型や古府中の図面、甲州金や甲州升、太刀・武具・甲冑類などが展示されている。

 西曲輪には擬洋風の旧睦沢小学校校が移築保存されている。この建物は1875年12月(明治8年)にできた建物で、静岡県磐田市にある旧見附学校と共に現存する最古の学校建築として重要文化財に指定されている。

 旧睦沢小学校は甲府市の近く、甲斐市亀沢(旧睦沢村)にあった小学校だった。この校舎は1957年まで使われ、後公民館として利用されていたが、老朽化して取り壊される寸前にここへ移築された。

 当時の県令・藤村紫朗はこの様式の建物を学校や役所に積極的に採用したから、藤村式建築と呼ばれているという。ちなみに明治8年に山梨県内では271校の学校が建てられたというが、その意気はともかく、経済的負担は相当なものだったに違いない。

 旧睦沢小学校校舎は現在甲府駅北口へ移築され、「甲府市藤村(ふじむら)記念館」として公開されている。そのハイカラなデザインの窓と、その柔らかい色彩(写真参照)は印象に残る。館内には教育資料館として当時の教育用具や教科書、生徒の遊具や運道具、楽器類などが展示されている。

 また藤村県令の遺品も若干ある。さらに当館には武田氏館跡から出土した馬の完全な骨格が保存されている。この馬は埋葬場所と埋葬法から考えて大将クラスの乗馬だったと推定され、小柄で脚も短かいが、がっしりした体格だったと分かる。

 なお武田館跡の近くには法泉寺・大泉寺・円光寺・長禅寺・東光寺など、武田氏ゆかりの寺が散在している。すなわち法泉寺には勝頼の歯と髪を葬った墓がある。大泉寺は信玄の父・信虎が菩提寺として開基した寺、円光寺は信玄の正室・三条夫人の墓がある。長禅寺は信玄の母・大井夫人ゆかりの寺で、晴信が出家して信玄となった寺だ。また東光寺には武田氏滅亡の折、織田方が付けた刀傷が残っている。

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(作成日: 99/04/05、 更新日:02/09/05 )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

歴史博物館 武田神社宝物殿_甲府市古府中町2611 武田神社境内_TEL 055-252-2609_

JR中央線甲府駅から2.5km(20deg.E 2.3km)駅北口から武田神社行き・積翠寺行き山梨交通バスで約8分「武田神社前」下車_

駐車場 無料 普通車154台_小_大人_

9:30-16:30_

年中無休、ただし年末年始の予定は要照会_{17/01/13}

 

甲府市藤村(ふじむら)記念館_甲府市甲府駅北口2=2-1_TEL 055-252-2762055-223-7324(生涯学習文化課文化財係)_

JR中央本線・身延線甲府駅北口から徒歩12分、山梨文化会館のそば_中_大人_

9:00-17:00_

月曜日(当日が祝・休日に当れば開館し、翌火曜日休館)、年末年始(12/291/3)_{17/07/07}