下諏訪町立歴史民俗資料館、本陣岩波家

街道と宿場の出来事は時代を写す

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 諏訪湖に面する下諏訪町、この町は諏訪大社下社で知られる。江戸時代、当地は中山道と甲州街道の合流する地点で、中山道の最大の宿場・下ノ諏訪宿として繁盛した。中山道はこの宿場の先に、同街道最高の1615メートルの和田峠越えを控えており、また当地が温泉地で湖も見え、諏訪神社にも参拝できるため、参勤交代の武士や一般旅人に好まれた。

 旧宿場町の中に「下諏訪町立歴史民俗史料館」がある。当館の建物は明治初年の大火後に幕末の様式で再建された建物で、江戸時代の宿場町商家の特徴を残している。すなわち、建物の表は縦繁格子を使い、内部は板敷きの見せと裏へ通じる土間の通り庭を持つ。また二階の天井は低く、表通り側は屋根を低く下げている。

 館内にはこの宿場や旅で使った用品や宿場の記録などを展示し、周辺で起きた事件を紹介している。宿場関係では飯盛り女の説明が、また事件では和宮ご下向、和田嶺合戦、偽官軍事件などの資料展示や解説がある。これらは街道ゆえの出来事だった。

 1861年の和宮の江戸下向には、京からの供・江戸からの迎え・通し人足・各藩の警備要員・助郷人足などが総計で4日間に8万人も通過したと記録されている。これは宿場にとって空前絶後の出来事だったという。

 和田嶺合戦とは、1864年、西上する水戸藩士尊穣派を主力とする天狗党を阻止するため、当地の高島藩と松本藩が中山道の和田峠に布陣し立ち向かったが総崩れになった事件だ。高島藩では外聞を気にして事実の口止めを通達したが、藩内の百姓たちは表向き無念を表しながら、腹の内では小気味よい思いをしたと記録されている。

 また偽官軍事件とは、西郷隆盛の指示で官軍の先鋒隊を果たした赤報隊の一隊の指揮者・相楽総三(さがら・そうぞう1839-68)とその幹部たちが、当地で偽官軍として処刑されたことを指す。

 この隊は中山道一帯で年貢半減を宣伝しながら進んでいたが、新政府には資金的にその余裕がなく、結局彼等に罪をなすりつけて抹殺した。その理由は彼等が撤退命令に違反したとか、嘘をついて世間の不評を買ったなどであった。西郷は相楽を江戸や当地で散々利用した揚げ句に見殺しにした。

 彼等が浪士や農民などの出身で、強力なバックを持たなかったし、中にはろうせきを働いた者もいたのは事実だが、各地で立ち上がった草莽(そうもう)諸隊はいずれも同じような運命をたどった。西郷や岩倉のやり方も策士としては上策かもしれないが、決して褒められる話ではない。

 なお当館の近くには旧本陣の一部が保存されている。すなわち中山道下諏訪宿の「本陣 岩波家」で、ここは京風数寄屋造りの奥座敷・上段の間や見事な庭園など往時の本陣の一部が残っており公開されている。和宮の宿泊された所という。

 また和田峠一帯は黒曜石の産地で縄文時代から刃物用の石材として採取加工され、遠く関東地方で運ばれていた。

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(作成日: 00/12/16、 更新日)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

下諏訪町立歴史民俗資料館(諏訪湖博物館分館)_長野県諏訪郡下諏訪町立町3530-1_TEL 0266-27-88270266-27-1627(諏訪湖博物館)_

JR中央線下諏訪駅から1.0km(50deg.E 0.6km)徒歩13分、タクシーあり_小_大人_

9:00-17:00

曜日(月曜日が祝休日に当たれば開館し、翌火曜日休館)12/281/04_{17/04/30}

 

下諏訪宿本陣岩波家_長野県諏訪郡下諏訪町横町 3492-1_TEL 0266-28-7055_

JR中央本線下諏訪駅から1.2km(50deg.E 0.7km)徒歩15分_

駐車場 なし_小_大人_

9:00-18:00(410)

9:0017:00(113)_

不定休、要照会_{17/07/01}