孫文記念館(移情閣)、神戸華僑歴史博物館

大橋のたもとに残る革命家の足跡

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 神戸市西部の舞子海岸は白砂青松の名勝として古来名高い。そこに明石海峡大橋が開通して近代的な風景も加わった。橋のそばの舞子公園には楼閣を持った古風な洋館が保存されている。この洋館は以前200メートルほど東北の海岸にあったが、橋の建築に伴ってここへ移築された。(写真参照)

 この建物はかって神戸で活躍した華僑実業家・呉錦堂の別荘だった。楼閣は1915年(大正4年)に増築された部分で、外観は六角形だが内部は八角形になっている。各辺の窓から見える景色はそれぞれに趣があるとして移情閣と名付けられ、現在では重要文化財に指定されている。天井には金の竜やサンゴの牡丹などの装飾が施されている。

 この別荘を有名にしたのは、中国革命の大立者で建国政治理念の唱導者として、中国人に国父として敬愛されている孫文(1866-1925 号は中山)の足跡であろう。彼は辛亥(しんがい)革命の結果、清が滅亡した後の1913年に来日して大歓迎を受けたが、ここでも歓迎昼食会が催された。

 その時に移情閣があったか否かは明確ではないが、少なくともその直後には完成している。孫文は自ら神戸に十数回も訪れたと当時語っているほど神戸とは縁が深かったし、それ以降も来神している。

 神戸には当時広東省出身者が一番多く住んでおり、同郷の彼はここで在神華僑の支援や宮崎滔天の積極的協力を受けていた。有名な大亜州主義(大アジア主義)の講演も彼の最晩年に神戸で行われた。まさに港町神戸は国際交流の場であった。

 その後、この別荘は国道の拡幅工事で当時の本館が壊され、別館と移情閣が残っていたが、それがまた現在地へ移築され修復され、孫中山記念館(移情閣)として公開されていが、その後日本人に通りのよい「孫文記念館(移情閣)」に改名された。館内では孫文の生涯、孫文と中国建設、孫文と宗慶齢、孫文と神戸、呉錦堂とその事業、移情閣などのコーナーが設けられ、その関連資料や遺品・遺墨などを展示している。

 孫文は清朝末期に広東省で生まれ、米国留学後医師になったが、やがて反清運動に参加する。海外での活発な講演・資金調達活動を行い、また革命理念の唱導と方策の指導を行った。そして幾多の武装蜂起の失敗を経て、1911年に起こった辛亥革命の成功後、臨時大総統に推された。

 しかし程なくその地位を袁世凱(えんせがい)に譲る羽目になり、第二革命にも破れて日本へ亡命した。その後も再起を目指し、第三革命後、北京での国民会議開催を呼び掛け、その途上で病没した。彼の「革命尚未成功 同志仍須努力(革命はいまだ成らず。同志はさらなる努力をしなければならない。)」という国民党宛遺稿の言葉はよく知られている。

 彼は民族主義・民権主義・民生主義を合わせた三民主義を唱え、救国と民族の独立、人権の尊重、社会的平等の達成を目指し辛亥革命を指導した。しかし、その後、軍閥割拠の現状打破するためと、その背後にいる列強の帝国主義的野望を察知し、反帝国主義路線の必要性を認識した。

 そこで共産主義の容認・ソ連との連携・労働者と農民の合作などを含めた新三民主義を唱え、大衆闘争に重点を置いて軍閥に対抗する立場に転身した。この理念は毛沢東に継承され、新民主主義として現代中国の建国理念になっている。

 館内には孫文夫人の宋慶齢(1892-1981)の資料もある。彼女は浙江財閥の宋家に生まれ、宋家の三姉妹としてよく知られている。孫文の後妻になった彼女は夫の死後も彼の考え方を守り、金融資本主義側に立つ姉・妹・弟とは一線を画した。

 そして国民党左派の幹部として国共合作の推進や民権保証運動、国際赤十字運動などで活躍する。中華人民共和国成立後は国家副主席、全人代常務委副委員長などの要職を歴任し、文革後まで長寿を保った。

 その他、館内には清末に改革政策を実行しようとして、西大后らの保守派のクーデターで挫折し、日本亡命後神戸に住んでいた康有為とその弟子の梁啓超の資料も展示している。彼らは儒教の尊重など、孫文より右寄りの立場から中国の改革を目指していたが、神戸では孫文たちと提携の話が行なわれたこともあった。

 ところで神戸市の繁華街にある南京町は豚まんや中華料理で名高い。この町は1968年(明治元年)の神戸開港後、来神した中国人(清国人)の住居兼店舗から発展したという。町の近くには「神戸華僑歴史博物館」がある。

 当館は神戸に在住した中国人の生活や活躍など、その歴史を紹介している。神戸開港の翌年には、すでに500人以上の中国人が神戸に住んでいた。彼らは無条約国民という不利な地位に甘んじながらも、主に欧米居留民の使用人として働いていた。

 彼らは来神以前に長崎・香港・上海などで働き、貿易実務や欧米人相手の実業に豊富な経験を持っていた。その経験を活かして彼らは次第に財を成し、やがて神戸華僑と呼ばれる一大勢力に成長した。そして孫文の中国革命を政治面や資金面から援助し、革命を実現させる後ろ盾となった。

 彼らは来神後幾多の苦難に直面しながらも、落地生根の生き方(遠い異国に住み付き、その風土や慣習に適応しながら、その地で家族や家業を繁栄させてその地の土になること)によって、国際貿易都市・神戸の発展にも多大の貢献をした。

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(作成日: 02/06/25 更新日: 03/05/21)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

孫文記念館(移情閣)_神戸市垂水区東舞子町 2051 兵庫県立舞子公園内_TEL 078-783-7172_

JR山陽本線(神戸線)舞子駅から0.4km,徒歩6(S 0.3km)、山陽電鉄舞子公園駅からは徒歩7分_中_大人_

10:00-17:00_

月曜日(月曜日が祝日に当たる場合は開館し、翌日休館)12/291/3_{17/01/08}

 

神戸華僑歴史博物館_神戸市中央区海岸通 3-1-1 神戸中華総商会(KCCビル)2F_TEL 078-331-3855_

a)  JR東海道線(神戸線)及び阪神電鉄元町駅西口から0.5km(10deg.E 0.4km)徒歩8分、

b)  神戸地下鉄海岸線みなと元町駅出口2から東へ徒歩6分_

駐車場なし。近くの有料駐車場の利用_小_大人_

(水・木・金・土曜日の)10;00-17:00(16:30)_

月曜日、火曜日、日曜日、祝日、年末年始、(なお特別展実施期間中は休みの曜日でも開館する場合あり)_{17/03/10}

 

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