昭和天皇記念館

激動の時代から平和な国へ

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東京の西方、その昔武蔵野と呼ばれていた地域には、関東ロームという赤土に厚く覆われた洪積台地が広がっている。今では東京のベットタウンになっているが、水利に恵まれないため近代になっても畑や雑木林の続く土地だった。

 

 その代わり、この台地は地盤の安定した平坦な地形であり、かつ東京にも近いため、戦前戦中期には幾つもの軍用飛行場や演習地、各種軍需技術の研究所、大規模な軍需工場などが散在し、日本の一大軍事関連施設の集積地帯だった。

 

 その一角を占める現在の立川・昭島両市内には1922年(大正11年)に旧陸軍飛行場が設置され、戦後は連合国に接収されて米空軍基地になっていた。この基地の存在が人々に広く知られるようになったのは、同飛行場拡張に対する反対闘争・砂川事件の発生だった。

 

 1955年から57年に行われた反対闘争では警官隊と反対派の大規模な衝突が繰り返され、双方に多数の負傷者が出た。結局政府は強制測量を断念したが、それを契機としてその後、日米安保条約と憲法の関係を問う法廷闘争が延々と続けられた。

 

 1977年同基地は日本に全面返還された。広い跡地の一部は自衛隊の基地や各種国立研究所などに使われているが、跡地の約三分の一は昭和天皇在位50年を記念し「緑の回復と人間性の向上」をテーマとして国営昭和記念公園が造られ、1983年にその第一期事業が完成した。

 

 多くの樹木が植えられ、芝生の広場や池も配置された広大な公園は人々の憩いの場になると共に、東京西部に大規模災害が発生した際の緊急避難場所にも使われる。園内には「昭和天皇記念館」が設置され、昭和天皇(19011989)と香淳皇后(19032000)のご遺品・御物、関連資料を展示し、ご夫妻の生涯を紹介している。

 

館内には生物学、特に粘菌類やヒドロ虫類にご造詣の深かった天皇の生物学御研究所室内の様子が復元され、研究用具や専門的なご著書が何冊も並んでいる。また即位の礼の行列(ろぼ)やお召し列車の模型もあり、さらに和歌・書道・日本画・バラ栽培・謡・刺繍などを好まれた皇后の関連資料も収蔵されている。

 

昭和天皇の在位の前半は、大正末期数年間の摂政時代を含めて日本にとって極めて困難な時代だった。それは関東大震災から始まり国内の昭和恐慌と世界大恐慌、大規模な冷害や干害など、自然災害と経済的混乱を織り交ぜて来襲し、鉱工業生産の激減、企業の倒産と失業者の増加、農村の疲弊などを引き起こした。

 

各国の恐慌対策は結果的に経済ブロック化と帝国主義的対立をもたらした。日本の場合、大陸進出と現地軍部の独走は次第に対外摩擦を起こし、終には日本の国際的孤立と連合国側の対日経済封鎖を招いた。それに触発されて高まった神国思想や軍国主義は、戦争の勃発を避け難いものにしてしまった。

 

戦争により壊滅的な損害を受けた日本は、社会の混乱収拾努力と再建への長い道のりを経てようやく復興を果たした。しかし日本経済が正常発展したのはほんの20年程度、以後は内外の要因によって次第にバブル経済に変質した。昭和天皇はそのバルブ破裂直前に崩御されたが、その在位はまさに日本が浮き沈みした64年だった。

 

 天皇のお立場も大正デモクラシー下の立憲君主の時代から天皇の神格化の時代を経て人間宣言の時代へと大きく変転した。法的にも明治憲法下の天皇主権制から新憲法での国家と国民の象徴への移行は大きな転換だった。その間、戦前には虎ノ門事件(1923)と桜田門事件(1932)の二度も暗殺未遂事件に遭遇された。

 

 当館はその設立趣旨からも触れていないが、昭和天皇の事績を語るとすれば戦争責任問題を避けて通れない。プロイセン王国・ドイツ帝国の憲法理念の流れを汲んだ大日本帝国憲法(明治憲法)では、天皇は統治権を総攬(そうらん)し統帥権(とうすいけん、軍隊に対する最高指揮命令権)を保持すると規定している。

 

その一方で日本神話に由来する神権主義により天皇は神聖にて侵すべからざる存在としながら、立憲君主制を採用するなど、明治憲法にはかなり矛盾した概念が併記されていた。法的には神様だか最高指揮命令権者かが不明確な奇妙な立場の人物に帝国国民は治められたことになる。この非近代的概念を内包した明治憲法のはざまで、昭和天皇の責任論が各人各様に論じられた。

 

法的論議はともかく、戦前戦中期には天皇は公的に神格化され、多くの国民はその命令として召集や動員をされた。また聖戦として強行されたその戦争では日本国はもとより、その近隣諸国にも甚大な人的物的被害を及ぼした。この史実を多少なりとも体験した筆者には、素人判断だが天皇の戦争責任を完全に白という立場は取れない。

 

ただ軍部の主戦派や右翼の一部は、自己の主義主張の推進と勢力拡大のため非戦論を強権によって封じ、また天皇の権威を利用しようとしてか天皇の神格化を推進した。現人神(あらひとがみ 生きている神)として祭り上げられ孤立状態にされた温厚で学者肌の天皇は、結局統帥権を保持しながら軍部独走を止められなかった。

 

 天皇を輔弼(ほひつ 助言する)すべき内閣は統帥権を持たないから、軍を指揮命令できず、この状態は公家出身の近衛元首相はもちろん、陸軍主戦派に属し現役のまま首相に就任した東条元首相でさえ同様だった。彼らは天皇の意向を奉じて開戦回避を模索したものの、すでに開戦に向けて燃え上がった趨勢の火消しは出来なかった。

 

 戦後は連合国の分裂という国際的情勢の変化と占領政策上の都合から、天皇の戦争責任追求は回避されたが、一時は退位のご意向もあったという。それはそれとして、以後人間天皇としての昭和天皇は国内復興と人心安定化の一翼を担われた。それは象徴天皇として相応しい業績だと思われる。

 

このように昭和天皇のご生涯は激動の時代から(残念ながらかなり米国の衛星国的存在ではあるが)平和な国への87年だった。そして昭和天皇と香淳皇后ご夫妻は共にその在位が(いわゆる神代を除き)歴代最長かつ最長寿であったと記録されている。

 

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(作成日: 10/03/01、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開閉館時刻_休館日_備考_{情報再確認日}開閉時刻や休館日はよく変わるし臨時休館もあるから、事前確認が賢明。

 

昭和天皇記念館_東京都立川市緑町 3173番地 国営昭和記念公園 花みどり文化センター内_TEL 042-540-0429(公益財団法人 昭和聖徳記念財団) 042-522-2451(国営昭和記念公園管理センター)042-528-1751_

JR中央線立川駅北口から歩いて昭和記念公園あけぼの口へ向う。徒歩1.2km 15(北口から 0.9km N49degrsW  0.9km)、タクシーあり_

駐車場 近くに国営昭和記念公園の立川口駐車場(有料)あり_中_大人_

(31日〜1031) 9:30-17:00

(111日〜2月末日)  9:30-16:30

(いずれも入館受付は終了30分前まで)_

月曜日(当日が祝・休日に当たる場合は開館し、直後の平日に休館する。)

12/311/1

2月の第4月曜日とその翌日、特別展示・企画展示の準備や終了後の整理期間(約一週間程度。)の臨休あり_{17/02/15}