尚古集成館

近代工業振興を目指した斉彬の夢

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 錦江湾の浜辺には幕末1865年に建てられた石造の機械工場の建物(重要文化財)が残っており、博物館施設として再利用されている。すなわち磯公園内にある「尚古集成館」である。

 この一帯では薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら 180958)が製鉄、ガラス、陶磁器、小銃などの製造や大砲の鋳造、さらに紡績や化学などの諸工場を起こし、1857年、これを集成館と命名した。現代の言葉でいえば工業団地だ。

 ここは日本初のガス灯がともた記念すべき場所でもある。一時は1,200人も労働者が働らいていたという。当時ここを視察した蘭人医師・ポンペの記録によると、ガラス工場だけでも100人以上の人が働いていた。工場の動力源は水車、燃料は木炭の白炭を使っていたそうだ。

 ここでは紅色・金赤色・藍色・緑色・紫色・透明などの切子ガラス製品、板ガラスなどが作られた。切子ガラスの技法は江戸から江戸切子の職人を招へいして習得し、それに薩摩藩で研究した発色法を利用して色付きのカットガラスを作り上げた。今ではこれらは薩摩切子と呼ばれている。

 大大名家に生まれながら、このような工業を創業させた斉彬の資質とその先見性は大したものだ。当時、大砲鋳造用に使った青銅を溶かす反射炉の操業も試みられたが、始めはなかなか成功しなかった。

 そのため、挫折しそうになる藩士に対し、彼は蘭人や佐賀藩にできて薩摩にできぬことはなかろう、焦らず研究に励めと命じたことはよく知られている。しかし、工場の大部分は1863年に起こった薩英戦争の際、艦砲射撃を受けてほとんど破壊されてしまった。

 館内には当時使われた機械類や、薩摩切子の食器など、そこで作成された品々が展示されている。さらに薩摩藩関係の古文書、歴代藩主の遺品や書画、集成館の資料などもある。

 当館の隣は仙巌園という藩主の別邸で、1658年からその造成が始められた。通称、磯庭園と呼ばれるこの庭園では、その前面に広がる錦江湾と桜島の雄大な眺めが本当にすばらしい。

 ただ、桜島の噴煙が風向きによっては降灰となり、その時に訪れた外来者はその有様にただ驚くばかりだ。雪なら放っておいても溶けるが、立派な庭園を維持するのに火山灰の後始末はさぞ大変だろうと思った。集成館や千巌園のある場所は国の史跡になっている。

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(作成日: 00/04/11、 更新日: 04/05/20)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

尚古集成館_鹿児島市吉野町9698-1 仙厳園内_TEL 099-247-1511_

a)  JR九州新幹線・鹿児島本線・日豊線の鹿児島中央駅から約5.5km(40deg.E 5.4km)駅前から国分・霧島行き各社バス(民営3)や市営バス・カゴシマシティビユーで約30分「仙厳園前(磯庭園前)」下車すぐ

b)  日豊線鹿児島駅から2.3km(35deg.E 2.0km)_

駐車場 有料500台_中_大人_

8:30-17:30_

年中無休_{17/01/23}