松本市歴史の里

司法制度の変遷と工女の苦難を知る

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 松本市には珍しい博物館がある。その名を元は日本司法博物館といったが現在は「松本市歴史の里」に変わった。元の名前は厳めしくて近寄りにくい感じだが、その内容は一般人にとっても、なかなか興味深いものだ。当館の本館は旧長野地裁松本支部として建てられ、1978年まで70年以上使われた木造建築物である。

 その敷地内には旧松本少年刑務所の独居房と雑居房、野麦峠のふもとにあった工女宿・宝来屋、下諏訪町にあった生糸の座繰り式製糸工場、木下尚江生家などの貴重な建物が保存公開されている。これらは松本市歴史の里として管理されている。

 本館内には明治憲法下の法廷が復元され、また各部屋には古代から現在に至る日本の司法制度や刑罰の変遷、及び現代の司法制度の説明がなされている。そこには江戸時代の捕物用具コレクションの展示、離縁状や当地の農民一揆の紹介などもある。

 また連合国による極東裁判での巣鴨プリズンの記録や、日中のはざまで数奇な運命をたどった当地を第二の故郷とした川島芳子の略歴やその見事な書、戦後に起きたなぞの事件で共産党員関連とされたが権力犯罪の疑いも濃厚な白鳥事件の記録、シベリア抑留の記録なども展示されている。敷地内にある旧刑務所は御用に無関係な人には珍しいだろう。

 当館には山本茂実記念館が併設されており、テレビや映画でお馴染みの「ああ野麦峠」の原稿や内容が紹介されている。これは明治から大正初期まで、飛騨地方から現在の岡谷市の製糸工場へ働きに来た12から13才の少女たちの苦難と悲哀を題材にした記録文学である。

 山本茂美は松本の貧しい農家に生まれ育った。この作品は彼が彼女らの苦労に深い共感を持ち、20年もの長期間に千人もの元工女から聞き取り調査をして書いたそうで、250万部のベストセラーになり、映画化もされた。

 少女たちは貧しい山村出身で、当時の外貨の半分を稼いだという花形輸出産業の製糸工業を底辺で担った。しかし高温多湿の作業環境と長時間労働、そして寒い寄宿舎と粗末な食事で結核などの病気で倒れる人が多かった。当時の製糸工場や紡績工場での女工たちの悲惨な境遇と結核の蔓延が工場法制定を促す端緒となった。

 彼女たちは正月に帰省する際、北アルプスの野麦峠(標高1672メートル)を利用した。積雪期の高い峠越えでもあり、病気で体力の弱っているなどで、途中で倒れる人も少なくなかったという。その峠のふもとに彼女たちが宿泊した宿が一軒残っていたが、それを当館敷地内に移築している。宿の名は宝来屋といい、江戸時代の建物という。

 また彼女たちが働いた当時使われた型式の座繰り式製糸工場も移築保存されており、当時の作業状況を想像できる。その作業は繭を煮ながら繊維を取り出し撚って生糸にする、製糸工場の中心的な工程だった。

 敷地内に移築された木下尚江(なおえ、1869-1937)の生家は足軽クラスというが、武士の住居らしい建物だ。彼は当地出身で社会運動家・小説家として、正義感とヒューマニズムで社会悪に立ち向かった。

 彼は雄弁と文筆によって廃娼運動や足尾鉱毒事件へ参加し、また非戦運動や普通選挙運動を早くから唱え、社会主義政党の設立にも参加した。彼はそのため社会主義危険思想の持ち主とレッテルを貼られ、その著作は長い期間ほとんど公表できなかったという。

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(作成日: 00/12/22、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

たてもの野外博物館 松本市歴史の里_長野県松本市大字島立2196-1_TEL 0263-47-4515(松本市立博物館)0263-32-0133_

a)松本電鉄上高地線大庭駅から 1.3km(60deg.W 0.9km)徒歩17分、

b)松本駅西口から3.2km(W 2.8km)タクシーの便あり_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

月曜日(休日に当たれば開館し、翌日が休館)12/291/3_{17/06/14}