五十嵐健治記念洗濯資料館

洗濯を専門に扱った資料館

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 一般に人々は新しい物を作ったり、入手することには熱心だが、その手入れは好まない。政治家も道路や橋の建設には熱心だが、その維持保全には見向きもしない。維持保全には建築費の数倍もの金がかかるのに、結果が目立たないからだろう。

 これは個人の生活でも同じだ。例えば衣服の購入と洗濯を取り上げると、どんな高価な衣服でも広い意味での洗濯なしでは何日も着られない。洗濯はこのように大切な営みだが、人間の本性に由来するためか、昔からその仕事は軽視されてきた。

 それでもすでにローマ時代には洗濯屋が営業していた。使用した洗剤は特殊な粘土や灰汁、及び各家庭から集荷した人間の尿だった。日本では洗剤のない時代には、灰汁や米のとぎ汁が使われ、またサイカチの実などの植物系の材料も利用された。

 1859年(安政6年)には、日本最初の西洋式の洗濯屋(ランドリー)が青木屋忠七によって横浜で開業した。また日本でドライクリーニングを最初に始めたのは、白洋舎の創設者・五十嵐健治(18771972)だった。

 五十嵐は新潟県に生まれ、若い頃にだまされて北海道のたこ部屋に送られ苦労したという。そこを脱出して帰路の旅費を稼ぐために函館の洗濯屋の水汲みになったのが、彼と洗濯との出会いだった。

 その後彼は三越に勤め、やがて洗濯屋を開業した。1907年にはドライクリーニングに着手した。彼はそれ以前にドライクリーニングの研究をしていたが、その過程で大火傷を負っている。そのためか、その安全管理活動には生涯熱心に取り組んでいる。

 白洋舎工場の一角にある「五十嵐健治記念洗濯資料館」には彼の遺品や著書の展示をし、その業績を紹介している。そこには洗濯の歴史の説明、古い洗濯機械器具や洗濯用資材などの展示、汚れと洗浄原理の解説、布地とクリーニングトラブルの説明などがある。

 展示品では白洋舎が使っていた初期のワッシャー・煮釜・脱水機・卓上プレス・集配荷車・集配そりなどが珍しい。人に低く見られた洗濯屋を今日の姿に育て上げた彼の先見性と業績は立派なものだ。

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(作成日: 00/04/14、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

五十嵐健治記念洗濯資料館_東京都大田区下丸子 2-11-8 株苧m舎本社ビル1階_TEL 03-5732-5111()_

東急多摩川線下丸子駅から0.7km(15deg.W 0.6km)徒歩 10分_

構内駐車場 1台_小_大人_

10:00-17:00_

土・日曜日、祝日、年末年始_

個人見学は入り口の守衛所で見学の旨を伝えればよい。団体は23週間前に予約必要_{17/05/02}