千葉県立関宿城博物館,流山市立博物館,利根運河交流館

洪水で悩み、水運で栄えた城下町

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  参照(川D)  参照(利根川夜船B)     参照(水運A)

参照(水運C)  参照(水運D)   参照(一茶A)

 千葉県の北端、こんな北部まで千葉県かと思える所が野田市tone関宿(せきやど)だ。そのまた突端の、利根川と江戸川が分かれる所に築かれた幅広いスーパー堤防上に「千葉県立関宿城博物館」がある。当館は場所柄、利根川・江戸川及びその水運、洪水被害、流域に興った産業や文化などを扱っている。 

利根川は江戸時代前期までは東京湾へ流入し、洪水を度々起こす暴れ川だった。幕府は伊奈忠次(1550-1610)・忠治(1592-1653)父子に命じて利根川の改修や東遷事業に着手した。それは関宿付近の丘陵地を開削して新河道を造り、利根川の水を鬼怒川水系へ導き、銚子へ向かわせる大工事だった(図参照)

もっとも東遷事業は始めから幕府の政策目標ではなく改修過程の結果として東に向ったという説もあるが、いずれにしても世紀の大事業だったのは間違いない。それに加えて関宿で利根川を分水して東京湾に至る江戸川も開削された。一連の事業の基本的な部分は江戸前期に完成したが、その後も川幅の拡幅など多くの改修が行われた。

その間、1783年の浅間山大噴火対策も含め、事業は江戸時代を通しての苦闘と明治時代に行われた大規模な浚渫によって、明治末にようやく完了した。正に3世紀にわたる大事業だった。従って関東地方の近代治水事業は利根川と江戸川との分流地点である関宿から始まったといっても過言でない。

 東北地方から房総半島を回って江戸に至る外洋ルートは遭難の危険性が大きかったが、この事業によって東北地方からの物資の安全輸送ルートが確保され、併せて江戸の洪水防止にも役立った。完成した内陸ルートは銚子から利根川を約100キロ遡上し、関宿から江戸川を下って江戸へ向った。

河川内の水運には大きな高瀬船が使われ、関宿や対岸の境はもちろん、沿岸各所に河岸場(河港)ができ繁盛した。この水運は物資の輸送の他に、鹿島・香取神宮への参詣や水郷観光にも利用された。当時は関宿から江戸へ向かう夜行便が就航し、旅人を運んだという。

この水運により流域一帯には醤油・酒・みりんの醸造、製茶や木綿織物などの諸工業が興隆し、その一部は現在でも続いている。だが大河は流域に利益をもたらす反面、洪水被害も引き起こした。1723年の洪水では、関宿でだけも約500人の溺死者が出たと記録されている。

 当館は洪水と水防対策、利根川の東遷と改修、河岸の繁盛と地場産業の発展、水運とそれがもたらした文化や風習、出世藩といわれた関宿藩などを紹介している。天守閣風の展望階からは利根川や関東平野周辺部の遠望がすばらしい。もっとも本当の関宿城は当館から1kmほど離れた場所にあったそうだ。

 しかし長らく繁盛した利根川水運にも暗雲が訪れる。浅間山大噴火の影響に加えて、幕末になると山林管理が緩んだために、土砂流出が激しくなり河床が荒れて諸所に浅瀬ができた。それは特に渇水期の航行に支障を来たすようになった。

明治になると外輪型の蒸気船通運丸が関宿経由で航行するようになり、輸送量や所要時間が大幅に向上したのだが、喫水の深い蒸気船が航行するため渇水期の水深確保はさらに重要な課題になった。渇水期の運休時などには利根川の途中から江戸川河畔まで積荷を陸送し再び舟運することも行われた。

tonecanこの方式は積み替えや陸送に手間を要するから、両川を直結する運河開削の気運が高まった。明治政府もその必要性を認め計画を立てたものの、鉄道建設派の反対や流域の利害衝突の影響で着工には至らなかった。やむなく地元が資金調達をして、オランダ人ローエンホルスト・ムルデルの設計監督で着工し、二年後の1890年(明治23)に利根運河は完成した(写真参照)

利根川と江戸川を結ぶバイパスの開通によって、関宿経由の水運は急速に衰えた。程なく鉄道の時代が到来し、鉄道ルートからも外れた関宿は、近年に自動車時代が訪れるまでは交通不便な田舎に逆戻りしていた。

ところで利根運河は現在の流山・野田両市の境界線に沿って開削された延長の約7kmの水路だった。これによって関宿経由の利根・江戸川航路は約40キロ短縮されたから、在来の高瀬船はもちろん、蒸気船の通運丸も利用し、貨物や旅客の輸送量と所要時間は格段に改善された。

 江戸川河畔の町・流山は利根川・江戸川水運の河岸場として江戸時代から栄えていた。ここでは1782年に白みりん醸造が開発され、江戸後期から明治にかけて盛んに出荷された。その様子は「流山市立博物館」に紹介されている。

当館にはみりんの他に筆者が興味を引く二つの展示があった。その一つは流山のみりん醸造の蔵元であり、白みりん醸造技術開発者といわれる五代目三左衛門・秋元感義(俳号双樹1757-1812)と俳人小林一茶の深い交友関係の紹介である。二人の縁によって流山市と信濃町は姉妹都市になっている。

もう一つは利根運河の紹介である。運河開通当初、流山の産業は大きな地理的利益を得たが、何年もしない内に鉄道が流山から離れた地域に敷設された。すなわち1896年には田端・土浦間、1897年には銚子・市川間、数年遅れて成田線と鉄道が次々と開通し運河の強敵になった。

当初は年間38,000隻の船が利用した利根運河も、明治末からその利用は急激に減少した。運河を通る荷物もわら製品など嵩の大きく単価の安い物品や肥料などになり、運河としての役割は昭和初期に終わった。

tonecan21941年の大洪水で水堰橋が破壊されたため、運河の利根川口が閉鎖されて通水が止まった。その後、一時再通水をして両河川の流量調節や水道用水の緊急導水路などに使われた。2000年に北千葉導水路が完成したため、今では利根運河は河川公園の環境用水として導水されている。

河畔にはムルデルの記念碑があり(写真参照)、その近くにささやかだが「利根運河交流館」があって、運河の説明と、ムルデルの業績や運河周辺の自然環境の紹介をしている。ちなみにこの運河はムルデルの日本での最後の仕事であり、彼はその通水を見届けてオランダへ帰国した。

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(作成日: 99/07/28、 更新日: 05/12/04)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

千葉県立関宿城博物館_千葉県野田市関宿三軒家 143-4_TEL 04-7196-1400_

a)東武伊勢崎線東武動物公園駅から約11.5km(35deg.E 9.7km),駅の近くから朝日バス境町車庫行きに乗り約30分「新町」下車後徒歩約15分(下車後歩くのを厭わなければこの経路が本数も多く便利。歩く道は周りの風景が広々して天気がよければ気持ちがよい)

b)東武野田線川間駅から朝日バス境町行きで約35分「関宿城博物館」下車(このバスは本数が一日8本程度と少ない)

c)または東武野田線川間駅南口から野田市内循環の「まめバス北ルート」(運転間隔は30分〜1.5時間)を利用し関宿中央ターミナル行で「いちいのホール」で下車し、同バス関宿城ルート(運転間隔は2 時間おき程度)に乗り換え「関宿城博物館」下車、全体の乗車時間だけで一時間以上掛かる_

無料駐車場 普通車100台、当館来館には交通の利便上から車利用を推奨_大_中_大人子供_

9:00-16:30(16:00)_

月曜日(その日が祝日や振替休日なら開館し、翌日休館。ただし5/1は開館)、年末(12/2612/31)、メンテナンスのための臨休_{17/02/28}

 

流山市立博物館_千葉県流山市加一丁目 1225-6 中央図書館の別棟_ TEL 04-7159-3434_

a)総武流山電鉄流山駅から0.6km(15deg.E 0.3km)徒歩8分、

b)つくばエキスプレスを利用なら流山セントラルパーク駅下車徒歩22分、タクシーあり。

バス利用なら流山セントラルパーク駅から京成バスや東武バスイーストなどが利用でき「文化会館入り口」下車徒歩約4分。詳細は要照会_中_大人_

駐車場 あり_

9:30-17:00_

月曜日(月曜日が祝日に当たれば開館し、直後の平日休館)

毎月末日(ただし土・日曜日に当たれば開館する)

年末年始(12/281/4)、臨休あり_{17/08/02}

 

利根運河交流館_千葉県流山市西深井836 江戸川河川事務所運河出張所内_TEL 04-7153-8555_

東武野田線運河駅から0.4km(55degsW 0.3km)徒歩6分。

駐車場はないので車での来館は最寄りのコインパーキングを利用を_小_大人_

9:00-17:00_

月曜日・火曜日(月曜日や火曜日が祝日と重なる場合は開館し、その翌日に休館)、年末年始_{17/08/02}

 

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