高萩市歴史民俗資料館

二人目の人生を地図と地誌作成に

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参照(第二の人生A)  参照(第二の人生B)

 日本列島の形状を実測で確定した伊能忠敬の名は広く知られる。特に忠敬は第二の人生でそれを成し遂げた点で、現代人の関心を引いている。日本の形は伊能図によって飛躍的に正しく表現されるようになったが、この地図は幕府の最高機密扱いとされたから、民生用にはまったく役立たなかった。伊能図の利用が始まるのは明治維新後だった。

 では徳川時代の人々はどんな地図を使っていたのだろうか。その地図上での日本の形は全くでたらめだったかといえば、必ずしもそうではない。例えば江戸後期に広く使われた「赤水図」では、日本の輪郭は図のようになっている。(挿絵参照)

 江戸期以前の古代や中世の地図は当然正確さに欠けるが、安土桃山時代から江戸初期になると、来航したポルトガル船の航海術と作図法の影響を受けて、海図上の日本の姿はかなり正しく表わされるようになった。

 江戸時代になると、幕府は作図要領を定めて諸大名に自領の地図(国絵図)提出を命じた。これらを組み合わせれば全国図になる理屈だが、実際には難しかった。それは提出された国絵図の信頼性がまちまちだったからで、特に北海道の松前藩の絵図はひどかった。

 それでも幕府はそれらの編集作業を行い全国図を作った。全国図には慶長日本図(1615年ごろ)、正保日本図(1656年ごろ)、元禄日本図(1702)、享保日本図(1725年ごろ)などがある。その中では正保日本図が一番正しいように見える。

 正保図の精度が高いのは、作図者北条氏長の優れた才能に負う面が大きいとされる。逆に元禄図はかなり退化して日本の形がゆがんでいる。元禄図を正せとの将軍吉宗の命で作成された享保図も正保図と同程度に仕上がったようだが、その原本は現存しない。

 この享保図を基にして、10年以上の検討と修正を加え、民間使用の便も考えた日本地図を作成した人がいた。その人は長久保玄珠(はるなが 号は赤水 1717-1801)といい、江戸時代の傑出した地理学者だった。

 彼は水戸藩領の常陸国多賀郡赤浜村、現在の茨城県高萩市に生れた。生家は庄屋を勤めた上層農家だったが、少年期に父母を亡くして義母に育てられた。満年齢で14才の時、隣村の師に就いて漢詩・漢文・儒学などを学び、やがて漢詩の才で藩主に賞されるほどに上達している。

 その後、儒学を教える学者となり、40代で東北旅行や長崎への公用出張をした。これらの旅は彼の地理学や地図への関心を深め紀行文も残した。51才の時に、彼は学問上の功績によって郷士身分に取り立てられたから、この時点で一応功成ったといべきだ。

 50代前半になると、彼は「改製日本扶桑分里図」を作成し、緯線の書き込みを試みている。研究熱心な彼は諸国の旅人を自宅へ招き入れ、各地の情報収集や地図への助言を求め、地図の修正をしたと伝えられる。

 さらに56才の時、京都へ資料調査に赴き、翌年「新刻日本與地路程全図」を完成させた。地図作成に当たり彼は実測こそしなかったが、既存資料に厳密な検証を加えて修正を図る方式を採用している。そして1780年、彼が62才の時に幕府の官許を得て「改正日本與地路程全図」を刊行した。

 この地図は通称「赤水図」と呼ばれ、模擬的だが経緯線も記入され、明治初期に至る一世紀間重版されて人々に愛用された。かのシーボルトも自著「日本」の中に赤水図は日本の書店店頭で売っていると書いているほどに普及した。

 彼は60才で水戸藩の六代藩主徳川冶保(はるもり)の侍講(藩主への講師)に任命され、以来79才まで江戸小石川の藩邸に住んだ。62才の時には馬廻役に加えられ近習役を勤め、68才で隠居格となって藩主の諮問に応じている。

 その間、60代後半から職を辞した73才までの間に、世界地図や、日本や中国の歴代歴史地図などを刊行している。さらに致仕後も再び主命を受けて、水戸藩の大日本史編纂事業の、地理志稿の編纂校正業務に79才まで従事した。

 その後、郷里へ帰り、83才で没して赤浜海岸に葬られた。奇しくもその11日後に伊能測量隊がその海岸を測量しながら北上している。伊能忠敬の日記にも赤水の出身地と記されているという。なお伊能図が完成するのはその時から20年の後だった。

 人生50年の時代、幼児期と修養時代、及び老衰期を除けば人の知的生産期間はせいぜい30年だった。彼は長命だったから一般人の二倍の期間活躍できた。その彼も少年期には虚弱体質で、父母が食べ物に随分気を使ったという。

 「高萩市歴史民俗資料館」はささやかな施設だが、赤水図など赤水関係や、地元出身の植物学者松村任三(じんぞう 1856-1928)の資料を展示すると共に、水戸藩付家老で維新後当地で松岡藩主となった中山氏歴代の事跡を紹介している。

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(作成日:03/04/08 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

高萩市歴史民俗資料館_茨城県高萩市高萩 8-1 _TEL 0293-23-7229_

JR常磐線高萩駅から1.2km(70deg.W 1.0km)徒歩16分 市立図書館ビル内_小_大人_

3月〜10月の平日は 9:30-17:50

 (ただし土・日曜日と祝日および112月は9:30-17:00_

月曜日(祝日に当たれば開館し、その翌日休館)、年末年始(12/271/5)、イベントや展示替えのための臨休あり(大体奇数月にある)_{17/03/10}