関ケ原町歴史民俗資料館、関ヶ原ウォーランド

天下分け目の戦いの舞台

知への小さな旅:トップ→目次→戦争→)

戦争へ  目次へ

 近江盆地と濃美平野を結ぶ交通路は伊吹山地と鈴鹿山脈の地峡部・関ケ原を経由する。従って当地は古来、交通の要衝として知られ,古くは中山道が、現在は新幹線や高速道路が通っている。

 当地を特に有名にしたのは、1600年に起こった関ヶ原の合戦だ。天下の覇権を賭けて、徳川家康の率いる東軍と石田三成側の西軍は、両軍合わせて十数万の大軍で対峙した。当初の布陣と地形、及び兵力から見れば、戦略上西軍が圧倒的に有利な態勢を占めていた。

 しかし、東軍の謀略努力の結果、西軍の実戦参加兵力は、参陣した軍勢の40%強に過ぎなかった。それでも西軍は前半には押し気味で戦っていたが、やがて小早川秀秋の裏切りを契機にして、一挙に崩れ、開戦後数時間で西軍は壊滅した。

 明治初期のお雇外国人の一人メッケルは西軍の布陣を見て、西軍が負けるはずはないとまでいったそうだ。しかし謀略の結果で西軍の軍勢が動かなかったのを聞いて、ようやくその敗北を理解したという。

 なおメッケルは普仏戦争で勇名をはせたドイツ帝国参謀本部付士官で戦術家として知られ、日本陸軍の近代化に大きく貢献した。

 「関ケ原町歴史民俗資料館」は家康の最終陣跡にあり、郷土の考古・歴史・民俗資料展示のほか、合戦の様子を関係資料やジオラマなどで紹介している。そこに立って周囲に見渡すと、現地はやや西高東低の土地で、ここを中心とした半径2キロぐらいの半円の中で、敵味方少なく見積もっても数万の軍勢が入り乱れた戦闘はさぞ激烈だっただろう。

 また西軍陣地の背後に造られた「関ヶ原ウォーランド」は、広い敷地の中にコンクリート製等身大人形を配置して、合戦の主要場面を解説している。内容はごく一般向けであるが、併設された合戦資料館には関係資料やパネルで合戦の経緯が紹介されている。

 それによれば、当地の住民は合戦により田畑を荒らされ家は焼かれ、戦後も後始末のために半年も労役に狩出され大変な迷惑を被ったという。一将功成って万骨枯れるのは何時の世も同じだ。

戦争へ    文書の先頭

(作成日: 00/07/18、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

関ヶ原町歴史民俗資料館_岐阜県不破郡関ケ原町大字関ヶ原 894-28_TELFAX 0584-43-2665_

JR東海道線関ヶ原駅から0.8km(55deg.W 0.5km)徒歩約10分、タクシーあり_小_大人子供_

9:00-16:30(410)

9:00-16:00(113)_

月曜日、祝日の翌日、12/291/03_{17/03/13}

 

関ヶ原合戦資料館 関ヶ原ウォーランド_岐阜県不破郡関ケ原町関が原 1701-6_TELFAX 0584-43-0302_

JR東海道線関ヶ原駅から2.2km(75deg.W 1.7km),タクシー10分、レンターサイクルもある。_

無料駐車場 あり_中_大人子供_

10:00-16:00(411)

10:00-15:00(123月の平日の時間。ただしこの期間の土・日曜日と祝日は10:00-16:00)_

年末年始だけ。ただし悪天候などによって早く閉館する場合あり_{17/03/13}