三内丸山遺跡さんまるミュージアム、 八戸市縄文学習館

 

世界文明史での位置付けを願って

 

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原始へ  目次へ   参照(亀ヶ岡式土器A)

 

待望の新幹線がようやく到達したとはいえ、青森県は本州の最果て、温帯性気候の北限にある冷涼な土地だ。青森市は全国の県庁所在地の中で一番の豪雪地である点からも、そこは遠くて厳しい風土の土地と一般には認識されている。

 

だが青い森に由来する県名が示すように、青森県は三方を海に囲まれた森林の多い自然に恵まれた地方だ。しかし国内外の大消費地から遠い地理的条件から二次産業はあまり発展せず、多くの社会経済指標が都道府県の中で最下位グループに位置している。

 

 ところで青森県も大昔の縄文時代には縄文王国といわれる程、縄文各時期の著名な遺跡が多数発見され、立派な遺物が出土した。それなら縄文時代の青森は現代より気候条件が良くて住みやすかったのだろうか。

 

事実、縄文時代は小氷河期が終わって気候が次第に温暖化してきた頃に始まった。青森県内の縄文遺跡で特に著名な遺跡をあげるとすれば、青森市の三内丸山遺跡、八戸市の是川(これかわ)遺跡、つがる市の亀ヶ岡遺跡なとであろうが、それらの様子を考えてみよう。

 

 まず三内丸山遺跡だが、この遺跡は縄文前期から中期(60004000年前)の遺跡である。遺跡の所在地は現在の海岸から約3.9km離れた段丘上にある。当地に縄文集落が存在した頃、そこの年平均気温は現代より23度暖かかったという。そのため海は海進によって遺跡のすく下まで迫っていたそうだ。

 

sannai1.jpg 発掘調査の結果、山野には果実や動物が多く、魚貝類の種類や漁獲にも恵まれて食事内容は豊かだったと推定されている。そこには多数の竪穴住居や高床建物、大型掘立柱建物、集会場や冬季の集合住宅だったと推定される床面積約250平米の大型竪穴住居などの跡が存在し、一部が復元されている(写真1)

 

 この遺跡には大型掘立柱建物はあったが、環濠や防御柵などはなく、集落外からの攻撃を防ぐ必要性はなかったようだ。三内丸山遺跡の最盛期だった縄文中期の中頃、ここには数百人の人が住んでいたと推計されている。そこからは多種多様の膨大な数の出土品が発掘され、その内1958点が重要文化財に指定されている。

 

三内丸山遺跡は集落の規模が大きく、1500年位人々が居住し、集落は計画的に配置され、また出土品の件数と内容が際立って多かったので、特別史跡に指定された。

 

 次いで八戸市の是川遺跡(写真2)と、つがる市の亀ヶ岡遺跡だが、いずれも縄文晩期(30002300年前)の遺跡である。両遺跡でも質の高い出土品が多量に出土し、いずれも国の史跡に指定されている。史跡名は是川石器時代遺跡と亀ヶ岡石器時代遺跡と命名された。

 

korekawa_0003.jpgその所在地は太平洋岸に近い是川と、日本海岸に近い亀ヶ岡と100km以上離れているが、いずれも河川の低湿地泥炭層とその側の台地上に立地していた。当時の気温は泥炭層が生成できる程度のやや冷涼な風土だったようだ。

 

 是川遺跡の出土品は633点が重要文化財に指定されている。その中には高い技能水準の漆塗り木製品も多数含まれていた。なお是川遺跡とは互いにやや存在年代の違う中居遺跡(是川中居遺跡とも)・一王子遺跡・堀田遺跡の総称である。

 

また是川遺跡と川を挟んだ対岸には、主として縄文後期(40003000年前)後半に属する風張(かざはり)遺跡があり、有名な「合掌する土偶」(国宝)や円筒土器など664点の出土品(重要文化財)が出土している。

 

一方、亀ヶ岡遺跡は江戸時代初期(1622)に発見され、古くから膨大な痛みの少ない土器が掘り出された(亀ヶ岡式土器)。その土器は、亀ヶ岡ものと呼ばれて日本各地はもちろんオランダまで珍奇品として販売され散逸した。その多彩な出土品は残念ながら出土状況不明確のため重要文化財の指定はなされていない。

 

 明治20年に発見された遮光器土偶(愛称 シャコチャン)は重要文化財になっている。また漆彩色の立派な皿や壺、木製品などが多量に出土し、今では多数の出土品が青森県の重宝になっている。発掘調査は現代も継続され、出土品の中には、全国的な交易の存在を示す玉類やガラス玉と共に、炭化米や籾殻も発見されている。

 

 一般にこの種の遺跡はひとたび発掘されると、出土品は出土状況や形状を、また集落跡なら家屋の構造や配置などを、さらに墓地の位置や埋葬法などを調べる。そして保存すべき出土品は保存処理後に関係施設へ収納され、現地は埋め戻されてしまう。現地には案内板や石碑にその存在を表示する程度の何もない原っぱに戻る。

 

特に有名な遺跡ならば建造物の一部が見学者用に復元される場合もある。ただ発掘された各種建物跡から判明するのは掘立柱の太さや材質と配置だけなので、上部構造の復元は推定によるしかない。そのため建造物の形状や用途などに関しては、色々な見解が出てくる。

 

sannnai2.jpg例えば三内丸山遺跡の目玉でもある大型掘立柱建物(六本の巨木の柱列)なら、その上部がどうなっていたか、屋根はあったのか、床はとの様になっていたのか、何に使ったのかなどに意見の相違があり、復元された姿は関係者間の妥協の産物になっている(写真3)

 

一般にある遺跡の全体像を把握し、主だった出土品を見るには、それらを展示紹介する考古学系の博物館を訪れるしかない。三内丸山遺跡には「三内丸山遺跡さんまるミュージアム」が併設されている。また是川遺跡には「八戸市縄文学習館(是川考古館・歴史民俗資料館)」がある。

 

筆者はまだ亀ヶ岡遺跡を訪れていないので、詳しくは分らないがJR五能線木造駅近くや現地には展示施設があるそうだ。さらに青森市内の青森県立郷土館には亀ヶ岡遺跡の貴重な出土品が多数保存展示されている。

 

このように青森県と北海道渡島半島一帯には縄文時代全期間にわたり多くの遺跡が存在している。これらの縄文遺跡群を人類文化史上の四大文明に伍して、その存在を明確に位置付ける意味を込めて、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」を世界文化遺産にしようという運動が現在行われている。

 

縄文遺跡群は文字や腐朽し難い石造建築物のない地味な存在だが、今では四大文明以外にも長江文明や古代メキシコのオルメカ文明などの解明が進んでいる現代でもあり、今後どこまでその体系化が進むか興味深い。

 

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(作成日: 11/01/07、 更新日: )

 

 

(設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢

 

三内丸山遺跡 さんまるミュージアム_青森市三内字丸山305 (縄文時遊館内)_TEL 017-781-6078_

a.  東北新幹線新青森駅から約3.0km徒歩約39(10degs.E 1.9km)、タクシーあり。

b.  JR青森駅から市営バス「運転免許センター」行きで4.9km30分「三内丸山遺跡」下車(61degsW 3.7km)、タクシーもある

_中_大人子供_

9:00-17:00(16:30)(ただしGWと6/19/309:00-18:00(17:30))_

12/301/1、保守点検のための休館_{11/01/07}

 

八戸市縄文学習館(是川考古館・歴史民俗資料館)_青森県八戸市大字是川字中居3-1 これかわ縄文の里内 _TEL 0178-96-1484_

a.  JR東北新幹線・八戸線と青い森鉄道八戸駅から約8.5km(58degs. 6.3km) タクシー約20

b.  JR八戸駅で八戸線に乗り換え本八戸駅下車し、タクシー利用約5.6km(3degs.E 4.8km)

c.  JR八戸駅で八戸線に乗り換え本八戸駅で下車し、駅バス停から南部バス(中居林経由荒谷行きや支所経由是川団地行きを利用し約20分「縄文学習館前」下車)

d.  その他八戸駅からバスを利用し中心街の三日町あるいは八日町まで行き、そこから徒歩約3分の長横町バス停から上記Cの南部バス中居林経由荒谷行きや支所経由是川団地行きに乗り換えて行くことも出来る_中_大人子供_

9:00-17:00(16:30)_

月曜日(ただし祝日と第一月曜日は開館)、休日の翌日、12/271/4、月末(ただし土・日曜日は除く)_{11/01/07}