真田宝物館 真田邸

松代藩の苦難と恩田木工の改革

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 長野市松代町の「真田宝物館」は松代藩真田氏の資料を、藩主の歴代順に公開している。真田氏は信濃の豪族で、武田に属した戦国時代から代々武勇の誉れが高かった。徳川氏とも何度も戦火を交えている。

 対徳川戦では神川の合戦、関ヶ原合戦の上田城籠城戦、大阪夏の陣での野戦などで、その巧みな戦術が徳川方を再三悩ませた。関ヶ原の戦いでは一族が東西に分かれて戦い、徳川方に属した真田信之が本領安堵されている。

 このような経緯から幕府の真田氏に対する警戒心は強かった。さらに真田藩初代藩主・信之が戦国時代の大名の常として理財を心掛け、多額の軍資金を蓄積しているのを察知されて、真田家は松代へ転封された上に幾多の賦役を課せられた。

 そのため藩財政はパンク寸前になり藩士の綱紀も著しく乱れ、破産状態の藩財政なのに浪費を行い、農民から過酷な収奪を行なった。領民は困窮し、ついに一揆騒ぎにまで発展している。

 この困難な時期に襲封した真田幸弘は、恩田木工(おんだもく 17171763)を家老兼勝手掛に起用し、財政改革や租税徴収法の改善、山野開墾と産業育成、綱紀引締めと藩校の創設、家臣と領民の精神面の指導など多くの改革を手掛け、中興の名君と仰がれた。

 同藩士の書いた「日暮硯(ひぐらしすずり)」は知られているが、それはたぶんに修飾されているといわれるが、木工の業績が敬意を以って記載されている。彼は色々の藩政改革案を試み、ある程度の成果を得たようだが、その詳細は分からない。ただ、弛緩した士風を是正したことは、執政者として一番の功績といえるだろう。

 もともと、財政危機は数年程度の改革で解消されるものではなく、他藩と同じく真田藩の財政難はその後も続いた。やがて真田家へ井伊家や松平定信の子息が婿養子として入るに及んで、松代藩も政治的にようやく安定期を迎えて幕末へ向かった。

 特に8代の幸貫は田安家出身の松平定信の次男で文武に優れていた。彼は老中兼海防掛の要職に就任し、佐久間象山を登用し活用している。また藩内の殖産振興にも尽くした。この藩の歴史は幕府の外様大名圧迫政策の見本みたいなものだ。なお当館の隣には「真田家別邸」や藩校などの建物が保存されている。

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(作成日: 00/10/03、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

真田宝物館・松代藩文武学校_長野市松代町松代 4-1_TEL 026-278-2801_

JR長野駅善光寺口4番バス乗り場から松代行きアルピコ交通バス約30分「松代駅」(廃線された電鉄の駅)下車徒歩約56(宝物館は駅から300m 18degs. 200m)

(真田邸は駅から440m S29degs.W 340m)_

専用駐車場 普通車約70台、その他近くに市営駐車場もある。_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

火曜日(祝日に当たれば開館)、館内くん蒸期間(6月下旬ごろ約一週間)(年末年始も火曜日以外は開館する)_{14/11/08}_

なお文武学校(松代205-1 TEL 026-278-6152)13/07/0118/03/31に長期保存工事が予定されており、一部見学できない箇所もある。

 

真田邸_長野市松代町松代1_TEL 026-215-6702026-278-2801(松代文化施設等管理事務所)_

JR長野駅から松代行きバスで約30分、「松代駅」下車後徒歩5分_

駐車場 近くの真田宝物館駐車場 普通車約70

9:00-17:00(16:30)(12/291/3)9:0016:00(15:30)_

原則として無休、ただし館内消毒期間などの臨休あり_{17/03/13}