軽井沢町歴史民俗資料館,軽井沢町追分宿郷土館,堀辰雄文学記念館,

中山道69次資料館,海野宿歴史民俗資料館

旅は碓氷峠から浅間根を越えて

 (知への小さな旅:トップ→目次→運輸交通→)

運輸交通へ  目次へ  参照(碓氷峠B)

 江戸時代、江戸から中山道を利用して上方や北国へ向かう旅人の前に、最初に立ちはだかった長い上り坂が碓氷(うすい)(旧碓氷峠、標高1190m)だった。平坦な関東平野の道中を何日も続けてきた旅人にとって、標高差約800mの峠越えは、現代人よりも健脚だったはずの当時の人々にとっても相当に厳しかったに違いない。碓氷峠が中山道最大の難所とされたのも尤もな話だ。

 碓氷峠のふもとに当たる松井田宿と坂下宿、その中間にはかって碓氷関所があった。関所跡に近い信越線横川駅の標高は387m。そこから碓氷峠を越えて少し下ると浅間山麓の高原地帯に入る。そこには軽井沢・沓掛・追分の三宿が続き、これら三宿は総称して浅間三宿あるいは浅間根越えの三宿といわれた。

 ちなみに各宿場に近い鉄道駅の標高は軽井沢駅939m,沓掛宿の側の中軽井沢駅は938m,信濃追分駅は956mといずれも高地にある。三宿の中で軽井沢宿と沓掛宿の一帯は今では別荘地や商業施設の開発が著しく、今では僅かに残った土蔵程度に昔日の面影を留めるだけだ。

 これに対し追分宿にはまだ宿場の面影がかなり残っている。例えば桝形の茶屋や、はたごの姿を留めた店舗、それに一里塚や街道の分岐点を示す追分の分去れ(わかされ)などだ。それでも現在の追分の静かなたたずまいから往時の活況を想像することは難しい。かっての追分宿は中山道と、脇往還の北国街道が分岐する交通の要衝であったから、三宿の中でもっとも規模が大きく繁盛したそうだ。

 ところで中軽井沢には「軽井沢町歴史民俗資料館」がある。当館には道の文化史と軽井沢、別荘の沿革、別荘と文化活動、高冷地のくらしを支えた生産道具、及び中国陶磁器の吉沢三朗コレクションのコーナーが設けられている。

 当地は太古から日本の東西及び南北交通に利用されていた。その経路や利用目的、及びその態様は時代によって大きく変わり進化した。当館では軽井沢に関連する道の歴史を主要テーマとして扱っている。高冷地である当地からは、寒冷地での安定した稲作を可能にした保温折衷苗代の技術が開発され、全国の寒冷地へ普及していった。

 そして当地は別荘地として発展し、そこに独特の別荘文化が育まれた。それらを説明したコーナーと、近くにある分室の市村記念館ではそれらの資料を紹介している。市村記念館は大正末に近衛文麿が別荘として購入した由緒ある洋風建築物を移築復元したもので、当館の特徴ある保存建物といえよう。

 一方、追分の一里塚の近くには「軽井沢町追分宿郷土館」がある。はたご風の外観を持つ当館はかって繁盛した追分宿を中心に当地域の歴史を紹介している。館内にははたごの帳場が復元され、宿場の建物の模型や宿場資料が並んでいoiwake.jpgる。

 また追分は民謡・信濃追分発祥の地としても知られる。すなわち江戸初期、当地の馬子が唄っていた馬子唄が信濃追分として旅人が全国に伝え、各地で独特の追分節に進化したという。もっとも信濃追分の馬子唄もその源流は南部の馬子唄だったそうで、相互に影響しながら今日の姿になったようだ。

 本陣跡の近くには、追分を好み晩年には自宅を建てて移り住んだ小説家堀辰雄の「堀辰雄文学記念館」がある。館内では彼の生涯を紹介すると共に、遺稿や遺品類、例えば彼が愛したというクラシックレコードなどが保存展示されている。

 ところで中山道と北国街道は追分の分去れで分岐するが、そこには右は北国街道、左は中山道と案内されている。今では右側の道はそのままだが、左側は国道18号線の幅広い道路に変わり(写真A参照)、中山道は分去れから100mほど先まで18号線に含まれ、それから南方へ分かれている。

 旧中山道に入ってすぐの所に「中山道69次資料館」がある。当館では江戸日本橋から中山道を通って京都三条大橋までの全行程69ヶ所の宿場を、道順に写真や浮世絵、及び各地の特産品などで紹介している。

 当館の展示物で特筆すべきは、各宿場を描いた浮世絵と、それが描かれたと推定される位置で館長が撮影した写真の対比であろう。今までは単なる絵の構図として見ていた情景もより現実味を増して興味深く鑑賞できる。

 さて追分の分去れを過ぎれば、中山道も北国街道も長い下り坂になり徐々に浅間山麓から離れてゆく。中山道なら追分から小田井(おたい)・岩村田と下り、塩名田宿で千曲川河畔に達する。ちなみに現在の小海線岩村田駅の高さは706m、追分との比高は約250mもある。

 また北国街道ならば、追分の次の宿場は約15km先の小諸宿である。しなの鉄道小諸駅の標高は663mだから約300mも下った勘定だが、それでも小諸はまだ浅間山山麓の末端斜面上に立地している。今も残っている本陣や脇本陣の建物も北国街道の急坂に接している。

 北国街道が千曲川河畔に到達するのは、その次の宿場である田中宿あるいは海野(うんの)宿まで行ってからだ。田中駅の標高は512mで、浅間三宿より400m以上低い。田中宿は1742年に大洪水で壊滅し、その代わりに海野宿が発展した。ここは鉄道沿線に位置するのに宿場の家並みがよく残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている(写真B参照)unnno.jpg

 「海野宿歴史民俗資料館」は18世紀末に建てられたはたご屋造りの建物だ。そこははたご時代のレイアウトがよく残され、また明治以降に蚕種生産や養蚕を行うために施された改造跡も残っている。なお海野は木曾義仲が東信の豪族海野氏の協力を得て平家追討の挙兵をした所といわれ、地元の神社に記念の石碑が立っている。

 碓氷峠を上り浅間根を越えた旅人は、ここまで来てようやく一山越えたことになる。この事情は鉄道の時代になっても同じだった。碓氷峠の勾配は別格としても、小諸から信濃追分に至る線路にも千分の25の急勾配区間が11kmも連続する難所だった。

運輸交通へ    文書の先頭

(作成日: 05/08/03、 更新日 )

 

(施設情報)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

軽井沢町歴史民俗資料館_長野県北佐久郡軽井沢町大字長倉2112-101_TELFAX 0267-42-6334_

しなの鉄道中軽井沢駅から1.3km,徒歩17分、タクシーあり(S80deg.E 1.1km)

JR長野新幹線・しなの鉄道軽井沢駅からバスやタクシーの利用も可、約5分_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

月曜日(休日に当たれば開館する)(ただし7/1510/31は無休)

(11/153/31の期間は冬季休館だが、10名以上の希望者には平日のみ事前予約制で受付ける)_

なお分館の市村記念館はすぐ近くにあり、開館日などは同じ_{17/05/22}

 

軽井沢町追分宿郷土館_長野県北佐久郡軽井沢町大字追分1155-8_TEL 0267-45-1466_

a)しなの鉄道信濃追分駅から1.7km(N60deg.W 1.2km)徒歩22分タクシーあり約8分。

b)本数は少ないが軽井沢駅や中軽井沢駅からバスあり「追分中央」下車近く_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

水曜日(祝日に当たれば開館する)12/281/4(なお7/1510/31の期間は無休)_{17/05/22}

 

堀辰雄文学記念館_長野県北佐久郡軽井沢町大字追分662_TEL 0267-45-2050_

交通は上記追分宿郷土館と同じ、追分駅から1.8km(N80deg.W 1.5km)徒歩なら約24分_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

水曜日(休日に当たれば開館する)、年末年始(12/281/4)、(なお7/1510/31の期間は無休)_{17/05/22}

 

中山道69次資料館_長野県北佐久郡軽井沢町追分120_TEL 0267-45-3353(資料館)0267-45-1737(冬期休館中の連絡先)_

a)しなの鉄道信濃追分駅から2.3km(W 1.95km)徒歩30(浅間サンライン入り口信号横、追分)、タクシー約7

b)JR長野新幹線・しなの鉄道の軽井沢駅からタクシー約20分_

駐車場 普通車10台_中_大人_

10:00-16:00_

火・水曜日、冬期休館(原則124月中旬だがその年の気象条件により変動、要照会)_{17/05/22}

 

海野宿歴史民俗資料館_長野県東御市本海野1098_TEL 0268-64-1000(教育委員会)0268-62-1111_

a)しなの鉄道田中駅から1.9km(65deg.W 1.6km)徒歩25分、タクシーあり。

b)しなの鉄道大屋駅から徒歩22分_

駐車場 海野宿第1,2駐車場を利用 普通車89台 無料_小_大人_

9:00-17:00(たたし1012月は9:00-16:00)_

12/212/末日_{17/05/02}

 

文書の先頭