登戸研究所資料館

裏の戦争に携わった研究所

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 広い明治大学生田キャンバス、ここは日本が戦争をした時代に帝国陸軍の重要な研究所の敷地だった。この研究所の正式名は第九陸軍技術研究所、通称陸軍登戸研究所といった。

 

 ここでの研究活動は1937年(昭和12年)に陸軍科学研究所の登戸実験所として開始された。日中戦争が膠着状態に陥った1939年(昭和14年)からは登戸出張所となり、やがて陸軍登戸研究所として活動はより本格化した。資源に乏しい日本が戦局を有利に導くには技術の向上が必須との認識による措置だった。

 

 ところで陸軍の研究所といってもこの施設は大砲や戦車などの、通常兵器の研究や設計をする施設ではなかった。また戦略や戦術の理論的研究をする所でもない。それでは何を研究したのだろうか。

 

 普通、陸戦といえば弾丸を射ち合う戦闘場面が頭に浮かぶ。だが現代戦は国と国が物的人的資源を総動員して行う、いわゆる総力戦だ。単に表面的な戦闘だけで事が済むのではない。まず戦争に際しては、それがやや現実離れをした理想論であっても大義や名分を公にする、すなわち旗を高く掲げる必要がある。

 

それは例えば「欧米諸国に虐げられた東亜諸民族の解放を」とか「自由と民主主義を守る」などだ。しかし実際には能書きだけでは戦さにならず、大義もあれば裏もありと、色々な手段を駆使して総力戦が遂行される。特に戦局が厳しい局面になれば、情勢打開や味方の損害軽減のために裏手段の必要性は益々高まる。

 

 当研究所は正にその裏面の、換言すればかなり汚い戦争の手段を極秘に研究開発する施設だった。その研究内容は秘密戦に役立つ事項で、いわゆるスパイ活動とその防御策、敵国の食料生産に壊滅的損害を発生させること、あるいは敵国の社会経済の攪乱工作などの手段の開発だった。

 

 広さ11万坪の高台にあった敷地は、外界から完全に遮断され、そこに研究所があることも隠され、さらに敷地内にある各研究棟の相互交流さえも制限される厳しさだったという。その研究施設は内容から三科に分かれていた。

 

 第一科は電波兵器など物理学の応用分野を、第二科は微生物学や生化学関連の研究を、第三科は謀略関係の研究を担当していた。具体的には第一科ではレーダーや怪力電波(殺人光線など)などから、終には米国本土攻撃用の風船爆弾までを、第二科は毒薬・毒ガスや農作物を枯死させ家畜を大量死させる細菌兵器や薬剤を、第三科では中国紙幣偽札の偽造と流通による経済攪乱策などだった。

 

 従って当研究所は、生物兵器の研究をしていた731部隊、スパイ要員の養成やスパイ活動を担当していた陸軍中野学校、及び関東軍情報部や特務機関などの諸機関と密接な連携を保って活動した闇の存在だった。その研究は国際的に批判され、国際法にも抵触しかねない汚い研究が多かった。

 

ただ日本の研究は利用可能な資源や人材が質量共に貧弱だったが故に、幸いにも?余り成果が上がらなかった。それでも米国に推定約千個が到達した風船爆弾は当初生物兵器を搭載する計画だったが、報復を懸念して直前に搭載を中止にしたという。また偽札では軍需物資の調達を行い、インフレを起こした。

 

noborito 明治大学では平和教育の一環としてただ一棟残っている当時の建物を再活用して「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を開設した。この建物は当時の生物兵器研究棟で、室内には当時使用していた暗室や流し台などが残っている(写真参照)。近くに薬品庫や消火栓も残っているが、偽札を印刷した木造建物は近年老朽化して取り壊された。

 

 ところで現代日本人は北朝鮮に対して、拉致問題や核開発はもちろん、マスコミが報じる米ドルの偽造・偽タバコや覚せい剤の密輸出、さらに韓国との係争などで顔をしかめる思いをしている。けれども過去を振り返れば日本人も余り大きな顔はできない筈だ。

 

 日本も中国紙幣の偽造と行使、中国での毒ガスの実地実験・病原性微生物の極秘散布実験、三千人にも及ぶ生体実験などの悪魔の所業に手を染めたという。近代国家だとか先進国といっても、各国は今でも大なり小なり手前勝手な理屈を付けて類似の研究している。サイバー攻撃も個人的なハッカーの行為とはいえない場合もあるようだ。

 

 米国だって第二次大戦が終わった際に、旧日本軍の731部隊の生物兵器関連情報を得んがためか、あるいは旧ソ連に情報を取られないためかは知らぬが、人体実験を繰り返した同隊員たちの戦犯訴追を見送った代わりに、貴重な極秘情報を入手したほどだ。

 

 研究所では戦争が終わった時点で関係機材や資料を徹底的に破壊焼却廃棄し、事の性格上関係者も口を閉ざしたために、その存在自体が長い間うやむやになっていた。その存在と内容が再び姿を現す端緒を作ったのは地元高校生の平和教育での調査活動だった。彼らの熱意に関係者も動かされ、資料や情報収集に協力したことが本館の開設に繋がったという。

 

 長く平和の続く現代日本では、戦争はテレビ映像上の問題でしかない。しかし世界的に見れば戦争が絶えることはない。日本でも、ともすれば勇ましい?が深い思慮を欠くと思われる意見も時々語られる昨今だ。当館の展示が戦争の裏面を紹介し平和の貴さを人々に知らせる一助になればよいと思う。

 

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(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{情報再確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

明治大学平和教育 登戸研究所資料館_神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1 明治大学生田キャンバス36号棟_TEL 044-934-7993_小田急線生田駅南口から約1.1km徒歩約15(46degs.E 0.7km)(途中に守衛所から約70mの急坂あり) 小田急線向ヶ丘遊園地駅から小田急バス「明大正門前行き」で終点下車_小_大人_(水曜日〜土曜日)10:00-16:00_日曜日〜火曜日、12/261/7(なお大学の夏季・冬季休業期間、7月・1月の定期試験期間及び12〜2月の入試実施に伴う入構制限期間などは閉館をする場合がある)_{10/11/25}

 

(作成日: 10/11/25、 更新日: ) 

http://www1.ttcn.ne.jp/chikyuh-kotabi/