伊豆の国市韮山郷土史料館、江川邸、韮山反射炉

江川太郎左衛門邸のそばに

(知への小さな旅:トップ→目次→遺跡・史跡→)

遺跡・史跡へ  目次へ  関連へ

参照(源平A)  参照(源平B)  参照(源平D)  参照(源平E)

参照(小田原役A)  参照(小田原役B)  参照(小田原役D)  参照(小田原役E)

 源頼朝と北条政子の出会いの地、伊豆の韮山(にらやま)には韮山城跡がある。伊勢新九郎長氏(宗瑞(そうずい)、すなわち北条早雲が築城したこの城は戦国末期の北条・武田両氏の争奪戦や、秀吉の北条攻めに名をとどめている。

そのふもとに「韮山郷土史料館」があり、韮山城関係資料、江川英龍の遺品や資料、近くの山木遺跡の出土品などが展示されている。当地は北条氏の興隆の地であったから、北条時政建立の願成就院跡の出土品もある。また室町幕府関東公方御所跡の出土品も見られる。

 まず山木遺跡だが、この遺跡は狩野(かの)川沿いで発見された弥生時代の低湿な水田跡であり、その耕作に使われた田下駄や田舟が良好な保存状態で出土した。当館ではそれらを水中に保存展示している。

山木遺跡は大体登呂遺跡と同時代の遺跡で、そこからは木皿など杉をくりぬいて作った木器が多数出土した。出土品は重要有形民俗文化財に指定されている。

 韮山は鎌倉幕府と縁の深い土地だった。1159年の平治の乱では源氏が敗れたが、その翌年14才の頼朝は清盛によって韮山の蛭(ひる)ヶ小島に流された。彼はここで平家側の監視の下、読経や写経の毎日を過ごしたとされる。

実際には監視の目をくぐって、頼朝は東国や畿内に潜む親源氏勢力と頻繁な情報交換を行っていたという。またここで北条政子と出会い結ばれた。政子の父・北条時政は平家の流れを汲む豪族だったし、頼朝の目付役の一人でもあったから、この婚姻は時政の大きな賭けだったに違いない。

当地に配所生活を続けること20年余、1180年の夏、頼朝は伊豆の目代・平兼隆への夜襲に成功し源氏再興の旗揚げを飾った。しかしその直後、石橋山の戦いに完敗し、かろうじて安房へ脱出した。

安房に逃れた頼朝はごく短い期間に態勢を立て直し、同年晩秋に富士川畔で平家側遠征軍と対峙した。頼朝はこの戦いで殆ど戦わずに勝利する幸運に恵まれた。すなわち前哨戦に当たる甲斐源氏と平家方の戦いで、平家方は散々悩まされ戦意はすでに低下していたためだ。

もともと西国が大干ばつの年に無理をして動員した軍勢だったこともある。そして夜襲を掛けようとした甲斐源氏の動きに、驚いて飛び立った水鳥の群れを敵襲と誤認した平家方は総崩れになったと伝えられる。

この勝利は1192年の鎌倉幕府の成立につながった。ところが戦功の大きかった甲斐源氏は皮肉にも頼朝から疎まれ、以後徹底的に冷遇された。この事実は彼の人柄からして当然の成り行きだったのだろう。

今でも韮山一帯には蛭ヶ小島の他、八重姫御堂・政子産湯の井戸・北条氏館跡・北条時政建立の願成就院・(がんじょうじゅいん)・北条義時建立の北条寺など、往時を物語るゆかりの場所が点在してegawa1いる。

時代を下って戦国時代には北条氏の初代・早雲は韮山城から彼の国取りを開始した。そして伊豆と相模を制圧後の1519年、88才の天寿を全うして韮山城で亡くなった。その後もこの城は後北条氏の重要拠点であったが、秀吉軍の激しい攻撃を受けて開城した。

秀吉の小田原攻めの際に打ち込まれた弾丸の跡が今でも残る屋敷がある。それは韮山町立郷土史料館のそばにある重要文化財「江川家住宅(江川邸)(写真1参照)で、弾痕はその裏門の扉に多数残っている。

江川家は富士川の合戦にも参加した清和源氏系の豪族で、江戸時代は代々伊豆天領の代官を務める家柄だった。中でも坦庵(たんなん)と号した江川太郎左衛門英龍(18011855)はよく知られている。邸内は公開され、彼の遺品などを展示している。

坦庵は文武に優れた人物で、彼の時代にはその支配地は伊豆・駿河のほか、甲斐・相模・武蔵などの天領に及んだ。郡内地方(山梨県東部)では民衆から世直し江川大明神と呼ばれるほどの善政を行ったという。

 彼は後に幕府へ出仕した。そこでは新旧派閥の対立によって浮き沈みをしたものの、蘭学者との交流で得た知識を活用して国防や産業の近代化に活躍した。しかし勘定奉行兼外交係の内命を受け、更なる活躍が期待された時に亡くなった。

その間、彼は支配地領内に種痘を広め、戸田での洋式船の建造を助けた。また農民を兵力に組み入egawa2れる農兵論を唱え軍隊教練の号令を考案し、多数の門人に砲術を教え、携帯食料としてパンに着目するなど、多くの事跡を上げた。

1855年に彼は幕閣に献策して大砲鋳造用の鉄を生産する韮山反射炉の築造に着手した。反射炉は彼の没後1857年に完成し、その後7年にわたり江戸湾防備用の大砲鋳造などに利用された。

大きな反射炉は当館から3キロばかり離れた開けた谷間にほぼ原形を残して現存し、国指定史跡になっている(写真2参照)。谷間に築造したのは鋳造した砲身をくりぬくために水車動力を利用したからという。建物は現存していないが、ここは当時の大砲製造工場でもあった。

遺跡・史跡へ   文書の先頭

(作成日: 99/04/05、 更新日: 05/02/27)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

伊豆の国市韮山郷土史料館_静岡県伊豆の国市韮山大字韮山2-4_TELFAX 055-949-4127_

伊豆箱根鉄道韮山駅より1.8 km(80deg.E 1.2km)徒歩24分、タクシーあり_小_大人_

9:00-16:30_

水曜日(当日が祝日に当たれば開館し、原則としてその翌日休館)12/291/3、展示替えなどの臨休あり_{17/03/10}

 

重要文化財 江川邸_静岡県伊豆の国市韮山大字韮山一番地 江川邸公開事務室_055-940-2200_

同上_小_大人_

9:00-16:30(16:15)(ただし水曜日は9:30-15:00(14:45))_

12/311/1、第三水曜日。

(なお12/30,1/2,1/310:00-15:00の短縮開館となる場合もあり要確認)_{16/09/16}

 

韮山反射炉__静岡県伊豆の国市中字鳴滝入 268-1 韮山反射炉事務所_055-949-3450055-948-1425(伊豆の国市役所世界遺産課)_

伊豆箱根鉄道伊豆長岡駅から約2km(E 1.3km)徒歩26分、タクシーあり

観光周遊型韮山反射炉循環バスが土日や夏休み期間に運行されている、詳しくは要照会(伊豆の国市役所055-948-1411)_

駐車場 乗用車 50台_小_大人_

9:00-17:00(4月〜9)

9:00-16:30(10月〜3)_

3水曜日(休日に当れば開園し、翌日閉園)(この休園日は17/4/1から施行される)_{17/03/10}