新潟市歴史博物館(みなとぴあ)

明治二年に建てられた税関庁舎

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参照(開港A)  参照(開港B)  参照(開港D)

 信濃川の河口部には新潟港があって、北東アジアとの物流拠点になっている。この港は1858年、安政の日米修好通商条約によって幕府が開港を約束した五港の一つだ。ちなみに五港とは長崎・兵庫・新潟・下田(のちに神奈川に変わった)・函館を指している。

ところが新潟港の開港は水深の維持や北風対策などの技術的問題と、維新の動乱のために遅れ明治にずれ込んだ。開港に当たって1869年に建てられた税関庁舎(写真参照)は1966年までその用途に使われた。五港の内、この種の建物が現存するのはここだけなので、重要文化財並びに史跡に指定されている。それは外壁になまこ壁を使い、中央に監視塔を持つ和洋折衷の珍しい建物だ。

 新潟は和船時代には北前船の港として栄えた。最盛期は元禄時代で年間3,500隻もの船が来航したという。また明治末には北洋漁業の帆船の基地として活況を呈した。大正末には築港が完成し、大陸との日本海交易の港となった。

 新潟は江戸時代のほとんどの期間、すなわち1676年から1827年までは長岡藩領だったが、幕末になって天領となった。天領時代の初代新潟奉行・川村修就(ながたか)は海岸砂防植林と開墾、海岸防備策、町内の防火清掃、学問奨励などに大いに業績を残している。

 旧税関庁舎のある所は新潟港を望む信濃川河畔で、周囲は「みなとぴあ(新潟市歴史博物館)」として整備されている。当館は「郷土の水と人々のあゆみ」をテーマとして、水が造った砂丘と低湿地から発足した新潟市の歩みを紹介している。もちろん旧税関庁舎も公開されている。

 信濃川は幾多の洪水を起こし人々に水との戦いを強いた。また低湿地の稲作は重労働で農民を苦しめたが、その反面毎年の洪水は肥沃土を運んできたため、蒲原平野と呼ばれるこの地方一帯は農業が盛んに行われた。川や海の存在は物流や情報交換面でも役立ち、漁業基地としても利用される。当館ではこれらを水が造る、水が結ぶ、水にいどむ、水と共に生きるなどのコーナーに分けて解説している。

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(作成日: 99/11/18、 更新日: 04/07/20)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

みなとぴあ(新潟市歴史博物館)_新潟市中央区柳島町2-10_TEL 025-225-6111_

a)  JR新潟駅から2.6km(10deg.W 2.0km)、タクシーあり。

b)  新潟駅万代口バスターミナルから新潟交通バス柳都大橋線の入舟町行きで約12分「湊町通二ノ町」下車徒歩8分、

c)  同バスターミナルから観光循環バス朱鷺(トキ)メッセ先回りコース(犬夜叉号)で約27分「歴史博物館前」下車_

駐車場 普通車66台_中_大人子供_

(49)9:30-18:00

(103)9:30-17:00_

月曜日(月曜日が休日に当たれば開館し、その翌日休館)

休日の翌日(その日が土曜日や日曜日に当たれば開館し、翌火曜日休館)

12/28-1/3、その他燻蒸期間など_{17/05/23}