堺アルフォンス・ミュシャ館

堺を安住地とした世紀の名画たち

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JR阪和線堺市駅の近くに「境アルフォンス・ミュシャ館」がある。ここには与謝野晶子とほぼ同時代を生き、アール・ヌーボーの旗手といわれたアルフォンス・ミュシャ(1860-1939)の多くの作品が収蔵展示されている。

 チェコ出身のミュシャは若い頃パリに出て絵を学んだが、生活のため挿絵やポスターを描いていた。その過程でフランスの著名女優サラ・ベルナールのポスター制作を数年間専属で担当する幸運に恵まれた。ちなみに彼女の人気ぶりは、その葬儀がフランスの国葬で行われた事実からも想像できる。

そのポスターは、身近な草花を図案化した連続模様によって彼女の姿を飾る繊細華麗な画風であり大好評を得た。このミュシャ様式はアール・ヌーボーを代表するものと見なされ、彼もアール・ヌーボーの先端を歩む画家としてその名を確立した。彼はその後渡米してポスターや商業デザインを手掛けて成功している。

だが祖国愛の強かった彼はその画業の成功に飽き足らず、五十代になるとチェコへ帰国した。そしてスラブ民族の独立と団結を唱え、その思想を壁画やステンドグラスの制作に、あるいは紙幣・切手・国章のデザインなどに表現している。また晩年には油絵の大作「スラブの叙事詩」20点を残した。

堺市のアルフォンス・ミュシャ館は彼の生涯にわたる作品の多くを収蔵する点で世界的な美術館といわれる。なぜそれが堺市にあるのだろうか。もとより同市が大金を叩いて強引な収集をできる筈はない。そこには一人の日本人収集家の眼力と信義、そして時勢による僥倖(ぎょうこう)があった。

すなわち「カメラのドイ」の創業者土居君雄は、まだミュシャが余り知られていない頃からその作品を好んで少しずつ購入していた。その関係でミュシャやその子息とも親しく交際し貴重な作品も入手できたという。

チェコはその地理的位置から古来周辺大国の影響をもろに受けてきた。二十世紀には第一次世界大戦の結果、念願の独立を果たしたものの、先ずナチスドイツ、次にソ連によってその独立を脅かされ政情は揺れ動いた。このような政治環境の下では優美さや民族色を表現したミュシャの作品は、大国支配者のお気に召さない面を持っているからその存在さえ危うい。

その干渉が作品のお蔵入り程度で済むのならともかく、焚書も平気でやるし、戦争や動乱もあった。そのため作品の将来に不安を抱いた子息が、日本の信頼できる収集家へ託す形でミュシャの作品の譲渡を仲介したという。土居氏はその縁で1989年にチェコ文化交流最高勲章を授与されたそうだ。土居コレクションは収集者の死後堺市へ寄贈され、当館の開設につながった。

このような経緯で堺市の手に入った貴重な名画ともなれば、館内で本物に接する見学者の満足感はともかく、保存管理担当者の立場になれば、その保存管理の徹底を世界に対して負うことであり、物心両面の苦労はさぞ大きいだろうと思われる。なお与謝野夫妻が主宰していた文学雑誌「明星」の表紙にはミュシャ様式の作品が使われていた。明星の編集方針がアール・ヌーボーの思潮と似通った面を有していたからだ。その意味からも堺市とミュシャの作品は縁があった。

 

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(作成日: 02/08/12、 更新日: 15/04/03)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

堺アルフォンス・ミュシャ館_大阪府堺市堺区田出井町 1-2-200  ベルマージュ堺弐番館(高層ビル別館)24F_TEL 072-222-5533_

JR阪和線堺市駅下車、駅前のフロアデッキ上をツインの高層ビルを目指して徒歩約3分_

駐車場 有料あり 340台_

中_大人_

9:30-17:15(16:30)_

月曜日(月曜日が休日に当れば開館)、休日の翌日(当日が土曜日・日曜日・休日に当れば開館)、年末年始、展示替え期間の臨時休館あり_臨休(改修工事のため17/02/0617/06/30)_{17/02/28}