本居宣長記念館、浜松市立賀茂真淵記念館

松阪の一夜と鈴屋で培われた古学の思想

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 松阪城蹟公園には、江戸後期の偉大な国学者で歌人の本居宣長旧宅が移築保存されている。そのそばに「本居宣長記念館」が建てられ、宣長が残した著作・原稿・書簡・蔵書・歌文・日記・自画像・愛用品などが多数収蔵されている。

 本居宣長(もとおり・のりなが 17301801)は享保年間に松阪木綿商の大店に生まれたが、宣長の代で店を閉じた。後に国学の大学者となった彼も商人には向かなかった。そして医者を志し京都に遊学し、医術のほかに古典や和歌も学んでいる。故郷に帰って生涯医者を生業とする傍ら、次第に古学・国語学・和歌の道などの研究へ比重を移して行った。

 その間、34才の時に加茂真淵と松阪の宿で会って教えを受けた。この「松阪の一夜」は国学発展の重要な契機としてよく知られている。彼は古事記の研究に35年をかけ、古事記の精密な注解「古事記伝全四四巻」を完成した。

 当館では宣長の72年にわたる生涯の各時期の生活と業績、後世への影響、門人の活動などを紹介している。彼は幼少から死の15日前まで日記を書き続けていたので、その生涯はよく把握できるという。

 また彼が生涯に詠んだ和歌は1万首を越えている。その歌風は「もののあわれ」で貫かれているとされ、格式張らずに明るい精神性を重んじた歌風であった。彼の61才自画自賛像に書いた「しき嶋のやまとこころを人とはば朝日ににほふ山さくら花」はよく知られている。この和歌の解釈と評価は人によって色々なようだ。

 鈴屋(すずのや)(挿絵参照)は52才の時、自宅二階へ造った四畳半の書斎で、36個の小鈴を連ねた愛用の柱掛鈴が掛かっている。なお市内には旧宅跡や墓などがある。

 一方、宣長が松阪の一夜で教えを受けた賀茂真淵(かもの・まぶち 16971769)は浜松の人で、歌人として、また国学者として名高い。彼は和歌や古典、日本語自体や日本古来の慣習や思想などを研究し、多くの著作を残した。

 和歌では万葉調の歌を再興している。彼は老年になってから御三卿の田安宗武に和歌で仕え、また多くの弟子を指導した。その人たちは県門(けんもん)、あるいは県居門(あがたいもん)と称され、和歌の大きな潮流を形成した。

 彼が詠んだ山桜の歌は「うらうらとのどけき春の心より にほひいでたる山ざくら花」と春ののどけさを素直に詠んでいる。また「秋の夜のほがらほがらと天の原 照る月影に雁なきわたる」は上の句で全天を表し、下の句でその中の一点を際立たせており、彼の代表作とされる。 

 彼の生誕地の近くには彼を祭る県居)神社があり、その隣に「浜松市立賀茂真淵記念館」が建てられた。そこには彼の遺品や、彼と県門の人々の和歌や書画、及び書籍などが展示されている。

 松阪の一夜は、真淵が67才の時で、大和へ調査旅行の途上だった。宣長は彼の代表的な門人とされる。真淵・宣長によって育まれた古道の思想は、門下の一人、平田篤胤(ひらた・あつたね)によって引継がれ発展され、好悪両面で幕末の政治思想に大きな影響を与えている。

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(作成日: 99/0/24、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

本居宣長記念館・旧宅_三重県松阪市殿町 1536-7 松阪城蹟公園内_TEL 0598-21-03120598-23-7771(市観光情報センター)_

a)  JR・近鉄の松阪駅から1.4km(80deg.W 1.0km)徒歩18分、

b)  駅から三交バスまたは市街地循環「鈴の音」バスで「市役所前」下車後徒歩 6分_中_大人_

9:00-16:30_

月曜日(祝日に当れば開館し、翌火曜日休館)、年末年始_{16/12/14}

 

浜松市立賀茂真淵記念館_静岡県浜松市中区東伊場 1-22-2_TEL 053-456-8050_

JR浜松駅から2.6km(80deg.W 1.8km)、駅北口バスターミナル5番ポールから遠鉄バス入野宇布見線に乗り約8分「商工会議所」下車後真淵翁顕彰碑の角を曲がって北へ上り坂道を徒歩5分_小_大人_

駐車場 第一・第二駐車場を合わせて普通車23台_

9:30-17:00_

月曜日(祝日や振替休日に当たれば開館)、祝日・振替休日の翌日等、12/291/3展示替え期間_{17/05/22}

 

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