記念艦三笠

陸にあがった名戦艦三笠

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 戦艦三笠は日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った日本の連合艦隊の旗艦で常備排水量15,140トン、当時の最新鋭戦艦だった。英国製のこの戦艦は、座乗した東郷元帥の名声とともに世界戦史上にその名をとどめている。

 日露戦争の後半、ロシアは中国東北部に進出した日本陸軍の補給路を遮断しようとした。そのため黒海艦隊をバルチック艦隊に合流させ、その海軍の総力を結集した艦隊を編成して極東へ回航した。航海は希望峯回りで7ヶ月を要している。

 1905年(明治38年)5月、バルチック艦隊はウラジオストークへ向かって対馬沖を通過しようとしていた。その直前に日本の商船と遭遇し、その通報で日本海海戦が始まった。結果は日本側の一方的な勝利で終わった。その原因は多方面から分析研究されている。

 ロシア側は長途遠征の疲れと革命前夜で士気が低下していた、射撃の練度が低くほとんど命中しなかった、砲弾の選択が不適切で当たっても効果が小さかった、各種艦船の混成と長い航海のため艦隊速度が遅かった、初めての海域での戦いだった、海軍首脳部の在り方や提督の人選が外見重視・内容軽視だったなどが指摘されている。

 対する日本側は補給線の維持が至上命題で、まさに「皇国の興廃、此の一戦にあり…」と必死の気迫で士気が高かった。また補給基地も近く、待ち構える立場で訓練を重ねる時間的余裕があり射撃練度が高かった、作戦が適切で会合地点に兵力を集中していた、海戦時の艦隊の運用が効果的だった、使用したピクリン酸系砲弾の鋭敏性と炸裂力が適合したなどの理由が挙げられている。

 栄光ある三笠も第二次大戦後は主砲を撤去され、一時は占領軍のダンスホールに使われる惨状だった。その後、修復されて記念艦としてよみがえったが、主砲は模造品だ。日本近代史上の危機を救った軍艦であり、その栄光を永く記念するために、現在は「記念艦三笠」として周囲をコンクリートで固定して保存されている。

 艦内には日本海軍や日本海海戦、及び東郷元帥関係の資料が多数展示されている。三笠が現役中、舷側の砲手は砲の側にハンモックを吊して寝たそうだが、外気そのままで暖房なしの居住環境は冬季には過酷だっただろう。

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(作成日: 00/013/11、 更新日: )

 

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

記念艦「三笠」_神奈川県横須賀市稲岡町 82-19 (公益財団法人)三笠保存会_TEL 046-822-5225_

a)  京急線横須賀中央駅から1.2km(N30deg.E 0.8km)、徒歩15分、三笠循環バスを利用し「三笠公園」下車後徒歩2分、タクシーあり、

b)  JR横須賀線横須賀駅から京急バスを利用して「大滝町」下車後徒歩7(横須賀駅からはN85deg.E 1.7km)、駅からタクシーあり_

駐車場 三笠駐車場・三笠公園駐車場 いずれも有料_中_大人子供_

9:00-17:30(49)

9:00-17:00(3月と10)

9:00-16:30(112)

(いずれも入艦受付は閉艦の30分前まで)_

12/2812/31だけ_{17/01/23}