喜多方 蔵の里

各蔵には郷土資料がいっぱいだ

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 喜多方は蔵とラーメンの町として広く知られている。蔵は市内に2,600棟以上あるといわれるが、観光客が不用意に訪れると、さっぱり蔵が見当たらないとの印象を受けて帰る羽目になる。

 それもそのはず、米蔵のような大きな蔵が並んでいる風景を期待して行くからだろう。喜多方の蔵は白漆喰塗り・黒漆喰塗り・れんが積みなどと、その外観が多様なら、大きさも様々で、土地の産業や住民の生活に密着して建てられたものなのだ。

 郊外に設置された「喜多方 蔵の里」では市内の蔵や江戸時代の上級農家の屋敷を移築して公開している。全体の規模はそれほど大きくもないし、また復元する過程で外側を塗り直しているため、外観に古さは感じられないが、一か所で店蔵・屋敷蔵・勝手蔵・穀物蔵・味噌醸造蔵・酒造蔵や江戸時代の上層農家の屋敷などをまとめて見られる。

 ここの特色は各蔵に貴重な郷土資料が詰まっていることだ。例えば穀物蔵には染物の会津型紙と型彫師の資料や、当地出身で維新・明治期に活躍した女性社会事業家・瓜生岩子の資料などが展示されている。喜多方の型紙は東北地方ではよく知られていた。

 味噌の香りがする味噌蔵には喜多方の蔵の写真が並んでいる。勝手蔵には考古資料が、また酒造蔵には自由民権運動の一大転機となった喜多方事件の資料や喜多方各地の郷土資料が公開されている。

 瓜生岩子(うりゅう・いわこ、岩とも、182997)は若い頃、家庭的にも余り恵まれた境遇ではなかった。その後、彼女は戌辰戦争や日清戦争時の傷病兵の救護活動、困窮民の保護、子女の教育や授産、間引きや堕胎習慣の是正運動、病院や乳児院の設立などと、広範囲な社会活動を行った。

 彼女が世話した孤児は200人以上といわれる。その活動範囲は主として会津や福島県内だったが、彼女は仏教系の慈善家として知られた。その影響の大きかったことは、東京・浅草寺五重塔のそばにある彼女の銅像が証明している。

 また喜多方事件は広く福島事件と総称されているが、1882年(明治15年)に発生した。この事件は当時の三島県令が強引に推進した三方道路建設と自由党員弾圧に対して、喜多方地方の数千人の民衆が立ち上がった事件である。

 三方道路とは会津若松から栃木・新潟・山形へ向かう道路で、その狙いは正しかったが、その建設に課せられた金銭的・労力的負担が重かった。この事件は地方自治や政治的要求と、公共工事負担に対する反対が絡んだもので、後の加波山事件や秩父事件の源流となった。

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(作成日: 00/06/26、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

喜多方 蔵の里_福島県喜多方市字押切  2-109_TEL 0241-22-65920241-21-1139(喜多方市ふるさと振興)0241-24-5200 喜多方観光物産協会_

JR磐越西線喜多方駅から1.5km(40deg.W 1.0km)徒歩20分、タクシーあり_

喜多方プラザ駐車場 普通車 117台_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

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