木更津市郷土博物館金のすず、伊香保口留番所

郷土の歴史と生産技術の発展を

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参照(古墳A)  参照(古墳B)   参照(古墳D)

 房総半島の上総(かずさ)・下総(しもふさ)地方一帯は関東ローム層という厚い赤土で覆われた台地が広がり、古くは水なしの国と呼ばれたそうだ。そのためこの地方一帯では昔から掘り抜き井戸を掘って用水の不足を補っていた。

 そこで上総掘りと呼ばれる独特の井戸掘り技術が生まれた。それはモウソウ竹で作られた弓竹の弾力性と竹材の強靭さを活用した手掘りの掘削法で、掘鉄管とヒネ車以外はほとんど竹で作られている。この掘抜き井戸の掘削技術は全国的に知られ活用された。

 明治時代には上総掘りが新潟県の新津油田の、また昭和初期には秋田県の八橋(やばせ)油田の石油掘削にも使われ効果を上げた。今は国内では使われなくなったが、電力を必要としないためアフリカの発展途上国の井戸掘りに役立っているという。

 旧千葉県立上総博物館はこの伝統を持った土地に建てられ、「くらしの中の技術」を主要テーマとして運営されていた。ここでは太古から少しずつ蓄積されてきた技術を先土器・縄文時代、弥生から古墳・歴史時代などと時代順に、また村のくらし、東京湾のくらし、職人の道具と製品、農業水利、機織りなどとテーマ別に紹介していた。

 それによると、先土器時代には石器の、縄文時代には土器の製作技術を当時の人が獲得し、また弥生時代には大陸から米作りと金属具の製作・加工技術が伝わった。その後、長い年代をかけて農器具の考案や農耕技術、並びに農業水利技術が進歩して農業生産性は少しずつ向上した。

 例えば灌漑水利の分野では上総掘りの他、板羽目堰、淀式水車、足踏み水車、揚水機などが現れ、灌漑水の供給や新田の開発に大いに貢献した。また漁業でも各種の舟や漁労用具が考案された。房総沿岸のノリ養殖は1822年から行なわれ、房総でも養殖法の改善がなされた。

 衣食住や運輸交通の面でも次々に新しい工夫や改良が行なわれて、生活水準の上昇に寄与した。当地の南、鋸南町は江戸初期の絵師・菱川師宣の生誕地だが、17世紀後半、彼は肉筆の女性風俗画を描き、版本の挿絵に美人画を挿入することで、後の多色刷り浮世絵の基礎を築いた。

 このように当館は技術の歴史を中心に構成されていたから、英雄を扱った歴史館とは違い、やや派手さを欠いていた。しかしその展示を見ていると、現代文明やその生活水準は先人たちの経験と工夫の集積、及び知識の相互交流の結果から実現されたことが理解できた。

 だが上総博物館は時代の流れで08年に木更津市へ移管され、より郷土色を深めて「木更津市郷土博物館金のすず」として再生した。そこには技術史の他に名誉市民だった千代倉桜舟や当地関連の書家や画家の作品を展示する部屋も加え、木更津の歴史民俗も紹介している。

 ところで東京湾を夜間客船で通ると、東京・川崎・横浜の側は光の帯のように輝いているが、千葉・木更津の側は部分的に光るだけで深い闇に沈んでいる。現在東海道といえば東海道線や国道一号線の通る横浜・川崎ルートが頭に浮かぶのだが、古代はそうではなかった。

 古東海道は対岸の木更津を通過していた。古代には武蔵の国は行政区画上、東海道に含まれず、代わりに安房や上総(かずさ)が東海道に入っていた。当時の多摩川・荒川と古代の利根川は東京湾デルタ地帯を乱流しており、増水期には通行しにくかったのだろう。また鎌倉時代には、鎌倉の外港・金沢(かねさわ)の津から東京湾の幅の狭い部分を横断するコースが盛んに利用された。

 ここで思い出すのは伊香保温泉にある「伊香保口留番所(関所)」だ。ここは信州方面や三国峠越えで越後へ行く経路(三国街道の裏往還)であり、人馬の取締りをした。また伊香保温泉は当時から有名だったから、湯治客に紛れ込んだ出女を警戒したようだ。それにしても伊香保は渋川駅からバスで榛名山ろくをかなり登った所にあり、なぜ旅人はこんな高い所をわざわざ通ったのだろうと不思議に思った。

 だが、徒歩ならば多少の勾配は問題にならず、最短コースを取れる。さらに渋川から三国峠に向かう本街道は、吾妻(あがずま)川の増水期には通過に難渋したかもしれず、裏街道として伊香保経由が利用されたのかも知れない。大きな川や渓谷あるいは冬季の急峻な峠越えなとは著しい交通の障害になった。峠越えの疲れをいやす温泉の魅力が経路を引き寄せたのも確かだろう。

 話しを東京湾に戻すと、木更津市にあった金鈴塚古墳からは五個の金の鈴が出土した。この古墳は木更津市の丘陵地にあった全長90メートルの大きな前方後円墳だが、6世紀末に造られたものと推定されている。

この地には馬来田国造(マクタクニノミヤツコ)が配置されていた。国造はその地方の最有力豪族が国からその地の支配を命じられた地方官だ。従ってこの地方の中心だったのだから、大きな前方後円墳が築造されても不思議ではない。

 発掘当時、すでに盛り土部分は崩れ、石室の一部が露出していた。石棺の石材はその石質から、はるか秩父地方から運んで来たと推定されている。その発掘調査の際、内部から多量の副葬品が出土したが、その副葬品からも豪族の勢力とこの地の豊かさが推定される。

 出土した五個の金の鈴は、出土した時に音を発したという。この鈴が当館の愛称に採用された。出土品には大陸系と日本の太刀や金具類、鏡や銅器、玉類や土器なども含まれていた。近代以降地理的条件が影響して、やや発展が遅れた当地も大昔には別の姿があった。

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(作成日: 99/12/03、 更新日: 09/01/20)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

木更津市郷土博物館金のすず_千葉県木更津市太田 2-16-2 太田山公園内_TEL 0438-23-0011_

JR内房線木更津駅東口から1.4km(80deg.E 1.1km)徒歩18分、タクシーあり_中_大人子供_

9:00-17:00(16:30)_

月曜日(祝日に当たれば開館し、翌日休館)12/281/4、臨休あり_{17/04/30}

 

伊香保御関所(伊香保口留番所)_群馬県渋川市伊香保町伊香保甲34番_TEL 0279-72-4933、、0279-72-3151(伊香保温泉観光協会)0279-22-2873(商工観光部観光課)_

JR上越線渋川駅から約10km(85deg.W 8.1km),駅前から伊香保温泉行き関越交通バス利用し約30分終点下車後徒歩15分_

駐車場なし_小_大人_

9:00-17:00(410)

9:00-16:30(113)_

第二・四火曜日、(冬季間の休日や営業時間に関しては明確でなく変更もあるから要照会)_{17/03/13}