賀川豊彦記念・松沢資料館、鳴門市賀川豊彦記念館

リスト教精神で幅広い社会運動を

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 「賀川豊彦(かがわ とよひこ)記念・松沢資料館」は東京都世田谷区松沢にある。ここは彼の活動拠点の一つで、亡くなった所だ。今でも資料館の館内に彼が使っていた旧礼拝堂が保存されている。

 賀川豊彦(18881960)は神戸で生まれたが、幼くして両親を失い、鳴門市にあった父の実家に引き取られ育てられた。彼は中学4年の時にキリスト教の洗礼を受け、生涯を布教活動に捧げた。

 彼の社会活動は21才で神戸のスラムに住込み、街頭布教と奉仕活動に従事した時から始まった。キリスト教精神に裏付けられた後年の活動分野は驚くほど幅広く、かつ実践的だったが、これらに神戸での活動は貴重な体験になったという。

 すなわち彼は布教と救貧活動、労働運動、農村復興と農民救済運動、消費者協同組合活動、関東大震災や凶作の救援活動、反戦平和運動、無産政党設立運動、世界連邦運動などに携わるほか、膨大な著作も残している。その中にはベストセラーになった自伝的小説「死線を越えて」もある。

 米国留学中の見聞から日本での労働運動の必要性を認識していた彼は、労働者基本権の保障などを主張して、主として関西の労働運動を指導し、当局の拘束も受けている。また当時の疲弊した農村の復興を目指して、彼は互助と友愛の精神を掲げて日本農民組合を結成し、農村福音学校を開設した。

 そこでは土と人と神を愛する三愛運動や、米作と木の実と酪農を組み合わせた立体農業を提唱した。さらに協同購買運動の結成にも努力し、協同組合学校を設立して組合員の教育にも尽力している。

 関東大震災の際には本所の焼け跡に拠点を設けて救援活動を行い、後にその結果を立派な資料にまとめている。そこには長く住み込まれては困るからと粗悪に作られた応急バラックの問題、悪徳業者による不良住宅の供給、ばらばらなボランティア活動、心のケアと精神の復興の必要性などが指摘されている。

 これらの現象は阪神大震災の際に浮上した問題点とよく似通った現象で、人間の本質的思考傾向は今も昔もほとんど変わらないことを示している。

 ところでJR四国の高徳線板東(ばんどう)駅の近くに「鳴門市賀川豊彦記念館」がある。彼が青少年期を過ごした鳴門市大麻町の父の実家は、代々造り酒屋を営み、祖父は地方政界の有力者という裕福な家だった。

 しかし平穏な生活も長くは続かず、やがて破産による財産の喪失と肺結核発病という大きな不幸に見舞われる。この苦難の中で米人宣教師ローガンやマヤスとの出会いによって、彼はキリスト教信仰に導かれた。

 このような縁で当地に彼の記念館が建てられ、その超人的な活動を紹介している。当地には第一次大戦中、板東俘虜収容所が開設され多数のドイツ人が収容されていた。彼はドイツ人から酪農やハム作りを教わっている。そのため当館のデザインはドイツ人の協力を得て造られた牧舎をモデルにしているそうだ。そして当館は鳴門市ドイツ館の隣りに建てられた。

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(作成日: 00/03/11、 更新日: 03/06/12)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

公益財団法人賀川事業団 霊柱社 賀川豊彦記念 松沢資料館_東京都世田谷区上北沢 3-8-19_TEL 03-3302-2855_

京王線上北沢駅から0.3km(70deg.E 0.3km)徒歩5分_小_大人_

10:00-16:30(16:00)_

日曜日、月曜日(月曜日が祝日または振替休日に当たれば開館し、翌日休館)

夏期及び年末年始、展示替期間など_

なお火曜日から土曜日までが開館日で、その期間内にある祝日も開館する_{17/03/13}

 

鳴門市賀川豊彦記念館_徳島県鳴門市大麻町桧字東山田 50-2_TELFAX 088-689-5050_

a)JR高徳線板東駅から1.8km(NW 1.1km)徒歩24分、

b)高徳線池谷(いけのたに)駅からタクシー約8分、

c)JR鳴門線鳴門駅から鳴門市営バス大麻線で約30分、

d)高速バス鳴門西バス停下車徒歩8分_中_大人_

9:30-16:30_

4月曜日(ただし当日が祝日に当たる場合は開館し、その翌日休館)12/2812/31_

(なお祝日の翌日及び年始の休館日など、休館日は変更される場合があるので要確認)_{16/10/21}