佐倉順天堂記念館、適塾

幕末の俊才を育てた東西の蘭学塾

(知への小さな旅:トップ→目次→衛生と医療→)

衛生と医療へ  目次へ  関連へ

 幕末・安政期の佐倉藩主は老中首座・堀田正睦(まさよし)であった。正睦はかねてから蘭癖があると幕府保守派から批判されていたが、有能な開明派を登用して難局に対処した。また当時江戸で蘭方外科医として名を知られていた佐藤泰然(たいぜん 18041872)を1843年に佐倉へ招へいしている。

 泰然はここで藩主の諮問に応じる傍ら、蘭方医学の塾・順天堂を開いた。その名声は全国に広まり、各地から医学や蘭学を学ぶ門人が参集した。順天堂は当時大阪で適塾を開いていた緒方洪庵と同様な存在であったが、こちらはより実践的な医学教育を目指した。

 その二代目を継いだ佐藤舜海(尚中 たかなか、またはしょうちゅうとも)は、さらに順天堂を隆盛にすると同時に,自身が長崎で蘭医のポンペに学び、佐倉に洋式病院・佐倉養生所を建設している。明治初年、大学東校開設(東大医学部の前身)の際は、舜海は多数の弟子と共にその建学に尽力している。

 現在佐倉にある「順天堂記念館」は順天堂跡にあり、その玄関付近だけが1858年建築の建物で当時のものだ。そこは幕末に先進医学の学塾であったのが信じられないほど、静かなたたずまいを見せている。館内には泰然や尚中の業績、順天堂の概要や講義内容などが説明され、当時使用された参考文献や医療器具などが展示されている。

 一方、大阪・淀屋橋のオフィスビル街の裏側に幕末の蘭学塾として名高い「適塾」(適適斎塾とも)(挿絵参照)が保存されている。蘭学者・緒方洪庵(18101863)が1845年から1862年までここで蘭医学を志す多数の門人に教えた場所だ。建物は奇跡的に戦災を免れ、ほぼ昔の姿に修復されて、建物と敷地が史跡・重要文化財に指定されている。 

 ここは最初、医学塾であったが、次第に蘭学を通じて広範な知識や技術を学ぶ塾となり、全国から俊才が集まった。学んだ門人の数は千人を越え、その中には橋本左内・大村益次郎・福沢諭吉・佐野常民・大島圭介などの名前も見える。

 適宿の屋内に入るとそこは静かで、大都会の都心部に居るのを忘れる雰囲気が保たれている。150年ほど前、向学心に燃えた門人たちが数少ない辞書や書物を競って利用し、オランダ語の成績順で寝る位置が変わるという激烈な競争をした所とはとても思えない。館内には当時使用された書物や、ここで勉学した人々の勉学の様子や業績などが紹介されている。

衛生と医療へ   文書の先頭

(作成日: 00/03/30、 更新日:02/02/15)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了館日)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

佐倉順天堂記念館_千葉県佐倉市本町 81_TEL 043-485-5017043-484-6192(佐倉市教育委員会文化課)_

a)京成線京成佐倉駅から1.9km(60deg.E 1.4km)徒歩25分、タクシーあり

b)バスなら京成佐倉駅から酒々井方面行き・成田行き・白銀ニュータウン行きなどの京成バスを利用して「順天堂病院」下車そば、

c)JR成田線佐倉駅からは徒歩30分、タクシーあり。

d)3,4,5,6月の土・日・祝日には佐倉観光バスが運行され、「順天堂病院」下車そば_

駐車場 普通車3、車での来館は控えてほしいとのこと_小_大人_

9:00-17:00(16:30)_

月曜日(祝日に当たる場合は開館し、翌火曜日休館)12/281/4、臨休あり_{17/03/13}

 

適塾(重要文化財 旧緒方洪庵住宅)_大阪市中央区北浜 3-3-8_TEL 06-6231-1970_

a)地下鉄御堂筋線淀屋橋駅8番出口・京阪電鉄淀屋橋駅17番出口から約0.2km(地下鉄淀屋橋駅からS75deg.E 0.2km)徒歩5分。

b)堺筋線北浜駅からも同じぐらい_小_大人_

10:00-16:00_

月曜日(祝日に当たる場合は開館)、祝日の翌日(ただし翌日が土・日・祝日に当たれば開館)12/281/4

その他大阪地域に特別警報が発せられた場合には、その解除時刻により全日開館・午前休館・全日休館と扱いが異なる_{17/03/13}