次郎長遺物館、次郎長生家、清水港船宿記念館

肝っ玉だけでなかった大親分

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 清水の次郎長といえば海道一の大親分として、講談や浪曲の世界であまりにも有名だ。彼は本名を山本長五郎(182093)といい清水で生まれた。彼は若い時から渡世の世界へ身を置き、やがて次郎長一家を構えて、その勇名と義理堅い人柄で名を上げた。

 しかし明治維新後は東海道総督府判事伏谷如水に協力して、東海道探索方を命じられ、駿遠三地方の治安維持に当たっている。それでも維新時に、官軍に殺害された咸臨丸の旧幕府軍乗組員の遺骸を、とがめも恐れず葬った行為はいかにも次郎長らしい。

 その後、彼は清水港の開港と発展に努め、青年に英語教育の機会を与え、富士山ろくの開墾や三保の開田事業、相良の油田開発、蒸気船での海運事業などと、事業活動や社会活動を積極的に行った。富士山麓の開墾では元子分と共にくわを振るい、困難を乗り越えて約76haの茶畑を造成している。

 単に肝っ玉だけではなかった彼は、明治政府の高官、勝海舟・山岡鉄舟・榎本武揚などに認められ、また当時の文化人・学者の知遇も得ている。甘い物が好きだった彼は晩年には懐に菓子を持ち歩き子供たちに与え、困窮者には金を恵み、人情家として、港のおじいさんとか次郎長さんと敬愛されたそうだ。そして子分たちより長生きをして74才の天寿を全うした。

 清水市の梅蔭禅寺は次郎長の菩提寺で、彼と妻の三人のお蝶、及び大政・小政など子分の墓が並んでいる。寺には小規模だが「次郎長遺物館」が併設され、次郎長の手甲・脚半・胴着・頭巾など、また子分の大政や小政の遺品、及び山岡鉄舟が次郎長に贈った「精神満腹」の額などが展示されている。

 当館から少し離れた所に次郎長生家も残っている。次郎長通りという商店街にある生家は間口の狭い町家で、彼の生涯を絵や写真などで紹介している。さらにそこから波止場の方へ少し行くと、次郎長が晩年に海運業と共に営んでいた船宿・末廣(写真参照)が跡地のそばに復元されている。

 次郎長は末廣で亡くなったそうだが、その営業を支えた三代目お蝶が大正初期に没してから建物は人手に渡った。幸いその建物は別な場所に移築され現存していたので、末廣の復元には当時の部材が利用できた。ここは「清水港(しみずみなと)船宿記念館」として休憩施設になり、彼の業績を示す文書資料や写真などを若干展示している。

 なお次郎長が講談や浪曲で有名になったのは、1884年(明治17年)に公布された賭博犯処分規則の影響だった。この規則に触れて、とっくの昔にやくざ稼業から足を洗っていた老年の彼も一年半以上投獄された。

 彼の養子はその釈放運動のために彼の生涯と業績を紹介する「東海遊侠伝〜一名 次郎長」を書いた。その題字は勝海舟の、挿絵は山岡鉄舟の手になり出版された。それを三代神田伯山が講談で採り上げ、二代目広沢虎造が浪曲で演じて全国に広まったという。

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(作成日: 00/06/23、 更新日:02/09/01 )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

次郎長遺物館_静岡市清水区南岡町 3-8 梅蔭禅寺山内_TEL 054-352-0256(受付 小松園)_

a)JR東海道本線清水駅から2.5km(5deg.W 2.0km)

b)JR清水駅から静鉄バス山原梅蔭寺線で約10分「梅蔭寺」下車_小_大人_

8:3016:30(16:00)_

無休_{16/03/03}

 

次郎長生家_静岡市清水区美濃輪町(次郎長通り)4-16_TEL 054-353-5000_

JR東海道本線清水駅から2.3km(S10degE 2.0km)、駅前から静鉄バス三保静岡線駒越経由で数分「港橋」下車後徒歩6_駐車場 なし__大人_

(平日)10:00-16:00

(土・日曜日・祝日)10:00-17:00_

火曜日(祝日に当れば開館し、翌平日休館)_{17/03/02}

 

静岡市清水港船宿記念館「末廣」_静岡市清水区港町 1-2-14_TEL 054-351-6070_

JR東海道線清水駅から約2.0km(S5deg.E 1.7km)、駅前から静鉄バス三保線で「港橋」下車そば_小_大人_

10:00-18:00_

月曜日(休日に当たれば開館し、翌平日休館)_{17/03/02}