日光市歴史民俗資料館

心田と新田の開発を

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参照(農政思想A)  参照(農政思想C)

 日光市今市は杉並木で知られる。日光街道はここで例幣使街道と会津西街道と会合して日光へ向かう。その沿道はうっそうとした杉並木になっている。この杉は17世紀の中頃・松平正綱が22年もかけて植樹したもので、特別史跡・特別天然記念物に指定されている。

 日光街道と例幣使街道の会合点には日本一大きいお地蔵さまと称される追分地蔵尊が鎮座しているが、その近くに「日光市歴史民俗資料館」が建っている。当館の展示は今市の歴史のほか、場所柄で街道と杉並木を中心に構成されている。

 当地は江戸初期に日光東照宮の造営と街道整備、及び日光神領の設置によって発展した。当地は街道交通の要地として繁栄する半面、歴代将軍の日光社参などの助郷で苦しんだ。また戊辰戦争では日光山麓の戦いにも巻き込まれている。

 また今市は杉の葉を利用した杉線香の生産量で日本一といい、その展示は珍しい。それは杉の葉を水車の杵で30から40時間も搗いて粉にして作る。昔水車は40基もあったそうだが、今では2基だけが稼働しているという。杉線香の生産は幕末に始まり、杉線香と匂線香を合わせた今市線香は日本有数の生産量を上げている。

 さらに当地は二宮金次郎、すなわち尊徳(17871856)の終えんの地でもあり、その墓もある。尊徳といっても若い人には馴染み薄だろうが、江戸時代末期の農村改革者で、実践的精神運動指導者としても活躍し、また優れた土木技術者でもあった。彼は各地の荒廃した農村立て直しに精魂を傾けた。

 彼の採用した方式は報徳仕法と呼ばれ、明治以降も精神論や農政に多大の影響力を与えている。彼は疲弊した農村の復興には、荒廃した人心の回復がまず大切との理念を持っていた。事に当たって彼は、綿密な事前調査を行い、人心掌握に努め、優れた土木技術を駆使して行動した。

 彼と息子の弥太郎は20年余りを日光神領の復興に捧げている。基本計画の日光領仕法の策定や精神的な指導ばかりでなく、開墾・用水路の整備・植林などにも活躍し、経済的な仕組みも整備している。彼の思想と行動は今日でも大いに参考になると思う。

 杉並木は延べ37キロも続き、その本数は13,000本といわれる。先人の植林と手入れで維持されてきた杉も経年と台風被害、さらに排気ガスや舗装の影響も加わってか近年枯れるものも多いようだが、昼なお薄暗い巨木の並木はなんとか保全したいものだ。

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(作成日: 00/09/03、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

日光市歴史民俗資料館_栃木県日光市中央町29-1 今市(いまいち)図書館横_TEL 0288-22-6217_

JR日光線今市駅から0.3km(E 0.2km)徒歩5分_中_大人_

9:00-18:00_

月曜日、祝日(月曜日が祝日に当たれば、月曜日翌日が休館)12/291/3、展示替えやくん蒸などの期間_{17/01/31}