国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館

民芸品と探検家の一畳敷書斎が

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 国際基督教大学のキャンバスは関東ローム層に覆われた洪積台地上にある。そこには約28,000年前の先土器時代から縄文後期に及ぶ遺跡があって、敷地造成に先立ち行われた発掘調査で多くの遺物が出土した。

 縄文時代の人口分布は前期のBC 5,0003,500頃には関東地方に、中期のBC 3,5002,400頃には関東甲信越地方に、また後期の今から3千年ほど前には、関東地方と青森県の人口密度が高かったとの推定もある。当地も近くの段丘崖に湧水があるので人が住んでいたのだろう。

 「国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館」はこれらの出土品を展示すると共に、湯浅初代学長が収集した民芸品や民具を公開している。所蔵されている民芸品は色々珍しいものがあって興味深い。

 それは例えば柄鏡・お歯黒壺・整髪用の油壺などの装いの道具、火鉢・自在掛・照明具・枡・竿秤などの生活用具、衣装箪笥・車箪笥・船箪笥・帳場箪笥などの収納具や携帯具、銚子・盃洗・盃台・蕎麦の猪口(ちょく)・箸立て・金属食器・染付け・石皿・菓子型などの飲食関係、各種の型染布や織物製品、横浜絵や浮世絵、鍔や工芸品、御殿びな、伊勢型紙、丹波布、夜具地などと多岐にわたる。

 もちろん、展示は面積の関係で、毎回テーマを定めて少しずつ公開されている。蕎麦の猪口は湯浅氏の記念室にたくさん陳列されており、よく集めたものだと感心する。また御殿びなはめったに見られないほど立派なものだが、当然、常設展示品ではない。

 当館にはもう一つ珍しいものが紹介されている。それは松浦武四郎(18181888)が1886年に造った一畳敷の書斎で、その建築材料は全国の社寺の廃材を再利用したそうだ。

 彼は幕末から明治初期に活躍した探検家で、幕府の指示で北海道内陸部の調査や千島列島とサハリンの探検を行った。明治政府にも出仕し北海道の地名などを定めている。彼は蝦夷日誌などの著作を残して民俗学分野にも貢献した。狭い質素な部屋でも立派な仕事が出来るということだ。

 彼の一畳敷はその後、当時の富豪の手に渡り当地に移築され、泰山荘と呼ばれたその屋敷の一部となった。一畳敷は大正末期建築の六畳敷茶室と結合され、高風居(こうふうきょ)と呼ばれた。それは同大学構内の、当館から少し離れた所に保存されている。

そこには高風居のほかに門・待合・車庫・倉・書院などが残っている。だが母屋は先年火災で惜しくも焼失した。現在は高風居も非公開になっている。泰山荘にはかつて中島飛行機鰍フ創業者・中島知久平が住んでいた。

nakajima_NEWすなわちICUキャンバスは大戦前から戦時中、国力を傾注して育成した軍事産業の中心的な存在だった航空機メーカーの、中島飛行機鰍フ研究所があった場所だ。現在のICU本館は同研究所設計本館を改装利用した建物だ(写真参照)

従ってここは大戦中約24,000機の軍用機製造の中枢となった近現代史上記念すべき事跡の地である。そしてキャンバスの隣は中島飛行機を継承する富士重工鰍フ工場がある。

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(作成日: 00/06/13、 更新日: 11/07/30)

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館_東京都三鷹市大沢 3-10-2_TEL 0422-33-3340_

a)JR中央線武蔵境駅南口あるいは同三鷹駅南口より小田急バス国際基督教大学行き利用し終点下車し構内を数分歩く。タクシーあり

b)また両駅から小田急バスのその他の路線を利用するなら「富士重工前」で下車し徒歩10分_中_大人_

10:00-17:00(ただし土曜日は16:30まで)_

日曜日・月曜日・祝日、 3月・7月・8月の土曜日、年末年始、展示替期間、夏期休暇中_

20人以上の団体の場合は要事前予約_{17/01/23}