福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

山間に残る戦国大名百年の遺跡

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 福井市から南西へ10キロ余り、足羽(あすわ)川をそ上し、その支谷に入った所に戦国大名・朝倉氏の一乗谷遺跡がある。そこは両側を山に挟まれた幅一キロほどの谷間の平地で、それを上流部は上城戸(かみきど)で、また下流部は下城戸と、二つの土塁で遮断している。

 両城戸の内部、延長約2キロの土地を朝倉氏は領国経営の根拠地とした。当時は個々二一万人以上の人が居住していたという。一乗谷は近世以降の福井県中心部から若干離れた山間部にあったため、幸い人為的な破壊が少なく、その全ぼうが解明できる程度に残っていた。近年遺跡の発掘調査が行われ、遺構の研究や建造物の復元が進んでいる。

 当地を訪れた際、なぜ朝倉氏は越前の中心部からやや外れた谷間を根拠地にしたのかと不思議に思ったが、この谷は南北に伸びており、当時の徒歩交通なら領国内交通上便利な場所だった。また足羽川の水運の便も利用でき、濃尾地方への交通路もあり、地形上も防御しやすい利点を持っていた。

 朝倉屋敷跡は周りに幅の狭い堀があるだけで、石垣と堀で厳重に囲まれた近世の城と比べると、防備が弱そうに見える。でも、いざという場合は、屋敷の背後にある山城にその備えがあり、双方を一体として構成されていた。

 一乗谷朝倉氏遺跡は国の特別史跡に指定されている。朝倉屋敷跡には主殿のほか、二十数棟の建物跡が確認され、多数の発掘品が出土している。現地には当時の建物が少しずつ復元されつつある

 なおここから少し離れた一乗谷駅の近くに「福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館」が建てられ、発掘品や当時の町並みなどを展示し、武器武具・生活用品・信仰関係・遊興具・舶来陶磁器などで当時の生活を示している。朝倉氏は五代100年の繁栄の後、1573年に信長の侵攻を受けて滅亡した。そして領国経営の中心は柴田勝家の居城のあった北の庄(現在の福井市)に移された。

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(作成日: 99/05/27、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館_福井市安波賀町 4-10_TEL 0776-41-2301_

a)JR福井駅から越美北線(九頭龍線)に乗り約15分一乗谷駅下車0.3km(一乗寺駅からN50deg.E 0.2km)徒歩4分、

b)福井市の京福バスターミナル(福井駅から徒歩34)5番乗り場から62系統東郷線で約30分「朝倉資料館前」下車

c)JR福井駅東口から(一乗谷朝倉特急)で約16分「朝倉資料館前」下車_

駐車場 無料30台_なお当館から朝倉氏遺跡一帯を周遊する無料バス「朝倉ゆめまる号」も時節により運行されている。

9:00-17:00(16:30)_

年末年始(12/291/2)

展示替えや施設点検期間などの臨休あり(大体各月中旬ごろの水曜日の一日だが、月によっては2〜3日のこともある。なお8月は無休。要確認)_{17/02/28}