福山城博物館

首席老中・阿部正弘の居城

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 山陽新幹線福山駅から真近に見える天守閣が福山城だ。一部の櫓(やぐら)や門以外は戦災で焼失し再建された建物だが、様式的には完成度の高い洗練された美しさを持っている。この城は江戸時代前半には水野氏が、後半には譜代の阿部氏が居城とした戦略上重要な城だった。

 城は豊富な実戦経験を持った水野勝成が西国鎮めの城として築いた。その建設には幕府も伏見城の櫓や門、及び付属建物を移築するなどで援助している。現在重要文化財に指定されている伏見櫓や筋鉄御門は建造当初のもので、伏見城から移築されたものだ。

 その天守閣は白亜塗り込めで明るい感じを見せるが、北側は地形的にやや防御上弱点を持つといい、火攻めを警戒した形になっているそうだ。全国に再建された城は多いが、駅に停車中、車窓から美しい姿を間近に見られるのはここだろう。築城に当たっては、その外観の見え方にも十分配慮した設計になっているそうだ。

 福山城は平山城で、風化の進んだ花崗岩の丘にある。敷地全体がざらざらした砂を撒いたような感じであり、いかにも瀬戸内の城らしく、苔むす古城とは少し違った趣を見せている。

 「福山市立福山城博物館」は福山城の天守閣に設置されている。館内には福山地方の古代からの歴史資料や郷土の文化資料を郷土館の形で展示している。ここは阿部正弘の居城だったから、彼の資料も含まれている。また江戸後期の漢詩人として有名な菅茶山は当藩内の生まれで、そこに私塾・廉塾(れんじゅく)を開いて子弟の教育を行なった。その居宅には多くの文人が訪れたという。

 幕末に老中首座となった阿部伊勢守正弘(18191857)は、弱冠25歳で老中になり、27歳で老中朱座に就任した。そしてペリーの開国要求や外国との和親条約の締結問題の処理に悩みながらも、有能な人材の登用を行い、各種の改革案や諸大名との協調路線を推進した。その間、保守派の取り込みにも努めた。

 福山は温暖な瀬戸内海式気候の土地で、一見豊かな土地のように思えるが、だが、江戸時代には洪水・干害・虫害などが2年に一度は襲ってきたそうで、百姓一揆は何度も起こっている。

 また当館の特異な展示品として日本のポンペイといわれる草戸千軒町の遺品がある。この町は市内の芦田川の河畔に中世から門前町・市場町・湊として栄えたが、洪水で水没してしまった。なお草戸千軒町に関してはすぐ近くに広島県立歴史博物館が設置されており、そこで詳しく紹介されている。

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(作成日: 00/07/14、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_備考_{施設情報確認日}開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

福山市立福山城博物館_広島県福山市丸之内 1-8 福山城公園内_TEL 084-922-2117_

JR山陽新幹線・山陽本線福山駅北口から0.4km(15deg.W 0.2km)徒歩6分。_

駐車場 ふくやま美術館・ふくやま文学館駐車場を利用可_

(9/13/31)9:00-17:00(16:30)

(4/18/31)9:00-18:30(18:00)_

月曜日(月曜日が祝日に当れば開館し、翌日休館)12/2812/31_{17/05/22}