加賀本多博物館、成巽閣

華麗な火事装束は目を引くが

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参照(御殿A)  参照(御殿B) 

 参照(御殿D)  参照(御殿E)

 加賀藩の本多家は徳川初期に幕閣の重鎮だった本多正信の次男・政重を祖としている。彼は家康に仕えた後、各所を遍歴した後、前田家に仕えた。彼はその過去の経歴や本多正信・正純との血縁関係を利用して、雄藩取り潰しの機会を狙う幕府から加賀藩を守り、また藩政確立に大きな役割を果たした。

 加賀藩は彼を大年寄(筆頭家老)として最高禄高の五万石で待遇した。これは諸藩の家臣の中でも最高の待遇で、大半の大名と同じ禄高だ。

 元々藩老本多蔵品館という名前でだった「加賀本多博物館」では、本多家が所有していた武器・武具・調度品・古文書・工芸品などを展示し、大名家に匹敵する本多家の威勢を今に伝えている。中でも村雨壺と呼ばれる大きな茶壺は、さらに五万石加増するとの藩主の意向を受けて、その代わりにと拝領した品と伝えられる。

 当館には当主用の火事装束と、前田家から本多家に降嫁した夫人用の華麗な火事装束が展示されているが、それらは見事なものだ。しかし姫君でも防火衣を用意しなければならないということは、当時の火災の恐ろしさを証明している。

 当地は春先にフェーン現象が発生するから、破壊消火だけが頼りの貧弱な消防力では、ここまでの用意が必要だったのだろう。なお当館の坂下一帯は藩政時代には本多家家臣の屋敷が並んでいたそうで本多町と呼ばれている。

 当館の近くには有名な庭園・兼六園がある。その一角に「成巽閣(せいそんかく)」が残っている。この建物は明治維新の直前、1863年に竣工した藩主未亡人の隠居所で、重要文化財に指定されている。

 この建物は木造二階建ての御殿建築で、建築当初は現在の三倍の建坪があったそうだが、維新後、中心部を残して縮小された。謁見の間などには欄間やふすま、障子腰板などに豪華な装飾が施されている。また二階は数寄屋造り風になっている。天壁を赤く塗ってあるのが珍しい。

 まことにぜいを尽くした御殿建築ではあり、今になれば貴重な観光資源だが。いくら百万石でもこのような方面に大きな出費をしていれば、最後まで財政再建が出来なかった理由もわかるような気がした。ここには前田家伝来の美術品や加賀藩関係資料などが展示されている。

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(作成日: 00/05/26、 更新日: )

 

(施設情報参考)名称_住所_電話番号_駅からの概算路線距離(駅からの概略方位と直線距離)・所要時間・バス_展示規模_対象_開館時間(受付終了時刻)_休館日_{施設情報確認日}休館開閉館時間と休館日はよく変るし臨時休館もある。事前確認が賢明

 

加賀本多博物館_石川県金沢市出羽町 3-1_TEL 076-261-0500_

a)JR北陸本線金沢駅から3.0km(35deg.E 2.4km)駅東口バスターミナル北陸鉄道7番乗り場から東部車庫行きや湯湧温泉行きバスで約15分「出羽町(国立病院前)」下車徒歩5分、

b)城下まち金沢周遊バスで「広坂(石浦神社前)」下車後徒歩8分、

c)金沢ふらっとバス「菊川ルート」で「県立美術館」バス停下車徒歩1分_

駐車場 普通車20台_小_大人_

9:00-17:00(16:30)_

12月から2月の毎週木曜日、12/291/3、展示替え・整理期間_{17/02/18}

 

成巽閣_石川県金沢市兼六町1-2_TEL 076-221-0580_

a) JR金沢駅東口から3.1km(38deg.E 2.4km)、駅東口バスターミナル7番乗り場から北鉄バス[11]東部車庫行き・金沢学院大学行き、[12]湯湧温泉行き・北陸大学行き、[16]上辰巳・駒帰行きなどを利用して約15分「出羽町(国立病院前)

下車徒歩3

B) JR金沢駅東口からバスターミナルの北陸鉄道バス6番乗り場から兼六シャトルに乗って約15分「県立美術館・成巽閣」下車徒歩1分_

敷地内には普通車7台、また周辺に有料駐車場(石川県兼六駐車場・兼六坂パーキング・石川県石引駐車場)あり_中_大人_

9:00-17:00(16:30)_

水曜日(祝日に当たれば開館し、翌日休館)12/29-1/2_{17/03/02}

 

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